後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

とても深い内容のコメントを頂き嬉しく思います

2010年07月03日 | 日記・エッセイ・コラム

不肖ながら、私は原始宗教も高等宗教も優劣はまったくなく、どちらも人間にとって非常に重要なものと信じています。これを私に教えてくれたのが、アメリカの文化人類学者のルース・ベネデクト女史です。彼女の著作を通うして教えてくれました。

荻野誠人さんは私のブログを読んで下さっているので私の考えや信念は知っていると思います。

しかし、彼のコメントは重要な意味があります。書いた本人の意図とは関係なく、言霊は独り歩きする日本では、適切な言葉ではありませんと教えてくれたのです。全く同感です。

私の思慮の浅さに恥入り、心からお詫び申し上げます。

カトリックの私は毎週、日曜日にイエス様の肉としてパンのかけらを食べます。これこそ原始宗教です。これがあるためカトリックから離れないのです。神道も好きです。その理由は長くなるので今日はこれで失礼します。

===荻野誠人さんからのコメント=====

お世話さまです。時々お邪魔して拝読しています。
興味深い文章、美しい写真などなど、ありがとうございます。

さて本日は、本筋とは関係ない点での感想で、すみません。
「高等宗教」と「原始宗教」・・・
学問の世界ではそのような名前で分類されているのですか・・・。
神道の信者にとっては、抵抗を感じる名称かもしれません。
以前、神道には教義らしい教義がないという文章を読んだ記憶があります。
ですが、私は、反社会的な宗教は別にして、熱心に信仰させてくれる
宗教なら、みな等しい価値ではないかと感じるのです。
分類は必要なんでしょうが、「裏日本」が「日本海側」に変わったように、
別の言葉がないものかと思います。

それではまた。失礼します。


今日の体験セイリング・・東京湾は終日梅雨曇りでした

2010年07月03日 | 写真

10時、浜離宮脇の築地運河を出港し、羽田沖からセイリングを始め、川崎沖に出て、ジャイビングして葛飾沖、夢の島沖を回って、船の科学博物館沖に周航し、墨田川河口に戻り、浜離宮の水門を慎重に入り、3時半に係留しました。南東の風が結構強くて、少しヒーリングして快走しました。なんと言っても北欧のほれぼれするような43フィートのハンス・クリスチャン号です。これぞヨットの名艇と、乗っているだけで興奮します。その上、生ビールのジョッキが出てくるのです(ジョッキ一杯500円です)。梅雨の間のセイリングを楽しんで来ました。東京ベイ・ヨット・クラブの主宰者のO熊さんとそのクルーの方々へ感謝。

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クイズの遊びです・・・

2010年07月03日 | うんちく・小ネタ

これは宗教に特に関心のない方でも簡単に答えられるクイズです。テレビのクイズ番組を見ながら答えるようにお楽しみ下さい。

(1)世界の三大宗教とは何でしょうか?

(2)キリスト教では旧教と新教とに分類することがありますが、カトリック宗派はどちらでしょうか?

(3)日本には仏教系の大学とキリスト教系の大学があります。それぞれ1つだけお答え下さい。

(4)佛教の伝来した年とキリスト教の伝来した年をお答え下さい。

(5)仏教で「出家」という言葉がありますが、その対義語をお答え下さい。

正解は夫々以下の通りです。

(1)佛教、キリスト教、イスラム教。(2)旧教です。(3)仏教系は駒沢大学・龍谷大学など。キリスト教系は上智大学・立教大学・同志社大学など。(4)仏教は聖徳太子の大化の改新以前の538年でキリスト教はザビエルが来た1549年。(5)「在家」。

ここまでは普通の日本人ならきっと簡単に答えられますね。(4)の佛教伝来の年号は受験勉強のとき暗記しましたが忘れて居なければ答えられます。

さて、ここで宿題を出します。「在家」と「出家」の厳密な意味を説明して下さい。そしてその厳密な意味で出家している修業僧は現在の日本に居るでしょうか?想像しながら議論を進めて下さい。正解はありませんが明日、このブログで私の個人的な意見を書いてみます。何故、唐突にこんな問題を思いついたか?先日、在家仏教集団の創価学会の取り仕切るお葬式に出て、いろいろ考えさせられたからです。

宿題をいろいろ考えて行くと日本の現在の宗教の風景が少し見えてきます。お楽しみ頂ければ嬉しくおもいます。(続く)


趣味が自分にとって非常に重要だったという体験

2010年07月03日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログでは中古のヨットや山林の中の小屋の話を中心にして、いろいろな趣味の話を書いています。粗末な小屋でも中古のヨットでも多少はお金がかかる趣味です。ですから身分不相応なことをしているのかも知れません。

しかしそれらの趣味は自分の視野を広げ、人格を磨く上で非常に重要だったと感じています。いろいろな体験を通して学ぶことが多かったのです。

私は昭和11年生まれです。終戦前後に育ちました。その頃は趣味なんか、お金持ちの老人が盆栽いじりをするようなもので、真面目な人間がするものではないと聞かされていました。そのような考え方が社会の主流でした。

しかし、1960年、オハイオへの留学以来、欧米人と付き合うようになります。すると、趣味へ対する考え方が非常に違う事に驚きました。

欧米人は個人の人格完成の手段の一つとして趣味を考えているようです。ですから軽薄な欧米人へ、「趣味はありません」と言うと、私の事を人格に無関心な悪い人間と単純に誤解されることがあります。

さて、「趣味が人格を作る」という欧米流の考えは正しいでしょうか?

長い間、ヨットや山林の中の小屋の趣味を続けてきた結果、以下のようなことを経験しました。

(1)趣味を通して知り合った人々は職業上で知り合った人より圧倒的に多種多様な考えを持っている。

(2)職業の組織では上下関係が厳密になっているが、趣味で知り合った人々とは完全に平等に付き合うことが重要なのです。

(3)立派な人は年齢に関係なく居るものです。そして人の偉さは職業や宗教にまったく無関係だという事を深く理解出来ました。

以上の事を知ってしまったので、私の人格も少しは良くなったのではないかと感じています。「少しは」と書いたのは「知っては居ても実行出来ない」ことが多いからです。そいう所が愚かな私の限界なのです。

それでも、「趣味が人格を作る」という欧米流の考えは正しいと信じるようになりました。

皆様も夫々趣味をお持ちのことと思いますが、趣味が人格にとって重要だというお考えでしょうか?ご意見を頂ければ嬉しく存じます。

今日はこれから東京湾のセイリングへ出かけます。下に乗る予定のヨットの写真を掲載します。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

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