不肖ながら、私は原始宗教も高等宗教も優劣はまったくなく、どちらも人間にとって非常に重要なものと信じています。これを私に教えてくれたのが、アメリカの文化人類学者のルース・ベネデクト女史です。彼女の著作を通うして教えてくれました。
荻野誠人さんは私のブログを読んで下さっているので私の考えや信念は知っていると思います。
しかし、彼のコメントは重要な意味があります。書いた本人の意図とは関係なく、言霊は独り歩きする日本では、適切な言葉ではありませんと教えてくれたのです。全く同感です。
私の思慮の浅さに恥入り、心からお詫び申し上げます。
カトリックの私は毎週、日曜日にイエス様の肉としてパンのかけらを食べます。これこそ原始宗教です。これがあるためカトリックから離れないのです。神道も好きです。その理由は長くなるので今日はこれで失礼します。
===荻野誠人さんからのコメント=====
お世話さまです。時々お邪魔して拝読しています。
興味深い文章、美しい写真などなど、ありがとうございます。
さて本日は、本筋とは関係ない点での感想で、すみません。
「高等宗教」と「原始宗教」・・・
学問の世界ではそのような名前で分類されているのですか・・・。
神道の信者にとっては、抵抗を感じる名称かもしれません。
以前、神道には教義らしい教義がないという文章を読んだ記憶があります。
ですが、私は、反社会的な宗教は別にして、熱心に信仰させてくれる
宗教なら、みな等しい価値ではないかと感じるのです。
分類は必要なんでしょうが、「裏日本」が「日本海側」に変わったように、
別の言葉がないものかと思います。
それではまた。失礼します。