後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

和田義男氏のフォトギャラリーから沖縄の花々の写真をご紹介いたします

2012年03月12日 | 写真

明日、「麗しき日本へ送る賛歌(3)沖縄、西表島の悠久なる自然」を掲載予定です。その中で、和田義男さんのフォトギャラリーから沖縄の見事な写真をお借りいたす予定です。

和田さんは数年前から、感動的な写真集を発表されています。

このブログの2010年2月20日に和田義男氏の高画質の「和田フォトギャラリー」をご紹介します と題した記事でご紹介しています。

写真の質が圧倒的に上質です。そして取上げるテーマが和田さんの人生観を物語っているようで興味深いのです。このフォトギャラリーから今日は沖縄の花々の写真をご紹介いたします。

写真の出典:和田義男さんのフォトギャラリーhttp://wadaphoto.jp/japan/oki9.htm)です。

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小澤征爾が教えてくれたオーケストラ演奏の楽しみ方

2012年03月12日 | 日記・エッセイ・コラム

西洋のクラシック音楽の楽しみ方は人それぞれに自由に楽しめば良いのです。楽しく無ければ聞かなければ良いだけです。

私自身はドイツに留学した時以来、退屈なクラシック演奏は指揮者が悪いと思うようになりました。

ベートーベンやモーツァルトやメンデルスゾーンの作曲が退屈感を与えるのではなく、指揮者の音楽の理解とオーケストラの演奏の指導の仕方が私自身の好みに合わないのです。

どういう場合に退屈になるか?指揮者に独創的な譜面の理解の無い場合。そして静かな美しさと強烈な響きの組み合わせが私自身の好みに合っていない場合。この2つです。

退屈な演奏が出てきたら、次の曲まで静かに我慢しています。楽器の音色の美しさだけを楽しんで退屈さをまぎらせています。

こんなクラシック音楽の楽しみ方が、やっぱり良いと思わせるテレビ番組を、一昨日見たのです。その事は、小沢征爾とチェリスト宮田大と水戸室内管弦楽団のテレビ番組に感動!という記事に書いてあります。

その中で、小澤征爾さんの指揮ぶりをテレビが丁寧に写していました。ハイドンのチェロ協奏曲をチェリストの宮田 大さんに小澤さんが指導している場面です。

K_img_render1_2 宮田さんはまだ25歳ですが、チェロの名手で、権威ある国際コンクールで優勝し、チェロのソリストとして外国のオーケストラと何度も共演しています。15歳の時に小澤さんと共演しているのです。

その宮田さんのチェロの引き方が不満で、何度も教え込んでいます(左の写真)。

宮田さんのテクニックは完璧です。楽譜通り正確に弾きます。弦の響きが美しく、非の打ちどころがありません。

それなのに小澤さんが不満なのです。

宮田さんがあまりにも日本的な意味で優等生なのです。自分の独創がないのです。丁寧な弾き方です。それに対して、小澤さんは言います。「宮田さんには大きな問題がある。優等生なのです」「もっと下品にならない程度に思いっきり弾きなさい」「丁寧に繊細に弾くのは勿論重要ですが、そのフレーズは違います!」何度、小澤さんが注文をつけても宮田さんは行儀良く弾いてしまいます。しまいに小澤さんは、もっと下品に下品にと連呼します。

そしてその後、小澤さんは病気が悪くなって水戸での二回目の演奏会を休みます。

宮田さんと水戸室内管弦楽との共演の指揮が取れなくなります。吉田秀和さんが小澤さんの病状が悪いので指揮が出来ません。お帰りなるのもご自由ですが、彼の精魂込めた指導が宮田さんと水戸室内管弦楽団の演奏に反映されています。と集まったお客さんへ説明していました。98歳になる氏が誠意を込めて話します。払い戻しを受けて帰る人もいましたが大部分は演奏を聞いていました。

私は大変感動しました。

小澤さんは期せずして、オーケストラの演奏の指導の内容を示してくれたのです。演奏は指揮者のやり方で如何様にも変えて良いのです。それに不満な楽団員は去れば良いのです。楽団員が去らないのは、指揮者を信頼しているからです。

指揮者は作曲家の作った音楽を自分独自に理解して、演奏を指導し、聴衆を感動させれば良いのです。指揮者の音楽理解は楽団員には及びもつかないくらい、幅広く、深いのです。宗教的理解や哲学的理解が必要な場面がいくつも出てくるのです。その理解を美しい演奏に仕上げなければなりません。

オーケストラの演奏には美しい光景も汚い風景も連想させなければなりません。天使も悪魔も出てきます。光も闇も出て来ます。それが緩急自在に演奏されなければお客さんが感動しません。

お客を退屈させない指揮ぶりこそプロの指揮者なのです。

小澤さんが宮田さんへ、そこのところは下品に弾けと命じたのはその一例です。恵まれた家庭に育ち、若く人生経験の少ない彼にはむずかしいことだったかもしれません。けれど将来きっと素晴らしい演奏家に成長すると人々に思わせる番組でした。命を懸けて指導する小澤さんの姿と、師弟愛を越えた芸術家たちの情熱に感動しました。

Be38388e38393e383a5e383bce3838d20_2 左の写真は2003年の小澤さんがベルリン交響楽団を指揮したときの写真です。

その練習の光景は知りませんが、きっと宮田さんを指導した時のように楽団員の個人、個人へいろいろな注文をつけた筈です。

それが本当の指揮者の仕事なのです。

しかし、そのやり方はNHK交響楽団」には通用しませんでした。小澤さんは1961年にNHK交響楽団と騒動を起こします。

日本人のクラシック音楽の理解の限界を示すような象徴的な事件だったのです。1963年に成立した和解の後に三島由紀夫が感想文を発表します。とても面白い文章なので末尾に示しました。是非ご一読下さい。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

小澤とNHK交響楽団との争いはN響にとどまらず政財界を巻き込む社会問題に発展し、井上靖石原慎太郎武満徹芥川也寸志中島健蔵浅利慶太といった面々が「小澤征爾の音楽を聴く会」を結成し、NHKN響に質問書を提出すると共に、芥川也寸志・武満徹・小倉朗といった若手音楽家約10名が事件の真相調査に乗り出した。小澤は活動の場を日本フィルに移し、翌1963115日、日比谷公会堂における「小澤征爾の音楽を聴く会」の音楽会で指揮。三島由紀夫は『朝日新聞1月16付朝刊に「熱狂にこたえる道」という一文を発表し、

「日本には妙な悪習慣がある。『何を青二才が』という青年蔑視と、もう一つは『若さが最高無上の価値だ』というそのアンチテーゼ(反対命題)とである。私はそのどちらにも与しない。小澤征爾は何も若いから偉いのではなく、いい音楽家だから偉いのである。もちろん彼も成熟しなくてはならない。今度の事件で、彼は論理を武器に戦ったのだが、これはあくまで正しい戦いであっても、日本のよさもわるさも、無論理の特徴にあって、論理は孤独に陥るのが日本人の運命である」

「私は彼を放逐したNHK楽団員の一人一人の胸にも、純粋な音楽への夢と理想が巣食っているだろうことを信じる。人間は、こじゅうと根性だけでは生きられぬ。日本的しがらみの中でかつ生きつつ、西洋音楽へ夢を寄せてきた人々の、その夢が多少まちがっていても、小澤氏もまた、彼らの夢に雅量を持ち、この音楽という世界共通の言語にたずさわりながら、人の心という最も通じにくいものにも精通する、真の達人となる日を、私は祈っている」 と概括した。