後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

原爆を落とした敵を絶対に許さない!・・・そして戦争の残虐性を忘れない!

2012年08月03日 | 日記・エッセイ・コラム

Kusyuatmic061

上は長崎に落とされた原爆の写真で下は破壊された浦上天主堂の残骸です。

P10l1

今年も広島と長崎に原爆が落とされた夏の日が巡って来ます。

広島の原爆記念碑に「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と書いてあるそうです。しかし犠牲になった人々の家族の気持ちは「原爆を落とした敵を絶対に許さない!」ではないかと思います。そして可能ならアメリカへ復讐し、怨をはらしてやりたいと感じるのが自然です。
「あやまちは繰返しませぬから」とはどういう意味なのでしょうか?自分から真珠湾攻撃をし、アメリカへ戦争を仕掛けたので原爆が落とされたのです。ですから真珠湾攻撃はあやまりだったのです。もう二度と戦争を仕掛けません。こんな意味にも解釈できます。こんな自虐的で、偽善的な文章は私は嫌いです。

単純に、「この残虐な原爆投下を忘れない」と書くべきではないでしょうか?

それはそれとして、今日もまた「我が家のホームページ」を開いて、丁寧に見ました。

是非、皆様にも丁寧に見て貰いたい2つの項目を下にご紹介いたします。そして戦争とはどういうものか深くお考え頂きたいと思います。

2項目とは、(1)第二次大戦による日本人戦没者の数の一覧表と、(2)明治維新以来に起きた虐殺事件の数々と犠牲者の数です。

(1)の戦没者の部分では特に東南アジアや中国、満州、樺太、千島列島における民間人の犠牲者の数を注意してご覧下さい。

(2)の虐殺事件では日本軍だけでなく敵が日本人を虐殺した事件も注意してご覧下さい。(この項目は転載しません。「我が家のホームページ」を是非直接ご覧下さい。)

そしてご感想やご意見をお送り頂ければ有難いと存じます。

=============================

以下の出典は、「我が家のホームページ」http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TRY4.HTM からです。

(1)戦 没 者 の 数  

先の大戦は西太平洋の島々を含むアジア全域に及ぶ広大な戦域において長年にわたって続けられた苛烈な戦争であった。この戦いにおける国内外の戦没者は軍人軍属、一般邦人合わせて約310万人といわれている。

これらの戦没者のうち日本本土以外の海外各戦域(硫黄島、沖縄を含む)における戦没者は約240万人(軍人軍属約210万人、一般邦人約30万人)と公表されています。

主要地域別戦没者数一覧

A 軍人・軍属・一般邦人を含む一覧

日 本 本 土    700,000

小  笠  原     15,2000

沖     縄    186,500朝     鮮     53,500

台     湾    41,900

満     州    245,400

中 国 本 土    465,700

樺太・千島・アリューシャン  24,400

アッツ島     2,6000

ソ  連  邦     55,000

硫  黄  島    21,900

南  鳥  島      857

中部太平洋諸島    247,000

マーシャル諸島     7,790ギルバート諸島     5,214

フ ィ リ ピ ン    518,00

タイ、マレー、シンガポール    21,000

タ     イ     7,00

イ  ン  ド    30,000

アンダマン ・ ニコバル     2,400

蘭印(インドネシア)     31,400ス マ ト ラ     3,200

ボ ル ネ オ     18,000    

小スンダ・西部ニューギニア  82,600     

東部ニューギニア   127,600

ビスマルク諸島     30,500     

ビスマーク・ソロモン諸島    118,700

セ レ ベ ス     5,500

モルツカ     4,400

ソロモン 諸 島     88,200

仏     印     12,400

ビ  ル  マ    164,500     

ジ  ャ  ワ     6,500

================ 

総   数  3,100,000(概数)      
(うち海外   2,400,000)

大東亜戦争中は米英の捕虜は多数処分されたのです・・・戦争の現場を知ろう!

2012年08月03日 | 日記・エッセイ・コラム

太平洋戦争は大東亜戦争とも呼ばれました。アジアにある欧米の植民地を開放するという理想も含まれていたのです。

その理由もあって日本軍は欧米の捕虜に対して過酷な処分をした場合があったのです。勿論大部分の捕虜は無事返還されたのです。太平洋戦争では、 合わせて約13 万人に上る米兵が日本の捕虜となりました。この米軍捕虜のうち10%以上が収容先で死亡したのです。この数字は、第二次大戦中にドイツ軍の捕虜となった米兵の死亡率 4% をはるかに上回ります。

それはそれとして、戦争の現場を知る為には以下の一覧表が良いと思い、お送りする次第です。

======================「バターン死の行進」(19424)◆降伏米比軍7万人を徒歩行軍、

以下の出典は、「我が家のホームページ」http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TRY4.HTM からです。

「香港戦における英軍捕虜処分」(19411218)◆香港戦における

             投降英軍兵士に対するいくつかの殺害事件  

「バリスト・スロン捕虜殺害事件」(1942122) 捕虜150名処刑                 

「アレクサンドラ病院事件」(1942214) 英軍軍医、看護婦、

                       患者を200名殺害   

   米兵2330人を含む7-1万人行進中死亡    日本軍による

=====「捕虜洋上処分」===================                                    

(1943316) 駆逐艦秋風、移送中の外国人抑留者約60

             全員を洋上で処刑

(19431214) 110潜が英商船を撃沈し救命ボート、

             筏の乗組員を銃撃。55名を殺害。 

(1944222) 伊37潜が英商船を撃沈し救命ボート、

             筏の乗組員を銃撃。被害者数不明。

(1944326) 伊8潜が蘭船を撃沈し、生存者98名を艦上で

             処刑。

(1944329) 伊26が米商船を撃沈し救命ボート、筏の乗組員     

             を銃撃。被害者数不明。 

(19443)   重巡利根が英商船「ビハール号」を撃沈した

             際、揚収した生存者60名を甲板で処刑。 

(194472)  伊8が米商船を撃沈した際、揚収した

             生存者96名を甲板に放置し、急速潜行。