後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

恐怖の体験と嬉しい体験の混じった一日でした!

2010年07月14日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は晴れ。突風の吹き荒れそうな天気です。ネットのお陰で知り合ったYMさんが霞ヶ浦のヨットに乗せて下さいと言います。今朝電話で11時に現地で会うと打ち合わせました。その時、嬉しい事を言ってくれます。セイルの準備やエンジンの始動など全てをやらせて下さいと言うのです。つまりヨットを始めたばかりなので、全てを自分で行い、完全に覚えてしまおうという決心で来るのです。このような嬉しいお客は久しぶりです。私も急いで行き、10時にヨットのそばに到着しました。するとYMさんは既に到着しています。デッキに上がると約束通り全ての準備をしてくれました。

早速、沖に出ます。強風と突風です。彼がせっかく来たのだからメインセイルを上げましょうと言います。そして彼がメインハリヤードを引っ張り、セイルを上げてしまいました。そして舵を握り、風上へ登ります。強風なので船が傾いて快走します。波も荒いのです。彼は満面の笑みを浮かべて、ヨットの醍醐味ですね!と言います。メインセイルだけで6・5ノット出ています。強風だけでなく突風もつっこんできます。船が大きく傾きます。私は恐怖感にとらわれ、顔が引きつってきました。しかし私のヨット歴は25年。彼は1年。ここで私からセイルを下ろそうとは言えません。彼も恐いに決まっています。1時間ほどやせ我慢をしていたら彼がやっと、「セイルを下ろしましょう。はじめから事故ってはいけませんね」と言います。私はシブシブ降ろすようにふりをして、緩慢な動作でメインセイルを下ろしました。エンジンをかけて港に戻り、昼食を済ませました。午後からはジブセイルの操作の訓練をしましょうと提案しました。又少し沖に出て、彼にジブセイルを出して貰いました。またまた強風で船が大きく傾きます。恐怖感で私の顔が引きつれます。彼が止めましょうと言うのを待つのです。そのうち彼も今日は無理ですねと言います。この一言を待っていたのです。直ぐにジブを巻き取り、帰港しました。係留しようとすると彼が私にやらせて下さいと言います。見事な着岸ぶりです。

このように積極的にヨットの操船を学ぼうという人を客に迎え、大変嬉しい思いをしました。また風の良い時に一緒に乗りましょうといって別れてきました。下の写真は、メインセイルだけで走っている写真です。この直後に、突風の連続攻撃に会いました。

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国家が個人生活に干渉し過ぎる国、しない国・・・日本とアメリカの対比

2010年07月14日 | 日記・エッセイ・コラム

日本人の我々には理解しにくい社会現象が時々起きます。アメリカにおける茶会運動もそうです。日本のマスコミにはあまり出ませんが、結構、大問題になっています。話そのものは簡単です。オバマ大統領が国民健康保険の制度を導入して、国民全員を健康保険へ入れようとする政策です。日本では随分前からこの制度が実行されています。老人の私は医療費の1割だけを支払えば病気の治療を受けられます。当然良い政策と思っていましたところ、アメリカでは反対運動が巻き起こりました。その運動は草の根的なティーパーティの連鎖反応で社会へ広がっています。ティーパティの連鎖反応なので茶会運動と呼ぶそうです。

アメリカでは健康保険も交通事故保険も生命保険も全て、「加入」することを「保険を買う」と言うことがあります。保険を買う、買わないかは個人の自由です。それを国家が管理することは個人の基本的な人権への国家による侵害だというのです。多くのアメリカ人がそう信じているので茶会運動が一つの政治運動として広がったのです。

オバマ大統領は防戦にまわります。大統領へ毎週届く65000通の手紙には貧困層から、「病気の治療費に困っている」という手紙が非常に多いと発表しています。

アメリカは自由競争こそが社会をダイナミックに発展させ、そのお陰で世界をリード出来るのだと信じている人々が圧倒的に多いのです。自由競争で貧富の差が出来るのを避けてはいけないと皆が信じています。自由競争に負けた貧困層が高額な病気治療を受けられないのは当然と考えます。

この考えは実にいろいろな分野でも徹底しています。

アメリカには文部科学省が存在していません。教育を受ける受けないは個人の勝手です。どのような教育をすべきか国家が管理したり、教科書の検定を行うことは個人の基本的人権の酷い侵害なのです。

地方自治体が、義務教育を受けたい人は格安で受けることが出来るような学校を提供しています。受けなくとも罰則はありません。日本でも罰則はありませんが、文部科学省が認可をしてない学校を卒業しても学歴とは認めません。社会的制裁を課しているのです。日本にある外国の高校を卒業しても、国立大学への入学資格は無かったのです。

警察も個人の生活に干渉する恐れがあります。ですから地方自治体がその予算で警察署を作り、警官を雇います。国家予算の支援を受けると国家警察になります。国家の方針に反対するデモは簡単に制圧出来るようになります。

日本でも戦後、国家警察が県警や府警に分かれましたが、国の財政援助が続いています。国家中央の警察庁が統合する傾向が強く、国家の意見を重視します。戦後、特高や国家警察をマッカーサーが解体しましたがその伝統は現在でも残っているのです。

日本では、多くの国会議員や官僚が自分を偉い立場の人間と信じています。国会議員を先生と呼ぶのも一例です。その影響で国民を指導し、統治しても良いという社会観念が出来ています。その反作用で多くの人々が国会議員や官僚を悪の権化のように忌み嫌っています。選挙があっても棄権したり、無関心で居ます。

もう少し政治家・官僚と一般国民が歩みより、平等な立場でお互いに尊敬し合わないとこの国は良くならないのではないでしょうか?日本には美しい自然はいっぱい有るのですから、お互いが寛大な気持ちで話し合う方が良いと信じています。最後にその美しい自然の一例として、大正池と穂高連峰の風景写真をお送りします。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

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