愛という言葉を見ると、多くのご婦人がたはバラの花束を連想します。恋人や夫から貰ったときの喜びを思い、ニッコリします。
恋人や夫から「愛しているよ」と言われた場面を思い出して楽しくなります。幸せな気分になります。愛という言葉は素晴らしい力を持っています。
しかし多くの日本の伝統的な男性にとっては何故か自分の気持ちにピッタリした表現でないと感じます。何か ギクシャクした表現なのです。ですから日本の男性はこの言葉をなるべく使うとしません。恋人や奥さんに「愛していると言いなさい」といわれてから使います。(若い人は違うでしょうが)
それは当然です。この言葉が男女の間で頻繁に使われるようになったのは明治維新以後のことです。言語としては奈良時代からあるのですが、口に出して言うのには異和感があるのです。
要するに西洋文化が土足で上陸して来たような言葉なのです。そして愛という言葉を用いた熟語が沢山できました。
博愛主義、郷土愛、師弟愛、愛国心、兄弟愛、愛玩、愛読書、愛飲、愛煙家、などなどです。
神は人々を愛するとも使います。しかしお釈迦様は人々を愛するとは言いません。お釈迦様は慈悲深いと言います。
ですから日本人にとっては「愛」という言葉がいま一つピンと来ないのです。ピンとは来ないのですが、この言葉を用いると雰囲気が良くなるのでしばしば用いています。
意味があいまいですが、心地良く響く場面が多いのです。博愛主義、郷土愛、師弟愛、などはその例です。
ところが「愛国心」となると場面が暗転します。日中戦争から第二次世界大戦に続く暗黒時代を思い出す人々が多いのは事実です。当時の新聞やラジオは狂気のようにこの愛国心を振り回したのです。
私は「愛国心」という言葉をしばしばこのブログを使います。するとそれは日本の中国などへの侵略を肯定することになると誤解する方々が多いのです。吃驚ですが、その感情は理解できます。私の「愛国心」は「日本を大切に思う心」を意味しているのです。どうぞ誤解しないようにお願い申し上げます。
それはそれとして、私は「愛する」を「大切にする」という言葉に時々置き換えて使っています。郷土を大切にする心、日本を大切にする心、それが郷土愛、そして愛国心です。判りやすいのですが何か不十分な気分になります。
話は飛びますが、大船渡市で病院を経営している山浦さんという方が、キリスト教の福音書を日本人が分かるように翻訳し直しました。聖書によく出て来る「愛」という言葉を一切排除して「大事にする」という言葉に訳しました。とても判り易い聖書になりました。感動的です。
しかし、どうでしょうか?世の中の女性はそれで満足でしょうか?恋人や夫が「あなたを大事にします」といったら満足するでしょうか?「フン、それは当たり前だわ」と笑うでしょう。やっぱり「あなたを愛しています」と言われたいのです。
そうです。「愛」という言葉にはもっと深い、そして複雑な意味があるのです。この言葉を使う時にはあまり明快にその意味を説明しないで使う方が良いようです。
何せ「愛」という言葉は日本語として定着し、多くの人々が好んで使う言葉になっています。それを排除したり、拒否したりしないほうが自然な生き方です。少なくとも私はそう思っています。
今日も皆さまのご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)