埼玉県の所沢には昔、陸軍の飛行場があり、明治44年、徳川大尉が始めてフランス式の飛行機を飛ばせたのです。そこには現在、航空発祥記念館があり現在の陸上自衛隊の使っていた飛行機が数多く展示してあります。自衛隊で使っている飛行機はほとんど全てアメリカ製です。日本の民間航空会社の旅客機もアメリカ製です。
私は戦後教育を受け、「科学技術はアメリカに追い付き、追い抜け!」 という掛声にしたがって、ある分野の工業技術の研究をして来ました。色々な分野の日本の技術はアメリカに追いつきましたが、航空機製造技術だけは絶対に追い付けないのです。今後も追いつけないでしょう。
所沢の、航空発祥記念館を訪問する度に、暗澹たる気持ちになって展示物を見て回ります。他の人々は展示してある全ての飛行機を日本製と誤解しているのか楽しそうに見ています。決して暗い表情はしていません。
何故、日本の航空機製造技術はアメリカに絶対に追い付けないか?を説明する前にプロペラのついたアメリカ製の輸送機とジエット戦闘機の写真を示します。2枚の大きな写真の下にはプロペラ軸を高速に回転させるための9気筒の星型エンジンとジェットエンジンの写真も示します。全てアメリカ製です。
YS-11という国産の旅客機がありましたが、エンジンだけはローリスロイス製のものを使っていたので純粋に日本製とは言えません。
第二次世界大戦で勝ったアメリカは日本占領と同時に全ての日本の飛行機を破壊し、その後一切の航空機産業を厳しく禁じたのです。朝鮮戦争ではアメリカの空軍機の簡単な修理をするようになり、その後航空自衛隊の拡大に従ってアメリカの空軍機を日本で組み立てることを許します。日本独自で飛行機を設計、開発することは長い間、禁じられてきました。
航空機技術の一番難しい部分は軽くて大きな出力のあるジェットエンジンを開発することです。そしてエンジンは一旦始動したら絶対に故障してはいけません。エンジンの故障は、即墜落になり大きな事故になります。安全で軽くて大きな馬力のエンジンを作る方法は長年の経験の積み重ね以外に道が無いのです。どんなにコンピューターが発達しても、それで設計したエンジンの信頼性は長い間使ってみなければ絶対に分からないのです。
飛行機産業の技術レベルは墜落事故の数に比例して上がります。墜落の原因を究明して、その原因を根気よく取り除くことが信頼性向上の一番確かな方法です。軍用機はある程度安全性を犠牲にして攻撃能力を高めます。軍用機で安全性に信頼が置ける飛行機が育ったら、その技術を民間旅客機へ解放するのです。
従って軍用飛行機を多数製造しているアメリカは旅客機の製造技術も自然に高くなるのです。どうでしょうか?ここまで説明すると、日本では絶対に値段と安全性の上でアメリカを凌ぐ飛行機が製造出来ない理由がご理解頂けたと思います。
日本の工業技術は軍需産業と関係の少ない自動車や家電に限定すれば世界一の技術と誇っていられるのです。
時々、「日本の工業技術は世界一だ」 と気楽に話す人がいます。
そんな話を聞くたびに私は暗い気持ちになります。皆様はどうでしょうか?暗い話は終わりにしたほうが良いので止めます。(終わり)