後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

猛暑お見舞い申し上げます!

2010年07月24日 | 日記・エッセイ・コラム

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日本全国、毎日、猛暑です。猛暑を心からお見舞い申し上げます。

蒼い空に白雲が毎日のように立ち上り、夕方から夜に少し雨がきます。

このブログを見て下さる方々へ何時も感謝しています。

有難う御座います。

暑い夏、皆様がご健康で過ごされますようにお祈りいたします。藤山杜人

(添付した写真は7月19日の白川郷で撮った白い雲です)

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普天間基地はもう移転しない!そして嘉手納基地は永久に沖縄に居座る

2010年07月24日 | 日記・エッセイ・コラム

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最近の新聞をみると普天間基地の一部機能をグアム島へ移転させるアメリカ側の計画も中止の方向になってきました。普天間の沖縄北部への移転も沖縄県民の強い反対が続いています。したがって普天間基地の移転が完全にとん挫してしまいました。

米軍基地が現状のままで沖縄に長期間居座る情勢になって来ました。

私も1人の日本人として他国の軍事基地が国内に存在していることは当然嫌なことです。厭なことですが現実は現実として受け入れる決心をする時期に来たようです。

そこで何故、アメリカ軍は日本に基地をおいて置く必要があるのか?少しばかりアメリカの立場から調べて見ました。

調べる時、英語で検索するとアメリカの立場からの説明があります。説明は体系的に明快な理屈でなされて居ます。実に分かり易いのです。Kadena Air Base, Futenma Air Base,や Yokota Air Base という言葉を検索すると米軍側で作ったそれぞれの基地のホームページが出て来ます。それで分かったことを個条書きに示します。

(1)米軍の基地は一つの戦略目的ごとに別々に建設、保有されているのです。

  例えば嘉手納はアメリカ空軍の最大の戦闘機部隊基地です。普天間はアメリカ海兵隊の支援航空部隊の飛行場であり、東京のそばの横田基地はアメリカ空軍の輸送機部隊の飛行場として、それぞれの役割が明快に分けてあります。

(2)在日空軍基地の守備範囲は実に広大で、アメリカの西海岸からアフリカの東海岸までです。南北は南極大陸から北極までの範囲です。日本、韓国、中国、ベトナム、タイ、ミャンマー、インドなどなど全ての国国で一旦戦争が起きたら、即刻日本の米軍基地から戦闘機や爆撃機が発進するのです。それは強いアメリカの世界戦略です。日本の都合で一朝一夕に変えることは不可能なのです。

(3)沖縄の中央地区に広大な面積を有する基地は嘉手納基地と普天間基地です。この二つのアメリカ側から見た重要性は嘉手納基地が非常に大です。太平洋とインド洋で一番大規模な戦闘機・爆撃機基地なので、これの移転は不可能でしょう。この基地はアメリカ空軍の基地ですが、普天間はアメリカ海兵隊の基地です。それを一緒にするというトンデモない提案は軍事音痴を宣伝するだけで失笑を買うだけです。

(4)上に書いたように、普天間基地はアメリカ海兵隊の作戦支援航空隊の飛行場です。アメリカの海兵隊の飛行隊の基地はハワイや岩国にもあり沖縄の普天間は嘉手納基地ほど重要では無いようです。だからこそ一度は移転すr計画に日米政府が合意したのです。アメリカ側は移転しなほうが得なのです。

(5)嘉手納基地は空軍のもので、普天間基地は海兵隊のものです。空軍と海兵隊は対立的な歴史を持っているので基地を合同で使うということは不可能でしょう。この事実は何度も強調する必要があります。海兵隊の無い日本ではその重要性が理解されないのですから。

(6)普天間基地は市街地にあり、住宅密集地に隣接し騒音被害、墜落事故による被害、気の荒い海兵隊員の基地周辺での粗暴な行いの被害などで一番沖縄住民にとって頭痛の種になってきました。しかしこのような事態は嘉手納基地も同じなのです。

以上の背景のもとに自民党政権はアメリカ側と困難な交渉を数年続けて、やっと危険な基地の一つの普天間基地の移転の合意を取りつけたのです。

それを民主党政権が日米合意を一方的に無視したのですから今後長年にわたって沖縄にある米軍基地はそのまま存続すると思います。

このようにアメリカの立場で基地問題を調べてみると日本の民主党の政治家の基地に対する考え方があまりにも狭量で我田引水的過ぎるという事が分かります。

国際問題は先方の立場に立って考え、両方の納得する妥協点を探して行く努力をしなければいけません。元の防衛大臣の石破さんが嘆いていましたが無理もありません。今後の日本の外交に非常に暗雲が立ちこめています。貴方のお考えはをお聞かせ頂ければ嬉しく思います。(終り)


老境の日々がこんなに楽しいとは想像も出来なかった!

2010年07月24日 | 日記・エッセイ・コラム

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引退し、老境に入ると仕事上の緊張や束縛が完全に無くなります。気持ちが晴れ晴れとして全ての事をあるがままに自由に理解出来るようになります。

引退後の1年位はこのような自由過ぎる環境に慣れないで戸惑いますが、その時期を過ぎると、途端に幸せな日々がやって来ます。このように楽しい老境の世界が広がっているとは想像も出来ませんでした。人間は実に愚かなもので、何歳になっても新しい発見をします。

老人になって自由な立場から、過ぎ去った日々を思い返すと、その当時とは違った解釈を持つことが多いものです。自分の人生を振りかえって、悲しかった事、苦しかった事が反対に楽しい体験だったと感じるようになるいのです。

引退後の自分を以前はこのように想像していました:仕事も一切無くなり淋しいだろう。仕事仲間と一緒に飲んだり談笑する機会も無い。暇が出来ても遊び方を知らないので毎日なすこともなく、無為の日々が流れて行くだけだ。

ところが、70歳で仕事を一切止め、3ケ月が過ぎた頃から、毎日が次第に明るくなり、楽しくなって来ました。大げさに言えは「歓喜の日々」が流れだしたのです。

兎に角、仕事のために、したいことを我慢して来ましたが、がその必要がなくなるのです。

山林の中の小屋へ通い独りで楽しんでいたことが、小屋の近所の人々との交友へと広がりました。小さなヨットを、独りで、ゆっくりと帆走させていたことが、ネットを通してヨット関係の知人、友人が沢山出来ました。孤独な楽しみが仲間と楽しむことが出来るようになったのです。現役の間、友人もあまり居ませんでしたが老境の現在はネットのお陰で友人が沢山出来ました。

これらの友人とは、掲載記事や公開日記を読んで、コメントを交換しお互いに楽しんで居ます。従来は仕事仲間としか付き合えなかったのに、ネットの上での友人は年齢、性別、職業がいろいろあって考え方が非常に違うのです。自分の視野が広がり、とたんに世間が広がったような幸福感に包まれる。

そのお陰で、毎日が楽しくなったのです。自分だけが老年を楽しんでいるではなく、中高年の人々が書く随筆記事や日記を読むと皆が明るく楽しそうにしています。どなたも自分の昔の職場の厭な思い出は書かない。人間の悪いことは忘れてしまう。それが老年の歓喜の日々につながる。

しかし老年になれば肉体は衰え、病気にもなるのも現実です。親しい人や恩人が次々と先に死んで行き、世の中が淋しくなります。

でも、旅立った親や家族が、我々が淋しい気持ちでいることを喜ばないのです。決っして喜ばない筈です。それに子供や孫のような若い世代も、暗い顔をした老人は見たくない筈です。

それだからこそ、老人は明るく楽しい日々を過ごす方が良いと信じています。このように書ききっている自分があまりにも楽天的なのかも知れません。しかしこの文章を書いたお陰でまた一段と老境が楽しくなりました。お読みになった皆様も楽しい気分になったことと信じています。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人