後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

武川米という美味しいお米をご存知ですか?

2010年07月31日 | インポート

山梨県北杜市の武川町は数年前までは武川村といい、美味で有名な武川米(農林48号)の産地でした。南アルプスの花崗岩の中を流れ出る豊富な名水を田んぼに流し、根元は冷やして、葉や稲穂を夏の太陽で照らします。そして何故か土壌が美味な米を作るのです。現在は秋田のヒトメボレや新潟、魚沼郡のコシヒカリなどが有名ですが、それと同じように美味です。

甲州街道を甲府、韮崎、と下って行くと、やがけ北杜市に入ります。北杜市に入って1kmくらい走ると牧原交差点の手前500m位のところの右側に武川町農産物直売センターがあります。中に入ると武川米(農林48号)がコシヒカリと共に並んでいます。玄米の状態で購入して、ご飯を炊く前に精米すると香りが良く美味しいそうです。勿論、精米後の白米も売っています。その上、店は珍しい農産物が季節ごとに並んでいます。夏は最後の写真にあるように金糸瓜、バターナツ、そして、ズッキーニ、夕顔や冬瓜、白桃などが美味しいです。勿論、ナス、キューリ、トマト、ニンジン、ジャガイモ、などの普通の野菜も新鮮で安いです。その他に甲州名物のオヤキや八ヶ岳山麓で製造した美味しいソーセージも売っています。切り花の束もお勧めです。甲州街道に面してるので帰りには必ず寄って珍しい野菜を買って帰ります。

韮崎より先の甲州街道へ行く折があったら是非よって地元の野菜をご覧下さい。楽しいものですよ。

055 056 057


孤独死を防ぐブログの役割・・・その一つの実例

2010年07月31日 | 日記・エッセイ・コラム

いろいろな事情で孤独な人がいます。年老いて旅立つとき誰も関心を持ちません。人知れず孤独に死んで行きます。市役所が無縁仏の墓へ埋葬し、供養します。都会では死後、何日もたってから発見されたというマスコミ報道が多いのものです。ご本人は覚悟の上なので他人がとやかく言わない方が良いとも思います。

しかし出来ることなら多くの人々が親切な気持ちから関心を持ち、同情し、勇気付ける方が良いと信じています。不運にも無くなったら追悼の気持ちを故人へ送るほうが良いと信じています。

マザーテレサはインドの路上で孤独死をする貧民を家に入れ、最後の日々だけでも愛情を注ぎ人間らしい生活をさせました。故人のいろいろな信仰に従って追悼式を行ったのです。

このように他人へ親切にしたいという善意は全ての人間が持っています。

天涯孤独な人がブログを書いていたお陰で、多くの他人が見舞いへ行き、勇気づけるメッセージを送り、死後は数多くの追悼の投書を送りました。私も見舞いに行きました。励ましのメッセージも送りました。ブログのお陰で孤独死でなくなったのです。

その実例をご報告いたします。

タイやネパールに25年以上、棲みついてアジアの手織り布の蒐集をしてきたHikarunoさんが昨年暮れに肺ガンになり、東京の病院で抗癌剤の治療を受けていました。しかし5月末頃から連絡が途絶えてしまいました。

現地の人々を愛しながら撮影した写真に感動して、このブログで彼の撮った写真を何度もご紹介してきました。アジアの手織り布の展示会にも3回もお邪魔し、親しくお話も聞きました。心やさしい紳士でした。病院へもお見舞いへ行きました。

亡くなったとは思いたくありません。しかし、ひかるのさんとネットの上で知り合い、何度も入院先の病院へ見舞いに行った「がらくた・おやじ」さんが、5月24日は病室で会えたが、6月10日に行った時は既に居なかったという報告を書いていました。

がらくた・おやじさんは方々へ手を尽くして、ひかるのさんの消息を懸命に探しましたが駄目でした。

そしてがらくた・おやじさんは、ご自分のブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/cbe0061/MYBLOG/yblog.html )、で「星は消えた」と題して(1)から(9まで9編の思い出の記を発表しています。追悼記ではありませんが、内容をよく読んでみると、残念ながら、ひかるのさんは亡くなってしまったと思うようになりました。

そして「星は消えた」(9)、の後に数多くのネット上の友人から情愛あふれる投書が掲載されています。これを見て、私は2つの事実に感動しました。

まず、がらくた・おやじ様の親身のお世話ぶりです。病院に何度も見舞いに行き、いろいろ差し入れをし、ひかるのさんが蒐集したアジアの手織り布を売りさばく努力をしてくれたのです。全くの他人がそのようにして、ネット上で知り合った人を助けたのです。

そしてもう一つは、ひかるのさんへ温かい情愛を感じている人々が多数居ることに感動しました。それは「星は消えた」の(1)から(9)の文章へ対して数多くの投書があったことから分かります。特に最後の(9);http://blogs.yahoo.co.jp/cbe0061/43503147.html (コピー不可能なので、クリックしてご覧ください)の後には数多くの人々から、がらくた・おやじさん対する感謝の投書が寄せられたのです。

そして生前のひかるのさんのブログの7月11日記事として友人から確実な訃報が掲載されました。その訃報へたいして39件の追悼のメッセージが投稿されているのです。http://blogs.yahoo.co.jp/hikaruno_season/36435784.html をクリックするとその39件の追悼の文章を見ることが出来ます。

インターネットの世界は「かりそめの世界」。そんなものに本気になっている奴は馬鹿だ。そんなセリフを何度も聞きました。

しかし、その「かりそめの世界」の中でも、情愛あふれる人間の絆が確実に出来るのです。その絆の重要性が実感出来るのです。ひかるのさんとその周りに集まる人々は強い絆で結ばれているのです。美しいきずなです。私は死ぬまで忘れません。

最後にひかるのさんが小康を得て、一時退院していた時に撮影した江東区のある公園の風景写真をお送りします。合掌。

Img_609489_35815558_81

下は、夫婦の鴨が散った桜の浮いている水面を泳いでいる様子です。Img_609489_35815558_111

(この記事の文章の一部分は7月1日に掲載したものを編集しなおしましたものです。)


ベリリンの壁の崩壊の衝撃の大きさを理解していない日本人

2010年07月31日 | 日記・エッセイ・コラム

1989年のベリリンの壁の崩壊で、1945年の第二次世界大戦終了後から44年間続いた冷戦がアメリカ陣営の勝利で終わったのです。日本の周辺ではなにも変化が無く、北方4島は相変わらずロシアの領土のままです。従って日本人にとっては冷戦の終了はあまり大きな事件と思いません。しかし、ヨーロッパの東部ではロシアは衛星国を失い、ロシアの軍事防衛線が大きく東へ退いたのです。

以下の地図のようにポーランドとエストニア、ラトビア、リトアニアはNATO軍事同盟に加わり、アメリカ陣営になってしまいました。更にその東のベラルーシとウクライナも独立してロシアの衛星国から脱したのです。その結果、ヨーロッパの東部とロシア西部の国境がとても大きく塗り替えられたのです。是非、下記のURLをクリックして新しい国々をご覧下さい。http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=56.57975141889055&lon=22.006962946169054&z=6&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=52.004151275936&hlon=19.007695368044&layout=&ei=utf-8&p=

その結果として、ポーランド北部とリトアニアの間に残ったロシア領のカリーニングラードが本国から切り離されて飛び地になったのです。この飛び地はロシアの軍事要塞として重要な意味があります。

それにしてもこの飛び地は不思議な存在です。そこで少し調べて見ました。歴史的には12世紀後半にカトリックの正式な修道組織として公認された「ドイツ騎士修道会」が布教と領土を求め東ヨーロッパへ侵入したことが原因になっているようです。ドイツ騎士修道会が作った国がプロイセンであり、現在のカリーニングラード付近を東プロイセンと呼ばれていました。第二次大戦の始まる前はドイツの飛び地でした

ロシアがそれを奪ったので戦後はロシアの領地になったのです。

ベリリンの壁崩壊の後で、エリツェン大統領がカリーニングラードをポーランドへ返還しようとしました。しかしポーランドとエストニア、ラトビア、リトアニアはNATO軍事同盟に加わり、アメリカ陣営へ入ろうとしている情報を入手し、ポーランドへの返還を中止し、軍事要塞を自国の防衛の為に保持することになったそうです。

丁度、その頃、北方4島の2島をエリツェン大統領は日本へ返還しようとして橋本首相と交渉をしていました。それが突然中止になったのです。

何故か?私の個人的な想像を記します。ポーランドとエストニア、ラトビア、リトアニアがNATO軍事同盟へ加盟する動きをしたのでロシアは急に警戒を強めたに違いありません。当然、北方2島返還を止め、軍事基地設置を計画したと信じています。

日本では「北方4島返還」と空しく叫ぶ人が多いのも事実です。しかしそれはロシアの西側の東ヨーロッパで何が起きているかを考えないと無駄な叫びになります。

北方4島返還はロシアとNATO同盟軍の動きと密接に関係していると思います。貴方のご意見をコメントととして頂ければ嬉しく存じます。(終り)

下の写真はエストニアの首都リガの風景です。出典は、http://www.tripadvisor.jp/Tourism-g274967-Riga-Vacations.html です。

Oldcityrigavecriga1 Oldcityrigavecriga2