第二次世界大戦の後で、連合国側は東京裁判とニュルンベルク裁判で主要な戦争責任者を有罪にし、そのうち何人かを死刑にしました。
東京裁判では被告28人のうち東條英機さんら7人が絞首刑、16人が終身刑でした。ニュルンベルク裁判ではボルマンら12名が死刑になりました。
現在の日本人はその程度の理解をしています。
しかし東京裁判とニュルンベルク裁判の終了後に、それとは別に、BC級戦犯の裁判と処刑が続いたのです。
日本のBC級裁判では被告5700人に対して死刑987人、無期刑475人、有期刑2944人という判決が出ました。日本ではこのBC級裁判は短期に終了しました。
そのため、このBC級裁判は拙速を極め、無実の罪を問われた人も多かったのです。
一方、ドイツにおける裁判がニュルンベルク裁判のあと連綿として長期間、続き、処刑されたり、有罪になったドイツ人は非常に多かったのです。
その研究はドイツ現代史の研究者の清水正義氏によって発表されています。
以下に引用しましたのでお読み頂き、日本とヨーロッパにおける戦犯の取り扱いの相違をお考え頂ければよいと思います。私の感想はいずれ記事に書いてみたいと思います。
今回は日本とドイツに於けるBC級戦犯の簡略な比較資料のみをお送りいたします。
====日本のおけるBC級戦犯==========
出典は、「我が家のホームページ」(http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TR7.HTM)です。
BC級戦犯
日本人のBC級戦犯への裁判は、1945年(昭20)10月から '51,4月まで、米、英、
仏、オランダ、オーストラリア、中国、フィリピンの7か国、49の法廷で実施さ
れた。総件数2244件、被告5700人といわれ、裁判の結果、死刑984人、
無期刑475人、有期刑2944人をかぞえた。 《「角川日本史辞典」より》
BC級戦犯裁判で有罪に問われた韓国・朝鮮人軍属は148人(死刑23人)、
このうち129人は連合国軍捕虜の監視要員だった。彼らは日本軍の最末端に位置
付けられ、上官の命令に従わざるを得ない立場だったが、日本の戦争責任を肩代わ
りさせられる形で個人責任が問われた。 《中日新聞 2009.8.15記事から》
======ドイツにおけるBC級戦犯========
ドイツにおけるB,C級戦犯の裁判と処刑はどうだったのでしょうか?
「現代史研究者清水正義のホームページ」
http://www.geocities.jp/dasheiligewasser/qanda/BCWarCriminalsTrial.htm
ドイツではA級戦犯、B・C級戦犯という呼称はなく、主要戦争犯罪人と(単なる)戦争犯罪人という言い方をします。そこでここでは、主要戦争犯罪人を裁いたニュルンベルク国際軍事裁判以外はすべて、いわゆる日本で言うB・C級戦犯裁判と考えて回答いたします。
ドイツでの(B・C級)戦犯裁判について日本での研究例はあまり多くありませんが、次の文献はヨーロッパ諸国内での反ナチス裁判について興味深くまとめています。
野村二郎『ナチス裁判』(講談社現代新書)
ドイツ語を読める人には基本的なものを2点あげておきます。
Adarbert Rueckerl, NS-Verbrechen vor Gericht. Versuch einer Vergangenheitsbewaeltigung (Heidelberg,1984).
Albrecht Gaetz, Bilanz der Verfolgung von NS-Straftaten (Koeln, 1986).
さて、ドイツにおける戦犯裁判は米英仏ソの4占領国によるものの他、それ以外のヨーロッパ諸国で行われたものがあります。
まずアメリカによる裁判ですが、ニュルンベルク国際軍事裁判が終了した後、同じ場所でアメリカ占領軍によるニュルンベルク継続裁判が行われます。この裁判は全部で12件ありましたが、そこではSS隊員、国防軍将校、医師、外交官、裁判官、企業家など合計184名が被告になり、うち24名が死刑、20名が終身刑、98名が有期刑、35名が無罪、7名が病気その他で審理除外となっています。アメリカによる裁判はこれ以外にご指摘のダッハウ裁判があります。この裁判ではダッハウをはじめブーヘンヴァルト、フロッセンビュルク、マウトハウゼンなどの強制収容所関係者が裁かれました。このうちダッハウ強制収容所員に対する裁判では被告40名中、36名が死刑判決で、うち32名が執行されています。ダッハウ強制収容所が解放される直前にSS隊員は逃亡を試みていますが、なお所内にとどまっていた所員は米軍により逮捕されました。ダッハウでは捕虜に対する生体実験が行われていましたが、これに関わった軍医も逮捕され死刑判決を受けています。以上のニュルンベルク継続裁判、ダッハウ裁判を含めアメリカ占領地区全体で被告1941名、うち324名死刑、247名終身刑、946名有期刑、367名無罪、57名不起訴となっています。
イギリスの裁判はヴェネツィア裁判、ハンブルク裁判、アウシュヴィッツ裁判、ベルゲンベルゼン裁判などがあり、全体として英軍事法廷では1085名の被告中240名が死刑になっています。その他の量刑については不明です。
フランスの場合はノイエブレム裁判、ナッツヴァイラー裁判などがあり、2107名被告中、104名死刑となっています。この他にフランス国内での戦犯裁判があったようですが、詳らかにしません。その他の量刑については不明です。
ソ連については詳細な数字が明らかになっておらず、ソ連占領地域、ソ連国内でどの程度の戦犯裁判が行われたのかはよく分かりません。一方、1950年代初頭にソ連のジューコフ将軍が東ドイツ政府に対し1万名の有罪者を刑に服させるため移送させると通告し、同時期、3432名の抑留者が東ドイツに犯罪行為調査のため移送されています。東ドイツでは裁判の結果、全員が有罪となり、うち32名に死刑判決が下されています。ただ、私の推測ではソ連による戦犯裁判の人数は以上の程度に収まるものではないと思います。
以上が4占領国による裁判ですが、それとは別にヨーロッパ諸国でドイツ戦犯裁判が行われています。例えばポーランドでは1977年までに5358名が有罪を宣告され、同様にベルギーで75名、デンマークで85名、ルクセンブルクで87名、ノルウェーで81名、オランダで240名が有罪者となっています。また、ご承知のように1961にイスラエルでアイヒマン裁判が行われ、死刑に処せられています。ところで、ナチス犯罪の場合、このような諸外国による戦犯裁判の他に、ドイツ、オーストリア国内でも裁判が行われています。まずドイツでは1992年までの数字でナチス犯罪で有罪になった数は6488名を数え、オーストリアでは1972年までに、1万3607名有罪、うち43名死刑(30名執行)、29名終身刑、他有期刑となっています。
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