後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

早春の風物詩・・・瀬戸内海の「くぎ煮」の到来

2012年03月03日 | 日記・エッセイ・コラム

ああ、今年も間もなく春がくるのだなあ。と、深くうなずくことに「くぎ煮」の到来があります。

今年は寒い冬で、関東地方の梅はやっとチラホラ咲きだしたばかりです。

本当に春がくるのか心もとないの思いをしていましたら、昨日、神戸の友人から「くぎ煮」が届きました。毎年、毎年送って下さいます。

友人の母親が瀬戸内海の須磨沖でとれ始めた、まだ小さい「いかなご」を丁寧に煮上げたものです。

ショウガと煮たものとサンショと煮たものと2種類届きます。

ショウユとサトウが多すぎず、しっとりとした上品な味です。

作っている方も品の良い方なのだろうとお人柄がしのばれる味です。

くぎ煮の写真を示します。サンショ味とショウガ味です。

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この友人は鈴木裕さんといいます。

神戸に住み技術士事務所を開業している鈴木裕氏です。 日産自動車から数年前にスピンアウトして事務所を開設したベンチャー起業家です。ものづくり産業とサービス産業の経営者へマーケティング戦略と技術問題解決の助言をする事務所です。 筆者がある役所に依頼されベンチャー起業促進の手伝いをしていたころ彼と一夕お酒を共にしました。数年前の名古屋の夜の街でした。

「何故ニッサンを辞めて独立するのですか?」「自分らしい人生を送りたいためです」「自分らしい人生とは?」「国際自動車競技ライセンスを持った日本で唯一の技術士です。その趣味を広げ多くの人へラリーの面白さを広げたいのです」実に明朗闊達で、情熱にあふれる黒い目が印象的でした。 

筆者とは親子ほど歳が違うがすぐに友人になりました。彼のブログのURLは;http://blog.suzukiyutaka.com です。

それはそれとして、日本の各地には季節の風物詩のような昔ながらの食べ物があります。秋田県の冬の風物詩はハタハタ鍋とキリタンポ鍋です。そのような季節の風物詩のような食べ物をいろいろ思い出しながら、今年も須磨のイカナゴのくぎ煮をゆっくり味わっています。間もなく春が来ると信じつつ。(終り)


ブータン王国、ネパール共和国、チベット、それぞれの幸福度(6)ブータンとネパールの手織布文化

2012年03月03日 | 日記・エッセイ・コラム

アジアに30年以上住みついて手織布や天然染色の布を蒐集して来た方にhikarunoさんという方がいました。2年ほど前の5月に肺癌で急逝した方です。

素晴らしい遺産を遺してくれたのです。「インド ブータン アジアの布・染色美術館」hikaruno: http://asiancloth.blog69.fc2.com/というブログです。

インドやブータンそして他のアジアの国々の豊かで奥の深い布文化の写真集です。

古い布を見つめて、手に取ってみると、昔のアジアの人々の温かい心を感じることが出来るのです。彼が亡くなる前に私へも3枚のブータンの布を送ってくれました。

今日はブータンやネパールの人々の幸福という問題を、政治から離れて、その布文化の視点から考えて見ましょう。

以下にhikarunoさんのブログから順にブータンの男性の着物のゴや女性のキラや風呂敷などに使われる手織布の写真を示します。材料は野生の蚕から紡いだ絹や木綿で、すべて天然染色の古い布です。

写真の下の説明文は、hikarunoさんの文章をそのまま転載しました。

そしてその下にはネパールでチベット難民が織っているチベット絨毯の写真を示します。説明文も転載しました。

ブータンの豊かな布文化に比べると、ネパールの布文化が少し寂しいのが なんとなく分かるような気がいたします。

手織の布や絨毯から人々の心を感じて頂ければ嬉しく思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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ブータンの古い織物を見ていると、人間の心が大事にされていた時代だということがわかる。物やお金に左右されることなく信仰や自分の世界に没頭できる幸せな安定した社会、そんな生活がないと、生まれる織物の世界ではない。器用さとか技術を超えて、訴えるもの、人間の心に与えてくるものが多い。織物が心の表現になっている。普通の人が、織物の世界を通して、自分の心や願いをこめていくことで別の世界が生まれてくる。それは、織る人の予想を超えたものだろう。それが百年を経ても、人の目をひきつけるのである。

http://asiancloth.blog69.fc2.com/blog-category-18.html

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ネパールでチベッタン・カーペットが織られるようになったのは、中国によるチベット侵略によって、難民となったチベット人がネパールにやってきてからのように思われる。25年前に私がカトマンズにやって来た頃には、チベッタン・カーペットはネパールの重要な産業のひとつになっており、パタンのザウラケルあたりの作業場でも、チベッタン・カーペットを織っている人たちの姿をよく見かけたものである。
このカーペットビジネスで大金持ちになったチベット難民も多い。手に確かな職を持っていれば、どこでも生きていけるという証明だ。その頃は、まだ決まったパタンのものしか織られていなかったが、この頃ではヨーロッパ人業者がデザインを持ってきて、モダンな図柄のものを織らせることが多くなったようだ。畳3畳大くらいの大きさだ。値段も結構張る。湿気の多い畳のある日本の住居には、ダニなどもわき易く、合わないようだ。寒い田舎の冬場には畳1畳大のチベッタン・カーペットは重宝するかもしれない。最近のマンションの板敷きのモダンライフには、ネパールのモダンな図柄も合うかもしれないが、すぐに飽きが来るような気がする。伝統の図柄には適わないだろう。
高価なものを好む日本の金持ちの眼はペルシャ・カーペットの方に向いてしまうようだ。織りの細かさ、カーペットの耐久性では、どうしてもペルシャ・カーペットには敵わないようだ。
私のカトマンズの部屋にもチベッタン・カーペットを敷いているが、カトマンズの住居の床は、大半コンクリートだから、絨毯なしでは、冬場はしんしんと冷え渡り、とても生活できたものではない。
街中では、チベッタン・カーペットを肩に担いで売り歩く村の人たちの姿もよく眼にする。寒さ避けに使用するには、タメルあたりのカーペット屋で売られているものより安いし、充分である。近頃では、カトマンズ郊外の村に行くと、カーペット用の毛糸を紡いだり、カーペットを織っている農民たちも多い。ほとんど女たちの仕事だ。生活するためには、現金の必要になってきた村の生活では、貴重な現金収入になっている。昔から機織の盛んだったネワール族の里では、カーペットを織る音がよく聞こえてくる。
布を織ることから、カーペット織りへの転換はスムーズに行われたようだ。
25年前のキルティプールの街の中は、機織の音がいたるところで聞かれたが、今ではそれがカーペット織りに変わってしまった。寂しい気もする。

それでなくても乏しい布文化のネパールである。

http://asiancloth.blog69.fc2.com/blog-category-41.html(続く)