今日は朝から、京王線の幡ケ谷駅のそばの代々幡斎場でお葬式がありました。現在74歳の私は親類のお葬式にでることが多く、伯父伯母や叔父叔母が次々と居なくなり、大げさに言うと誰も居なくなったような感じを受けています。寂寥感を感じます。お世話になった大恩人も死ぬ。先輩も死んで行く。地球が急に広くなり、寒い風が吹きわたっているようです。
今日のお葬式は、私より15才も若い、現役の従弟でした。ある大きな電気会社で半導体の開発をしていた技術者でした。副社長が葬儀委員長をしていて、「世界的にみても斬新な半導体を多種多様、開発し、会社へ大きな貢献をしてくれた」と話していました。弔辞の話は褒めることになっていますが、話半分にしても非常に優秀な技術者だったようです。日米を行ったり来たりして日本の半導体技術の向上へかなりの貢献をしたようです。まだ59歳の現役でしたが、リンパ腺へガンが転移し、入院して直ぐに死んでしまったのです。奥さんが御棺のまわりから離れないで泣いています。立派に成長した息子が2人居ました。
家族が創価学会の会員なので、創価学会の地区長が導師をつとめ、法華経を皆で読みます。仲間が一緒にお経を読み、故人をお釈迦様の所へ送るのです。導師は袈裟を付けないで普通の背広姿です。導師が案内役として参列者のお世話をしています。袈裟を着たお坊さんが導師をする時は参列者が敬意を表し、お世話をします。それが逆なのです。その上、創価学会の仲間が家族の悲しみを背負うようにしています。温かい家族のように遺族を励ましています。
遺骸の周りに、花々をビッシリ詰めたお棺を窯へ入れてから、しばらく故人の母親と話をしました。私がまだ小学生の頃、ご主人になる人とハイキングに行く度に連れていって貰ったことを話しました。当時は大変貴重なコンビーフを河原に座って食べさせてくれたことに感謝しました。そして創価学会の信者としての体験をいろいろ聞きました。
創価学会は簡単に言えば、キリスト教の無教会派によく似ています。お寺や、日蓮宗とも分離、独立しています。仏教をお寺や職業的な僧侶を抜きにして、日蓮様の教義を通して信仰しようとしているのです。
1930年に牧口常三郎さんと戸田城聖さんが作った「創価教育学会」が日蓮宗から分離し、成長して来た独立した宗教法人です。一般の会員は実に誠実な人です。昔、行きすぎた折伏でマスコミを賑わせましたが、最近は穏健な活動をしています。
このような既存の仏教宗派や佛教儀式にはとらわれない信者団体が1930年に出来たのです。やっぱり日本は立派な仏教国なのだという感慨を持ちます。何故か豊かな気分で狭い「井の頭通り」を根気良く車を転がして帰って来ました。
お葬式は出席する度に、地球が広くなって行くように感じます。寂しいものです。しかし生者必滅です。私も間もなく死んで行くのです。それが怖くなくなります。
お葬式は故人の為にすると思われています。しかし実は家族や参列者の為になっているのです。合掌。