(写真の出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C)
地球46億年の歴史は弱肉強食の歴史でした。そして弱肉強食は動植物界に限らず、民族間でも同じでした。強い民族が栄え、弱い民族は消滅するのです。
民族の消滅はその民族が使っていた言語の消滅で判断出来ます。例えばアイヌ人の血を受け継ぐ人々が現在日本には23000人余が居ると言いますが、アイヌ語を日常使う人は絶えました。ですからアイヌ語は事実上消滅したと言っても大きな間違いではありません。言葉が無くなったので、アイヌ文化は消滅したと考えても良いわけです。固有の文化が消滅すれば、その民族が消滅したとも考えることが出来ます。
2009年に本部がパリにある国連教育科学文化機関(ユネスコ)が世界にある6000前後の言語のうち2500言語が消滅の危機にあると発表したのです。
日本ではアイヌ語、八丈語、奄美語、国頭語、沖縄語、宮古語、八重山語、与那国語の8言語が消滅危機言語に指定されたのです。
このユネスコの調査、研究では、全世界にある6000程の言語を対象にして、538語をきわめて消滅の危機にある言語、502言語を重大な危機にある言語、などなどと分類し、合計2500言語が消滅の危険にあると結論しています。
また、1950年以降に消滅した言語が219語あることも判明したのです。
最近では2008年にアラスカ州のイヤック語が、最後の話者の死亡で途絶えたのです。
アイヌ語については話し手が15人いるとも言いますが、日常使っている人は殆ど居ないのが実態です。これは財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構(札幌市)もこの実態を認めています。
さて、八丈語と琉球語の奄美語、国頭語、沖縄語、宮古語、八重山語、与那国語などを、日本人は日本語の方言と考えています。
しかし国連教育科学文化機関(ユネスコ)は国際的な基準だと独立の言語と扱うのが妥当だと主張しているのです。沖縄の人と日本人は話し合っても通じ合わないのですからやっぱり独立の別な言語と考えたほうが自然なのかも知れません。
それはそれとして、現在世界にある6000前後の言語はそのうち2500程が消滅して3500前後の言語になるようです。多様な民族文化が消えてしまうのです。
この現象は生物界の絶滅危惧種と似ているようです。良いことか悪いことか考え込んでしまいます。
人間界の文化も弱肉強食と考えると淋しい限りです。
皆様はどのようにお考えでしょうか?(終り)
松本市から長野電鉄で梓川沿いに島々まで行き、更にバスで急峻な山道を行くと、神秘的な大正池が眼前に広がります。
大正池から河童橋まで上高地特有の樹林の中に散策路が続いています。
歩いていると何故か神々しい空気が流れ、夢幻的な境地になります。
上高地を私がはじめて訪れたのは1959年、23歳の時でした。有明温泉から燕岳、大天井、槍、南岳、大キレット、北穂、と縦走し、徳沢へ降り、梓川を下って来て、はじめて上高地へ入りました。
その時の驚愕的な感動は生涯忘れられません。
その後仕事と生活に追われ上高地を再び訪れることが出来ませんでした。上高地は心の中の憧れの地として、遠い、遠い夢の土地になってしまったのです。
老年になってようやく物心に余裕がでました。それ以来何度も上高地を訪れるようになったのです。毎年行っても何時も最初に行ったときの感動がよみがえって来るのです。帝国ホテルに泊まり、河童橋から上流に遡り徳沢の途中まで歩いたこともあります。
昨年も、7月1日、梅雨空の下で、上高地を散策して来ました。曇天の平日のせいか河童橋には人影がまばらでした。ゆっくり大正池や田代池の景観を楽しみました。
曇りだったので写真は鮮明でありませんが下にその折の写真をお送りします。
ホトトギスやウグイスの声が林間に木霊しています。ハルゼミのこの世の声とは思えない鳴き声が夢幻の世界へ誘ってくれます。
そんな梅雨時の上高地をご想像しながら写真を楽しんで頂ければ嬉しくおもいます。今年も是非、訪れたいと思います。
そして更にその下には2010年7月5日に訪れた時の写真も掲載いたしました。晴天ですとこんなにも印象が変わります。
合わせてお楽しみ頂ければ嬉しく思います。
麗しき日本を讃えるためには上高地を抜きにすることは出来ません。
皆様にとって上高地とはどのような場所でしょうか?
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
・上は前穂高岳の雪渓です。
・上は河童橋を下流から見た風景です。
・河童橋の上流にある明神岳です。ある年の晴天の日にこの河原で家内と持参の弁当を楽しんだことを思い出します。