奥只見湖へ行き、遊覧船で優雅に湖上を巡航します。そして船上から山々の緑を楽しみます。山奥の湖の観光としてありふれた楽しみ方かも知れません。
特に奥只見湖は福島県、群馬県、新潟県の県境の山奥にあるので自然が美しく、空気も水も清浄です。息をしているだけで生き返るような気分になります。
下は一昨日遊覧した奥只見湖の風景です。
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湖上の遊覧船は銀山平という所から出て、ダムサイトの船着き場が終点でした。
この奥只見地方には昔、銀山があったのです。
この観光の為に今回は折立温泉から長さ22kmの奥只見シルバー・ラインという道路を登りました。
驚いたことにはこの道路の大部分の18kmが岩山を必死でくりぬいたトンネルなのです。所々コンクリートで補強した所がありますが、掘り抜いた跡が残るトンネルもあるのです。
天井が低く、トラックがやっと通れるようなトンネルが延々と続いているのです。その上照明用の電燈が暗いのです。
一見してこのトンネルは観光のためのものでなく、奥只見ダム建設用に掘ったものであるとすぐに分かりました。
長い冬の豪雪のなかでもダム建設の資材を運び上げるトンネルです。
そのトンネル掘削は1954年に始まります。延べ180万人の作業員で3年かけて1957年に完成したのです。犠牲者は44人でした。
そんな歴史を思い出しながら、暗いトンネルを登る車の中で私は暗澹たる気持ちでした。心臓が凍るような感じでした。
トンネルの様子を車上から撮りましたが暗過ぎて写真になりません。そこで下に掘り抜いた岩盤が湖の岸に露出している場所の写真を示します。
固い岩(上)と崩れやすい岩(下)がトンネル工事の困難さを示しています。
こんなに苦労して作った奥只見水力発電所はたった58万キロワットの発電量しか無かったのです。同じ頃に完成した黒部川第四水力発電所もたった33万キロワットだったのです。
現在の原子力発電所は一基で普通100万キロワットの発電をします。それを4基並べるのが普通ですから原発1ケ所で400万キロワット位は簡単に発電出来るのです。原発の魅力の誘惑に負けてしまった電力会社の人の気持ちが理解できます。
技術進歩の歴史を振り返ってみると隔世の感を深くします。
下の図面は日本の総発電量の推移を示したいます。
奥只見水力発電所が計画された1950年のころは発電と言えば水力しか考えられなかったのです。他に小規模な石炭火力発電所がありましたが大部分は水力発電だったのです。
石油燃料の火力発電が総発電量の半分以上になったのは1970年の頃なのです。水力発電が重要だった時代は1970年に終わったのです。
このように産業の技術は年年歳歳どんどんと変わって行くのです。
原発の爆発で再び水力発電へ注意が向けられるようになったのも時代の変化です。感無量です。
そんなことを考えながら奥只見湖の観光をしてまいりました。(終り)