この前の記事は、「チベット系仏教徒の視点に立ったブータンの幸福度」でした。
しかしブータン南部にはネパールから移民した人々が多く、北部のチベット系住民とは対立、抗争の関係にありました。
結果的に多くの難民が発生し、ネパ-ルにはブータン難民が貧困の中に苦しんで居ます。国連や欧米のNPOが援助しています。日本のNPOも援助しています。
ですから、「ブータン難民」をキーワードにして検索して、いろいろな情報をご覧下さい。(一例:http://www.ne.jp/asahi/jun/icons/bhutan/ )
その上で、下にある「ブータン王国、ネパール共和国、チベット、それぞれの幸福度(5)純朴で英明なブータン国王と国際情勢」という記事を再度お読み下さい。
そうするとこの地域の苦悩がもう少し公平にお分かりになると存じます。下の記事の補足として、この記事をお送り致します。下はネパールに居るブータン難民の住宅の様子です。
ブータンの掲げる国家目標は国民の幸福度を向上することです。そして幸福度を支える4本の柱として、1、持続可能な社会経済開発、2、自然環境の保護、3、有形、無形文化財の保護、4、良い政治を進めています。
「良い政治」とは純朴で英明な国王の指導のもとに民主的に運営される国会が中心になって立法、司法、行政、を担当することによって実現しようとしています。
それではここで国王夫妻の写真を見てみましょう。
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下の右の写真は寺院の前の子供達の笑顔です。
皆様、上の写真をご覧になってどのようにお感じでしょうか?
私個人はこの国王夫妻が政治権力を掌握している限り、貧富の格差のない平和な現在のブータンが、少しずつゆっくり経済成長をして行くと信じています。そうなる事を心底からお祈りします。
しかし人口70万人という小国と言えども国内にはネパール系移民も居ますし、さまざまな利害の対立がある筈です。しかもブータンは民族浄化としてこのネパール系住民をネパールへ追い出したのです。いわゆるブータン難民です。これは国際的にも大問題になっています。
しかし国軍と警察が国王に忠誠を誓っている間はブータンは平和です。そのカギになるのは上の写真の国王夫妻の人格なのです。
昨年、日本を訪問したときの映像を見て多くの日本人は国王夫妻の誠実さ、飾らない素朴な態度に感動しました。ですから夫妻の人徳でブータンは幸福な国であり続けるでしょう。
しかしこの小さな国を取り巻く国際情勢には厳しいものです。
ブータンの北にあるチベットは1951年に完全に中国共産軍に占領され、チベットという独立国は消滅したのです。
そして、インドのネール首相が1960年に亡命して来たダライ・ラマ14世と8万人のチべットに北インドのダラムサラに土地を与え、亡命政権が出来たのです。
ブータンの西隣のシッキム王国は流入してきたネパール人が多数になり、1975年の国民投票で国王が追放されたのです。300年続いたシッキム王国が消滅し、シッキム州としてインドの領土になってしまったのです。
その上、シッキムの西にあるネパールも2008年にネーパル共産党毛沢東派が政権を掌握し、国王が追いやられ共和国になりました。ネパールの政治の混乱と民衆の貧困はひどいものです。ネパールから難民として周辺地域へ流れる人々も問題になっています。
ブータン国王はこのような周辺国の混乱が国内に及ばないよういに最近までは厳しい鎖国政策をとってきました。その間、「幸福度」を国家目標にする体制をかため、国連外交を進めてきたのです。国際世論を喚起してブータンの重要性を訴えて来たのです。
そろそろ国を少しずつ開国しようとした結果が、制限された数の観光客の受け入れです。そして笑顔の溢れるブータンを外国人へ見せているのです。それはブータンの国際政策の一部なのです。観光客はすべてブータン国営の旅行会社へ1日あたり250ドルの費用を払い込むシステムになっています。
ブータンは軍事力や経済力で国家の独立を守ることを放棄しました。その代わり「幸福度の向上」で守ろうとしているのです。実に独創的な政策です。欧米諸国がその独創性に好意的です。欧米諸国の支持があり、国内が国王に忠誠を誓っている限り、ブータンは平安な国であり続けるのです。そうあって欲しいと思う日本人もが多いと信じています。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)