多くの人間は自分が生まれた後に起きた事件には関心がありますが、誕生前のことには関心がありません。勿論例外もありますが、誕生前のことには関心が無いものです。私もそうでした。1936年生まれですので、1904年に起きた日露戦争などは、それより32年も昔の事なので一切関心がありませんでした。
ところが4年前に仕事を一切止めて引退してから急に昔の事件に強い関心や興味が湧いて来たのです。そこで、何故、日露戦争で日本が勝ったのか?日本海海戦で何故、東郷元帥が大勝したのか?という疑問が湧いてきました。
少し調べて見て簡単に理由が分かりました。
日英同盟のお陰で、イギリスが日本へ莫大な戦費を用立ててくれたからです。その上、旅順港にあったロシアの太平洋艦隊を支援するために派遣された、バルチック艦隊の航路に問題があったのです。当時の大英帝国はスエズ運河を支配し、アフリカ諸国、インド、ビルマ、マレー半島、シンガポール、香港などの植民地を持っていたのです。大英帝国の植民地の港へは入港出来なかったのです。
そこでバルチック艦隊はアフリカの喜望峰を迂回し、僅かに残った中立国の港で不十分な燃料と食料しか補給出来なかったのです。多数の水兵が長い航海中に死んでしまったのです。日本へ近ずいてきたバルチック艦隊は気息えんえんとしてやっと辿り着いた状態でした。もう日本海軍と戦う気持ちなど失せてしまっていたのです。
そのような艦隊を東郷元帥ひきいる大日本帝国海軍が遠慮会釈なく叩いたのです。勝利は闘う前から決していたのです。
公平に見れば日本海海戦に勝ったのはイギリスがバルチック艦隊の燃料と食料の補給を妨害したからです。イギリスのお陰で日本が大勝出来たのです。
それを日本政府が国民へ対して、東郷さんとその海軍が優秀だったから勝てたと大きく宣伝したのです。決して大英帝国のお陰で勝てたとは言わなかったのです。その事を知されなかった国民が独力で勝ったと誤解して、やがて日英同盟を破棄して、ドイツ・イタリアとの3国軍事同盟に走ったのです。
客観的な歴史を国民が知ることの重要性が分かります。そんなに重要な事実なら自分の生まれる前の事でも深く、客観的に理解すべきという一例です。
日本が真珠湾攻撃をし、ながて壊滅し、悲惨な運命に会ったのは昔のことを理解していなかったからです。
自分の誕生前のことでも強い関心を持ち、客観的に理解することが将来の平和につながると信じています。現在の若い方々へ参考になれば幸いです。(終り)
下に海戦で死んだロシアの将兵の銘板が壁に埋め込んであるロシア海軍の聖ニコライ聖堂の写真を示します。バルチック海沿岸のサンクトペテルブルグ市にあるそうです。出典は、バルチック艦隊のWikipedeaの項目の資料です。