秋の第36回中部白日会展は9月7日(火)から12日(日)まで名古屋市博物館で開催されます。開場時間は午前9時30分より午後5時までです。
この白日会で中心的に活躍している三輪修さんとはブログのお陰で知り合いになりました。今年の4月に名古屋日動画廊で個展があり、家内と共に見に行ってまいりました。その折に会場で三輪さんからお聞きしたことを記事として掲載しました。
4枚の絵画の写真も三輪さんの御許しを頂いて転載しました。なお、彼の多くの絵画はHP、:http://mujika.jp/miwa/miwa-tenji.htm に御座います。
以下の文章は名古屋での個展で三輪さんに直接聞いたことです。私の4月のブログ記事を再録したものです。
何を描こうとしているのか?「存在を丁寧に、あるがままに描きます。存在そのものに感謝して描きます。そうすると存在の向こうにあるものが見えて来ます」。
哲学や宗教と別次元の深い精神性を感じさせる絵画になっています。彼はキリスト教の聖公会の洗礼を受けた信者です。しかし安易な宗教的な絵は描きません。宗教画のつまらさを感じている私の気持ちからも納得できます。
存在を丁寧に描く。生易しい仕事ではありません。ある色を塗ったら、それが完全に乾くまで何日も待ってから次の色を塗るのです。一枚の油絵を完成するのに何カ月も何年もかかるのです。
彼の絵は何故か淋しい雰囲気を持っています。孤独感が存在の向こうに弱弱しく漂っています。彼の薄倖な少年期が時々影を落としているのかも知れません。
画家には時々作風を変える人もいます。三輪さんも若い頃はいろいろ試みたそうです。しかし現在の作風はやく15年前に確立して、その後は変えていません。
三輪さんのデッサン力、色彩感覚は天才的です。しかし妥協を許さない持続力こそが彼の絵画世界の神髄なのです。それを実行する勇気と努力が彼の作品を独創的にしています。4枚の絵を紹介します。上の2枚は名古屋日動画廊の個展に出展されています。下の2枚は昨年、鮮明な写真を送って頂いたものです。特にセーヌ河の橋の下を流れる水面は、その存在を丁寧に何年もかけて描いていって完成したのです。写真のように見えますが油絵です。水の存在感の向こうに何が見えるでしょうか?それは貴方自身が夫々に感じるものです。
彼のHP:http://mujika.jp/miwa/miwa-tenji.htm にはもと多くの感動的な作品の写真がございます。
三輪修さんの絵画の世界で貴方自身の心がより豊かになれば大変嬉しく思います(終り)
追記:絵画の題目と製作年、上より順に;「吊されたアーティチョーク」2005年、
「存在した時の証」2003年(U賞受賞作品)、「村の風景」1996年、「パリの橋」1996年