後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

コンピューターの記憶容量不足の簡単解決法・・・外付けハードディスクを付けました

2010年07月25日 | うんちく・小ネタ

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(上の写真は、2009年8月16日につくば市在住のフォト子さんが撮影したものです。転載させて頂きました)

このコンピューターのハードディスク容量は80ギガバイトと表示してあります。ブログへ掲載した写真を含めて数千枚の写真を記憶保存していました。ところが最近、デスクトップの画面にハードディスク容量不足の警告文が何度も出るようになりました。

仕方がないので古い写真を削除したり、不要なドキュメントを消去してなんとかしのいで来ました。ところがPCデポへ行ったら、500ギガバイトの外付けハードディスクが8000円で売っています。日本のBaffalo社設計のものを中国で生産したものです。とても小さなもので携帯電話くらのものです。USBケーブルでこのコンピューターに繋ぐと直ぐに使えるようになりました。

コンピューター本体が80ギガバイトで、その外に500ギガバイトの記憶容量が付いたことになります。デジカメ写真なら11万2千まい記憶できると書いてあります。

本体のマイピクチャーに保存していた写真の大部分をこの外付けハードディスクへ移動しました。本体が軽くなったので、コンピューターの反応も心なしか早くなったようです。

皆様はコンピューターの事は詳しくてこんな事は常識と思います。しかし老人になってから始めた人にとっては記憶容量の不足は頭を悩ませます。少しお金はかかりますが、簡単に解決できたので、ご報告しました。お役に立てば嬉しいです。


宗教のお陰で老境が気楽になる、楽しくなる

2010年07月25日 | 日記・エッセイ・コラム

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政治と宗教の話題は書いてはいけませんとよく聞きます。 しかし私の関心事ですので、時々このブログで書いています。書く場合はどのような立場の人々も傷つけないように努力しているつもりです。例えば無宗教の人がこのブログの宗教に関係する記事を読んでも不愉快にならないように書きます。事実、無宗教でも立派な人格者が沢山居ることをキチンと書くことが重要です。

また私はカトリックの洗礼を受け。毎週のように教会へ行っています。しかしプロテスタント諸宗派の良いところ、そして仏教の素晴らしい所も知っている限り書くようにしています。

宗教は特殊な宗派のみを狂信すると周囲の人々に大変な迷惑をかけます。ですから私は絶対にカトリックを狂信しないようにしています。

老境になって、従来、何気なく受けてきた「宗教的訓練」のお陰で、他人を平等に見て、その上、等しく大切に思えるようになりました。何かの偶然で会った人々へも挨拶の言葉が気軽にかけられるようになったのです。初対面の人へこちらから挨拶の声を上げるなどということは以前は皆無でした。現役の間は職場の上下関係によって敬語を使い分けたり、お辞儀の角度を微妙に変えていました。

それが仕事を止め、種々の人々とお付き合いをするようになったのです。どんな人々でも神様の前では絶対的に平等なのです。お釈迦様の前では絶対的に平等なのです。もし偉い地位にある神父さんや宗派の代表をしている偉い僧侶が高ぶった態度を取ったら、地獄行きなのです。ですから宗派の代表者がやたら新聞やマスコミに現れる場合はクエッション・マークが付きます。こんな自由な考え方を一旦持つと老境が気楽で楽しくなります。

宗教の気楽さの例を一つ書きます。以前このブログでカトリック神学校の訪問記事を掲載しました。電話して、来てもよいですよと返事を貰いました。車で40分位のドライブ中が楽しくて仕方がありませんでした。少年の頃、行くと必ず大切にしてくれる親類の家に遊びに行く途中のような楽しい気分です。この楽しさは住職さんと少し話をする為にお寺を訪問する場合も同じです。子供のころ行った祖父が住職をしていた寺を思い出すのです。

下にマザーテレサが長崎に来た時の写真を示します。この写真をジット見て居ると写っている人々が家族が集まった時のように楽しげにしています。見詰めているとその家族のなかに自分も溶け込んでしまいます。

こういう訓練を重ねた上で、今度は見知らぬ人々が道路で信号待ちをしている光景を見ます。何故かフッと皆が家族のように思えるから不思議です。信号が変わってすれ違うとき親しげな顔でこちらを見る人が居るのです。

こんな気持ちでこのブログを通して知り合った人々も大切に、そして尊敬するようにしています。ご縁があって知り合ったのですから大切に、親切に、尊敬したくなります。今日はミサに行って来たばかりなので、このような文章が書けるのかも知れません。明日からは俗な人間に戻ってしまうのです。戻っても時々今日書いたような感じを思い出すものです。詰まらない話を書いて恐縮です。もう終りに致します。

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土用のウナギとライン川の天然ウナギのかば焼き

2010年07月25日 | 日記・エッセイ・コラム

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土用丑の日の頃になるとウナギの蒲焼を食べることが多くなります。今年は梅雨明けから猛暑日の連続です。ウナギのかば焼きの香りが夏風に乗って漂っています。暑い夏はウナギの蒲焼が一段と売れ行きが良いそうです。

そこで、土用のウナギにちなんでライン河の天然ウナギを蒲焼にしたお話をお送り致します。

随分と前の話です。1969年11月にドイツのスツットガルト市に住み着いて、よく農民市場で野菜を買っていました。ある日、生きたウナギを水槽に入れ売っているのです。ライン河で取れた天然ウナギだと言います。売っている人に料理法を聞くと、ブツ切りにしてウナギのスープ(アールズッペ)にするか塩味の燻製にして食べろと教えてくれます。

日本のウナギの2倍くらい太いものを一匹買いカバヤキを作ることにしました。せっかくなので日本人の男性を招待し、カバヤキでドイツビールを楽しむ会をすることにしました。

ところが料理が大変難しいのです。まず頭を取っても胴体が動いて一本のまま裂いて2枚に下ろせないのです。そこで、20cmくらいのブツ切りにして、完全に動かなくなってから2枚に裂きました。しかしウナギの背骨は3角形で切り出せないのです。仕方なく骨付きのまま、2枚下ろしにして蒸して身を固めました。

そうすると竹串が打てるのです。竹串はデパートで売っていました。串を打ったあとは醤油、ミリン、砂糖を混ぜウナギを漬け、耐熱皿に載せてオーブンで蒲焼にするのです。

何度もタレをつけ、ひっくり返しながらオーブンで丁寧に焼き上げます。タレが焦げて台所中にウナギの蒲焼の匂いが充満します。お客が「いい匂いですねー」と台所を覗きに来ます。

いよいよカバヤキ・ビールパーティーの開始です。焦げ目のついた分厚いカバヤキを数枚大皿に盛り付けて運びます。串はついたままにします。

琥珀色のビールをなみなみと注いで、ライン河の天然ウナギのために乾杯!

カバヤキを自分の皿に取り、串を抜いて食べはじめます。ところが不味い!生臭くて、泥臭くて食べられないなおです。でもせっかく苦労したので一串は食べました。死ぬ思いで。

生臭いだけでなく、小骨が縦横無尽に入っていて食べ難いのです。お客は礼儀上、「うん、これはいける!」などと言ってくれます。でも顔があまりにもの不味さ、生臭さで歪んでいます。泣きそうな顔にも見えます。「止めましょう! 今、チーズを色々持って来ますから」

あれ以来茫々40年経ちますが、スーパーでウナギの蒲焼を見るたびにライン河のウナギと格闘したこと、生臭かったことを思い出します。カバヤキの価格の大部分は料理の技術料だな、と深く納得します。上の写真は2008年の6月1日に諏訪湖のウナギの記事で紹介した、うな藤のカバヤキです。カバヤキが上手に出来ています。見て美味しそう。食べて、本当に美味しい。そのように作れるのは日本の伝統文化です。素人は作ろうなどど考えないで下さい。

今年も猛暑が続きます。ウナギの蒲焼を食べて元気に、暑さに負けないで下さい。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人