後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

心臓が凍るような思いがする奥只見湖観光

2012年08月01日 | 日記・エッセイ・コラム

奥只見湖へ行き、遊覧船で優雅に湖上を巡航します。そして船上から山々の緑を楽しみます。山奥の湖の観光としてありふれた楽しみ方かも知れません。

特に奥只見湖は福島県、群馬県、新潟県の県境の山奥にあるので自然が美しく、空気も水も清浄です。息をしているだけで生き返るような気分になります。

下は一昨日遊覧した奥只見湖の風景です。

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湖上の遊覧船は銀山平という所から出て、ダムサイトの船着き場が終点でした。

この奥只見地方には昔、銀山があったのです。

この観光の為に今回は折立温泉から長さ22kmの奥只見シルバー・ラインという道路を登りました。

驚いたことにはこの道路の大部分の18kmが岩山を必死でくりぬいたトンネルなのです。所々コンクリートで補強した所がありますが、掘り抜いた跡が残るトンネルもあるのです。

天井が低く、トラックがやっと通れるようなトンネルが延々と続いているのです。その上照明用の電燈が暗いのです。

一見してこのトンネルは観光のためのものでなく、奥只見ダム建設用に掘ったものであるとすぐに分かりました。

長い冬の豪雪のなかでもダム建設の資材を運び上げるトンネルです。

そのトンネル掘削は1954年に始まります。延べ180万人の作業員で3年かけて1957年に完成したのです。犠牲者は44人でした。

そんな歴史を思い出しながら、暗いトンネルを登る車の中で私は暗澹たる気持ちでした。心臓が凍るような感じでした。

トンネルの様子を車上から撮りましたが暗過ぎて写真になりません。そこで下に掘り抜いた岩盤が湖の岸に露出している場所の写真を示します。

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固い岩(上)と崩れやすい岩(下)がトンネル工事の困難さを示しています。

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こんなに苦労して作った奥只見水力発電所はたった58万キロワットの発電量しか無かったのです。同じ頃に完成した黒部川第四水力発電所もたった33万キロワットだったのです。

現在の原子力発電所は一基で普通100万キロワットの発電をします。それを4基並べるのが普通ですから原発1ケ所で400万キロワット位は簡単に発電出来るのです。原発の魅力の誘惑に負けてしまった電力会社の人の気持ちが理解できます。

技術進歩の歴史を振り返ってみると隔世の感を深くします。

下の図面は日本の総発電量の推移を示したいます。

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奥只見水力発電所が計画された1950年のころは発電と言えば水力しか考えられなかったのです。他に小規模な石炭火力発電所がありましたが大部分は水力発電だったのです。

石油燃料の火力発電が総発電量の半分以上になったのは1970年の頃なのです。水力発電が重要だった時代は1970年に終わったのです。

このように産業の技術は年年歳歳どんどんと変わって行くのです。

原発の爆発で再び水力発電へ注意が向けられるようになったのも時代の変化です。感無量です。

そんなことを考えながら奥只見湖の観光をしてまいりました。(終り)


越後の旅の悲しみと歓び

2012年08月01日 | 日記・エッセイ・コラム

越後の国は米どころで、豊かな国と言われています。山あいには沢山の温泉が湧き出し、旅心を誘います。

越後、魚沼市の山沿いの折立温泉、「ゆのたに荘」に2連泊して来ました。

石川雲蝶の見事な彫刻が沢山あるお寺を2つと、豪農の家を見物し、奥只見湖を遊覧船で渡りました。3日目には越後湯沢高原へロープウエイで登り、花畑や高原の湿地帯を散策してきました。

旅行けば、いろいろと心が乱れるものです。

住んでいる人々の生活の苦しみ。時代の移ろいの悲しみ。老人だけが残った村落の淋しさ。などなどが悲しい想いを掻き立てます。

そしてそれとはあまりにも対照的な美しい自然の風景。息をのみ込み、重畳と連なる山並みの広がり。高原の花畑の華麗さ。それは歓喜の瞬間です。

越後の魚沼地方はコシヒカリを産する水田が一面に広がっています。しかしそれだけしか産物が無いのです。長い冬には豪雪で家々が埋まってしまいます。子供や若者が見えません。夏は猛暑です。誰も居ない田圃に太陽だけが容赦なく照りつけています。あくまでも明るいのに何故か心が暗くなります。

周囲の山肌には客の来なくなったスキー場に夏草が茂っています。時代のうつろいで寂れてしまったスキー場が儚さを感じさせます。

しかし流石に湯沢高原のスキー場は夏でも子供連れの観光客で賑わっています。

100人乗りのロープウエイがお客を沢山、標高1000メートルの高原へ運び上げます。山上の駅に降り立てば、目の前に一面の花畑が広がっています。

越後三山の八海山や谷川連峰が碧く光り、その上に純白の夏雲が輝いています。

無料の巡回バスが峯の上の洒落たレストランへと往復しています。高山植物園へも何度も往復しています。高原湿地帯には水草の茂った美しい池が周囲の山々を映しています。

湯沢高原は子供連れの若い夫婦が楽しげにしています。喜んでいます。子供達の歓喜の笑い声が木霊しています。

遥かに見降ろす魚沼盆地の生活の厳しさとはあまりにも対照的なのです。

しかしそれも一瞬の輝きです。すぐに冬がやって来て、めっきり客足の減った閑散としたスキー場にカラカラとリフトの音が終日響いているのです。

旅行けば本当にいろいろと心に想いが湧いてきます。私は余計なことを考え過ぎていることに気がついて、美しい風景だけを無心に眺めることにしました。

もう二度と来ない湯沢高原の風景を心に刻みます。

そんな風景写真を下にお送りいたします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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ところで折立温泉とは本当に何も無い所です。営業している旅館が2つあるだけで、お土産店も無いし、賑やかな温泉街など一切ありません。周囲は水田が広がり、稲の匂いが夏風に乗ってくるだけです。

それでも山沿いにあるので蝉の声が無聊を慰めてくれます。

そして露店風呂が最高に良いのです。弱アルカリ質で、サラサラとした肌触りの澄んだ源泉が豊かに流れています。しかも38度と低めの温度です。ぬるい鉱泉に漬かっているような気分です。涼しくなれば室内の熱めの浴槽に漬かります。そして又外の風呂を楽しみます。

全くの野性的な露天風呂なのいで、アブとブヨを追い払いながら長い時間漬かっていると本当に気分が爽快になります。露天風呂には何故かお客がいつも少ないのです。

家内の入った露天風呂にはヘビも居たそうです。宿の主人がアブとブヨには注意しなさいと言いましたが、ヘビは無害なのです。

下にその露天風呂の写真を示します。

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