後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

私は70歳になってやっと幸せとは何か判りました!

2012年03月16日 | 日記・エッセイ・コラム

過ぎ去った日々を思い返ると、その当時とは違う感慨におそわれることが多いものです。

私は引退後に自分の人生を振りかえって、当時とは違った感じかたを持つようになりました。

現役の間、引退後の自分を想像していました。仕事も一切無くなり淋しいだろう。仕事仲間と一緒に飲んだり談笑する機会も無い。仕事しか興味が無くて趣味もない。暇が出来ても遊び方を知らないので毎日なすこともなく、無為の日々が流れて行くだけだ。まあ、このように考えていました。

ところが、70歳で仕事を一切止めたら、毎日がパっと明るくなって楽しくなってしまったのです。大げさに言えは「歓喜の日々」が流れだしたのです。

兎に角、仕事の為にと、したいことも我慢して来たがその必要がなくなるのです。頭の上の暗雲が突然消えてしまったような気分です。

職場が無くなるので上司に気を使う必要が一切無くなります。傲慢な自分にとってそれだけで万歳と叫びたくなったのです。

引退までは、他人に自慢出来るような趣味を持っていないと信じていました。仕事一筋が美しい人生という風潮の時代に働いてきたのです。それで趣味を趣味と認めたくなかったのかも知れません。

山林の中の貧しげな小屋へ細々と通うことなど趣味として他人へは言えない。中古のヨットを、よたよたと帆走させることは自慢出来ない孤独な楽しみだ。その上、現役の間、友人もあまり居ないと信じていたのです。

それが、現役を引退し、数か月過ぎてみると考え方がすっかり変わってしまいました。

それらは立派な趣味だと考えるようになったのです。その上、ネットの上で多くの友人が出来ました。

これらの友人の掲載記事や公開日記を読んで、毎日コメントを交換しています。

従来は仕事仲間としか付き合っていなかったのです。ところがネットの上での友人は年齢、性別、職業がいろいろあって考え方が非常に違うのです。自分の視野が広がり、とたんに世間が広がったような幸福感に包まれます。

毎日が楽しくなります。自分だけが老年を楽しんでいるではありません。高齢者の人々が書く随筆や日記を読むと、皆が明るく楽しそうにしているのです。どなたも自分の昔の職場の思い出は書きません。

人間は嫌なことは忘れてしまいます。それが老年の歓喜の日々につながるのでしょう。

しかし老年になれば肉体は衰え、病気にもなります。親しい人や恩人が次々と先に旅立って行きます。世の中が淋しくなります。しかし、「ものは考えよう」です。先にあの世へ旅立つ親しい人々や恩人は我々が淋しい気持ちで日々を過ごしていたら決して喜ばない筈です。それ以上に子供や孫のような若い世代も淋しい老人は見たくない筈です。

それだからこそ、明るく楽しく日々を過ごす方が良いと信じています。このように書いている自分があまりにも楽天的なのかも知れない。しかし家人もまったく同じ考えだと言います。

下の写真のような、陽春の陽に輝く山中湖の水面を見つめながら考えた文章です。

皆様のご意見は如何でしょうか?   110


温室はもう春まっさかり・・・ランとベコニアの写真をお送りします

2012年03月16日 | 写真

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撮影場所;都立神代植物園、温室内、ランの室とベゴニアの室(アクセス: 京王線調布駅 バス10分 JR中央線三鷹駅あるいは吉祥寺駅から バス25分)


北海道、羅臼町と和歌山県、太地町を比較して考える

2012年03月16日 | 日記・エッセイ・コラム

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上は羅臼町のホエールウオッチングの風景です。羅臼地方ではクジラやイルカやシャチを観光客へ見せて経済的に潤っています。ですからクジラやイルカやシャチは食べません。

昔の食料難の時代には食べていたに違いありません。

下は和歌山県の太地町のイルカの追い込み漁で獲ったイルカです。この地方では現在でも食用に売っています。その収入で潤っています。それも地方文化の一つなのです。

日本にはいろいろな地方があり、特色のある地方文化があるのです。

それぞれの地方文化を尊重し、お互いに大切にする事が重要な考え方と私は思っています。

私自身は戦後の食糧難の時代にクジラ肉を沢山食べました。ですから太地町の人々へイルカを食べるなと言う資格はありません。

皆様はこういう問題に対してどのようなご意見をお持ちでしょうか?

下の写真の出典はWikipedeaの「フェロー諸島Hvalbaで追い込み漁により捕獲されたタイセイヨウカマイルカがフォークリフトで運ばれるている光景」の写真です。上の写真は羅臼町のホエールウオッチングの写真集からお借りしました。

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愛国心と地球を大切に思う心(4)絶滅危惧種を守る世界的な運動

2012年03月16日 | 日記・エッセイ・コラム

人類の歴史は弱肉強食の歴史です。弱い民族は滅ばされ、消滅してきました。現在でも、アメリカに敵対する国家は滅ぼされます。その国家の政治体制が消滅します。

ですから自然界で消滅する種類の動植物があるのも当然です。

あるひとは、「絶滅危惧種などという流行語に乗って騒ぎまわる人々は現実無視の夢想家です」「そんな事は無視するのにかぎります」と言います。

しかし人間の強欲と環境破壊の故に絶滅の恐れがある動植物が急増しているのです。最近という意味は、産業革命から現在までを意味します。特に、第二次大戦後のアフリカ諸国やアジア諸国の経済発展によって環境破壊に拍車がかかってきたのです。

1960年頃にあるイギリス人がアフリカの動植物を観察し危機感を持ちます。そうして絶滅危惧種のリストを作成し、一方では「世界自然保護基金」(World Wide Fund for Nature 略してWWF)を設立します。日本支部もあります。WWF・ジャパンと言います。

このWWF・ジャパンはインターネットで大々的に寄付を集めています。日本人の会員を集めています。小額の寄付で会員になれます。子供や若者をターゲットにしてWWF・ジャパンの拡大と「絶滅危惧種」の保護の重要性のキャンペーンをしているのです。絶滅危惧種の実例は、ヤンバルクイナ、エトピリカ、ウミガラス、コウノトリ、トキ、ワシミミズクなどからミヤコタナゴ、イタセンバラなどの魚類、そしてシラン、サクラソウ、クマガイソウ、エビネなどの植物の合計82種におよびます。下にその順序で写真を示します。

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1960年頃から始まった絶滅危惧種の保護運動を日本の官庁が取上げるようになったのは1990年代からです。環境庁と水産庁が絶滅危惧種のレッド・リストを作成しました。そして各地の都道府県もレッド・リストを作って絶滅危惧種の保護運動を展開しています。

さて、このような風潮は「地球を大切にする心」が基底にあり、その故に根深く、長続きすると思います。雑な言い方をするとそれは21世紀に世界を席巻する一大思想になると予想されます。20世紀には共産主義と資本主義が対立しました。宗教と科学の対立もありました。

しかし21世紀には「地球の自然保護思想」と「地球の自然保護より経済発展重視の思想」の対立になるでしょう。若い年代の人々は自然環境保護思想を持っています。中年の現役の人や老人は経済発展重視の思想を持っています。

私は老人ですから経済発展を重視してきました。しかし最近は若返って自然保護思想にも染まっています。矛盾した思想の両方を持っているのです。

0025 私が絶滅危惧種の保護思想へ転向したキッカケは左の写真にある黒サイの密猟を知ってからです。

アフリカに残り数千頭しかいないクロサイを密猟して、その角を高価な漢方薬の原料として売り飛ばすのです。ベトナムへ売るのです。ベトナムで漢方薬にして景気の良い中国へ売るのです。

アフリカの住民が飢えのあまりクロサイを殺して肉を食べるなら、まだ許せます。肉はそのままにして角たけ切り取って、持ち去るのですから、やりきれないのです。以前から象牙細工の為にアフリカ象やマルミミ象を密猟していたのです。その上、クロサイまで殺しはじめたのです。

どうしたら良いのでしょうか?あなたは何かクロサイを絶滅から守る方法が思いつくでしょうか?暗然たる気持ちですね。

地球を大切にしたい心は多くの人々が持っていると信じています。しかし具体的に何をしたら良いのかが大変難しい問題なのです。人類に残された最大の難問です。しかしこの難問を真剣に考えることが解決への第一歩になると私は信じています。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)