後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

暗く寒い農家に上がり込んで冬の厳しさを体験して来ました・・・原発廃止のために

2012年03月04日 | 日記・エッセイ・コラム

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この冬は寒さが厳しく、梅の花の開花も遅れています。太陽の射さない曇り日は気温が4度や5度どまりの日々が続きます。

電気やガスを節約するために、なるべく一室だけ暖房をして暮らしています。しかし、もっと暖房にお金をかけようという考えも起こります。廊下もトイレも常時温かくしたいのです。

ところが今日の午後にフト思い出したことがありました。昔の農家にはイロリ以外に火の気が無かったのです。そのイロリも夜になって夕食の味噌汁を作るときにしか薪を燃やしません。いつも火を焚いていたら薪がアッという間に無くなってしまうのです。

そこで小平ふるさと村にある昔の農家の座敷に上がり込んで、しばらく坐ってみました。

障子が開け放ってあるので外に坐っているのと同じです。風が少し弱いだけです。坐っているうちにブルブル震えだしました。縁側から出て、囲炉裏のある台所の方へ回ってみました。薪が燃えていません。炭火の熾きが灰に埋めてあり、そばに「薪をくべないで下さい」という看板が置いてあります。成程、これでは寒い筈です。

008 そうです。薪はすぐに燃え尽きるものなのです。

私の山の小屋で薪ストーブを時々炊きますが、驚くほどの薪を消費するのです。

ですから暖房を薪に頼ったら日本の山々が剥げ山になってしまいます。

しかし一部屋だけを、ガスや灯油を燃料にした暖房で日本中が我慢すれば日本のエネルギー事情が一変すると思います。電力暖房は原発による発電の必要性へ繋がります。

福島の原発の爆発からもう一年がたちます。日本中の住宅で冬は一部屋だけの暖房で我慢すれば原発は不要になるのです。現在、日本にある54基の原発のうち52基が止っています。事故や定期検査で停まっているのです。動いている2基も定期検査で間もなく止まります。

兎に角、原発をすっかり止めても電力はなんとか間に合うのです。

ここで国民が節電に努力すれば電力に余裕も少し出てくると思います。

昔の農家の寒さを想像しながら節電の努力をするのも悪くない。そんな事を考えながら「小平ふるさと村」と歩き回ってきました。今日の散歩でした。(終り)


バラの花束を格安で売っている店をご紹介いたします

2012年03月04日 | うんちく・小ネタ

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003_2 甲州街道を西に走り、韮崎市を通過すると北杜市の武川町に入ります。さらに西に走ると白州町の台が原宿を通過します。すると左に曲がると横尾に入る交差点があり、その交差点を過ぎてすぐ左手に白州道の駅があります。

その白州道の駅の中に「食彩館エブリ」という大きなスーパーがあり、その正面入り口を入ったところの右下に何時もバラの花束を売っています。

10本以上のいろいろな色のバラの花が一束299円です。一年中いつも299円なのです。茎の長さが短いことと花が少し小ぶりなことが格安な理由でしょうか? 

兎に角、北杜市の山の小屋に行く度に、毎回必ず買ってきます。

昔、家内の誕生日にはバラの花束を必ず贈ったことを思い出しながら、その高価さと比較すると感動的な格安さです。

甲州街道の白州道の駅の前を通ったら、ためしに是非お買いになって見て下さい。ガラスの花瓶のほうの写真は二週間前の日曜日に、そこから買って来たバラの今朝の様子です。二週間たってもこんなに新鮮なのです。尚、上の写真は一週間前に買って来たバラの花です。ちょっとした買い物の情報でした。(終り)


お雛祭り、はまぐり、ニューヨークの牡蠣

2012年03月04日 | 日記・エッセイ・コラム

結婚生活、茫々50年。それでも毎年変わらず続けているものに雛人形を飾り、チラシ寿司を食べ、はまぐりのお吸い物を楽しむことがあります。

新婚のころは家内が実家から持ってきた何段もある棚に赤い毛氈をかけて見事な内裏さまや官女や五人囃子を飾っていました。しかし次第に面倒になって来て、下に示すような小さなものに変わってきました。何よりも出したり仕舞ったりが簡単にできるのです。

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昨日の私の仕事はハマグリを買いに行くことでした。郊外の大型鮮魚店へ行くと房総半島の海岸でとれたハマグリと中国産のものと並んで売っています。価格が大変違います。両方買って来て、砂を吐かせ、お吸い物を2つ作りました。房総産のものが圧倒的に美味です。中国産のものは食するのを止めて、次の日に濃い味のクラム・チャウダーに仕立てることにしました。

そこで深く考えて見ました。何故、味が違うのか?

昨年、広島の宮島で食べた焼いた牡蠣の豊潤な美味しさを思い出しました。

厳島神社のある大きな島の森林の栄養分が牡蠣を養殖している海へ流れ出るから美味なのです。

牡蠣がそうならハマグリもホタテもアサリもシジミも近辺に大きな森があって栄養分を供給しているか否かによって味が変わる筈です。

そして何年も前にニューヨークのオイスター・バーで塩とレモン汁をかけて食べた大粒の牡蠣の美味しさを思い出しました。それは生涯忘れられない圧倒的な「美味」なのです。

そんなことを思い出して、寝て、朝起きたら、朝刊に「森は海の恋人」という本を書いた畠山重篤さんの記事が出ていました。彼は気仙沼湾で貝の養殖をしています。森を大切に育てると近辺のホタテやカキが美味しくなるというのです。

今日の記事で、彼がカーランスキー著、「牡蠣と紐育」という本の書評を書いています。読売の13ページです。

簡単にいえばハドソン川が流れ出るニューヨーク湾の牡蠣は大粒で美味しいという話です。そして畠山さんが機会を得て、オイスター・バーの牡蠣を食べてみるのです。そしてその味が鉄の柱をなめたような味だったと不思議な書き方をしています。

それはそれとして、今日の結論を書きます。中国産のハマグリが美味しくないのは獲れた海岸のそばに大きな森が無かったに違いないということです。私の想像ですから間違っているかも知れません。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)