後藤和弘のブログ

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中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

大震災後に見た人間の美しさ(2)アメリカ海兵隊、米軍の迅速な救援を絶対に忘れない!

2012年03月19日 | 日記・エッセイ・コラム

もう随分昔の話ですが、海兵隊の人と話したことがあります。勇猛で怖い顔をしていましたが意外に礼儀正しく、陽気です。海兵隊独特の俗語まじりの特殊な発音で話します。

第二次大戦でサイパン島、硫黄島などへ上陸してきて、激しく抵抗する日本軍を下し、島を制圧したのが海兵隊たちなのです。その勇敢な戦いぶりに敵ながら天晴れと思っていました。第二次大戦前に生まれた老人たちはアメリカ軍の海兵隊には特別な思いを持っていると思います。憎んでもいましたがその勇気には一目置いていたのです。

その勇猛果敢な海兵隊が、大津波の直後に、気仙沼市の離れ島の大島へ上陸しました。瓦礫の広がる岸壁に整列し、黙祷を捧げたのです。

その後、孤立していた島民へ飲料水や救援物資を届けたのです。

そして瓦礫整理のために240名位の海兵隊兵士が大島に展開し、1週間の野営生活を始めたのです。瓦礫整理は丁寧でした。思い出のアルバムや食器、道具類は泥を洗ってキチンと整理していたのです。その光景には多くの日本人が感銘を受けていた筈です。

その1年後、大島救援隊を指揮した司令官がテレビで回想していました。島民の冷静な態度に感動したそうです。半壊の家の持ち主が、ブルドーザーで撤去してくれと頼んだ時には、その諦めの良さに感銘を受けたと話していました。

下の写真は大島沖20kmに展開している強襲揚陸艦エセックスの演習中の写真です。左の小型航空母艦のように見える艦艇がエセックスで、その胴体の中には、下の写真にあるような上陸用舟艇を積んでいるのです。この上陸用舟艇に救援物資やブルドーザーなどの重機を満載し、沖合のエセックスから発進し、1時間かけて大島の浅瀬から兵員や救援物資と重機類を陸揚げしたのです。

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大島への強行上陸したときの様子と、瓦礫撤去の仕事ぶりを、一緒に上陸した読売新聞の中島健太郎記者が詳しく書いています。2011年4月4日の読売新聞の1ページと3ページ目です。記事の文章は従軍記風に臨場感あふれる名文です。読む人の胸を熱くさせます。

このエセックス強襲揚陸艦は3月11日の大津波の時、沖縄の基地を離れ、演習でマレーシアに居たのです。津波発生と同時に非常呼集をかけ三陸沖へ向かったのです。

アメリカ海兵隊と言えば太平洋戦争でさんざん日本軍がやられた一番憎い敵部隊でした。それがこうして日本人を助けているのです。太平洋戦争ははるか怨讐の彼方になったのです。

アメリカ海兵隊は1年前に、東北地方の被災地全域に展開して野営を続けながら、瓦礫整理をしてくれています。気仙沼市、大島だけではありません。海兵隊は上陸作戦の橋頭保確保という一番つらい仕事をします。津波の被災地でも瓦礫整理という汚れ役を引き受けています。

(東北地方の津波被災地で活躍しているのは海兵隊だけではありません。多くの自衛隊、海上保安庁、消防隊、そして感動的なボランティアの人々が働いています。皆等しく献身的な働きをしています。この記事で海兵隊の事だけを取り上げたのは、それらの一つの実例として書いたのです。どうぞご了承下さい。)

大津波に襲われた仙台空港の滑走路の瓦礫を取り除き、たった5日間で、再び輸送機が着陸出来るようにしたのはアメリカ軍と自衛隊の共同作業でした。特に沖縄から来た海兵隊は大活躍したようです。

そして横田基地から救援物資を満載した輸送機が着陸したのです。これにより東北地方の救援物資の輸送が迅速に流れだしたのです。

まだ空港の外には瓦礫がある中を、米軍輸送機が土煙を上げて着陸する姿を見て、仙台出身の私の胸が熱くなりました。下の写真は全く別の写真ですが、土煙をあげて着陸している様子が仙台空港の滑走路と似ていましたのでWikipedeaからお借りしました。

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アメリカ軍の大規模で、多岐にわたる救援活動は毎日のように新聞で報道されています。

昨年、2011年の4月1日の読売新聞の一面には、「日米、不明者を一斉捜索」と題した記事では米海軍と海上自衛隊と海上保安庁の艦艇が一斉に三陸沖、仙台湾、福島沖に展開し海上に流れ出た生存者や遺体の発見に従事するのです。

特に三陸沖にある空母・ロナルド・レーガンからはヘリ20機を飛ばして海上の捜索に当たるのです。艦艇は15隻ていどが展開し、捜索にあたります。

その他に、同じ2011年4月1日の読売新聞の28ページ全面を使って、「日本の力に眠らぬ艦船」、と題した記事では米軍の救援活動の全てを紹介しています。特に普天間基地の海兵隊の港の瓦礫撤去や水・食料の輸送が感動的に書いてあります。強襲揚陸艦エセックスやトーテュガの活躍が報告されています。

2011年3月28日までの米軍の活動は出動艦艇19隻、航空機133機、人員18000人、輸送した救援物資240トンとなっています。

私はこのような在日米軍の献身的な救援活動に深い感動を覚えます。胸が熱くなります。日米が戦後65年間、えいえいと培って来た友情の温かみが感じられます。嬉しい事です。救援活動にあたっている全ての米軍将兵へ深い敬意と感謝の意を表します。

下の写真はWikipedeaの「アメリカ第七艦隊」の項目からお借りしました。

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今日は東北地方の津波被災地で活躍してくれた海兵隊、多くの自衛隊、海上保安庁、消防隊、そして感動的なボランティアの全ての人々へ深い敬意を表します。その全ての方々のご健康をご多幸をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)