武蔵野のおちこちに雑木林が少し残っています。どんどん歩いて行くと雑木林の向こうに人家が全然見えない所へ出ます。周りは木々だけです。山奥に入ったような神秘的な気分になります。
数日前に、そんな所を散歩していたら、フト今年も復活祭が近づいてきたと思いました。
そうしたら昔、偶然行ったサレジオ学園の教会のことを思い出しました。下がその教会の塔です。そこで学園の生徒達と一緒に参加した復活祭のミサのことを思い出しました。何故か印象深く、忘れられません。いろいろな事情で親と離れてサレジオ学園に住んで居る子供達です。
キリスト教の根本は愛とよく言われます。ミサに出ていた子供達を神様が愛しています。イエス様が愛しています。サレジオ学園の神父様達が愛しています。そんな事を考えながら復活祭のミサに参加した事を思い出しました。
天におられる神様は地上にいる全ての人間が好きなのです。本物の神父様は近づいて来る全ての人々が大好きなのです。
宗派も洗礼にも関係なく大好きなのです。ですから私はそのような神父様が大好きです。その上にいるローマ法王もその上にいる神様も大好きです。これがカトリックの信仰というものです。自分の通っている教会の神父様に「愛されている」と確信出来るのです。
ですから本物の神父様は洗礼の有無に関係なく全ての人々に優しく、親切です。
洗礼を受けてない人々を差別する神父さんがいたら、それは本物では有りません。
信者は神父様の知識の広さは問題にしません。神父様が初対面の人をどれだけ大切にしているかを注意深く見ています。初対面の人をどれだけ好きになっているかを見ています。それこそが信仰の深さの尺度なのです。
皆様は、マザーテレサがインドの都会の街路で孤独に死にそうにしている人々を屋内へ運びこんで、優しく見とってあげていたことをご存じと思います。その崇高な働きはヒンズー教徒からも支援されて来ました。ノーベル平和賞も受賞しました。
マザーテレサはインドの貧民も大好きなのです。愛していなければ出来ないことです。
左の写真は1981年にローマ法王のヨハネ・パウロII世が日本に来た時の写真です。
キリシタン殉教の地、長崎へ巡礼に行きました。
その折に長崎教区の神学生を神父に叙階する式をしてくれたのです。神学生の頭の上に手を置いて、叙階をしている写真です。
ヨハネ・パウロII世は世界中を巡り、イスラム教や仏教との和解に努めました。
昔のカトリック教会の宗教裁判の間違いを反省しました。
数百年に一人しか出ないと言われた感動的なローマ法王でした。
残念ながら、2005年4月2日に84歳で亡くなりました。
そして、日本の仏教の偉大な僧侶を考えてみます。弘法大師は全国をめぐり歩き、井戸を掘ったり、温泉を見つけたりしました。全ての人々を愛し、助けようとしたのです。大師様の「慈悲の心」はお釈迦様の慈悲の心です。
ですから宗教の根本は全ての人々がお互いに愛することなのです。
少なくとも私はそのようにしたいと思います。出来る出来ないは別にして。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。後藤和弘(藤山杜人)