後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

夏雲の写真を撮って来ました

2012年08月02日 | 写真

今日は朝から青空に白い夏雲が流れています。

その白い雲の写真を小金井公園まで行って、撮って来ました。陽はあくまでも明るく射していますが、何故か淋しい感じがします。足早に秋がやって来ているような感じがします。お楽しみ下されば嬉しく思います。

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越後、魚沼地域の農村の花々

2012年08月02日 | 写真

魚沼市の折立温泉に泊ったおりに、近所の農村を散歩しながら撮った花々の写真です。4日前に撮りました。冬はすごい豪雪の里ですが夏には花が華麗に咲いています。お楽しみ下されば嬉しく思います。

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マスコミのオリンピック報道の欠陥!毎日悲しい思いをしています

2012年08月02日 | 日記・エッセイ・コラム

オリンピックは国際的なスポーツ競技の大会なのです。

従って全ての種目の競技の様子を国籍差別無しで公平に報道すべきです。

それなのに、日本人でメダルを取った選手だけをテレビは大きく報道します。家庭の事情まで詳しく知らせます。

しかし、その種目の1位は誰で、2位から下の選手も紹介すべきです。そして出た記録も紹介すべきです。日本選手以外は無視してしまってはそのスポーツの全体像が分からなくなります。

全ての種目についてスポーツ競技としての全体像が分るように報道すべきです。

スポーツに関心のある日本人は皆不満に思っている筈です。マスコミの担当者は皆がスポーツ音痴なのでしょうか?

例えば、私の趣味はセーリングです。しかしセーリングに関するテレビ報道はありません。カヌーもボートの結果も報道がありません。

新聞のスポーツ欄の下の方に日本人選手の出ている種目の結果は小さく出ています。しかし日本人選手の順位と得点しか書いてありません。

私はセーリングが趣味なので何メートルの艇長のヨットがどのくらいの速度で走って、誰が一位になったかを知りたいのです。特にヨットは日本人が最下位になりがちなので報道では無視されます。私は日本人が何故ヨットに弱いかにも関心があります。その理由の解説もありません。

メダルを取った日本人だけがテレビに出て来るオリンピックの報道ぶりに悲しい思いをしています。

スポーツの面白さを知ろうとしない心が悲しいのです。

日本人だけの活躍に関心のあるその狭量な心が悲しいのです。

困ったものです。皆様はどのようにお考えでしょうか?ご意見を頂ければ嬉しく思います。


夏だ!夏の楽しみ方のいろいろ

2012年08月02日 | 日記・エッセイ・コラム

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上と下は全て3日前に湯沢高原で撮った写真です。

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この日は夏まっさかり。抜けるような青空に白い夏雲が浮かんでいます。標高1000mの湯沢高原でも暑くてたまりません。しかし風が乾燥していて、気圧が高いので体調がめっぽう良いのです。

高原の奥に高山植物園があるといいます。元気いっぱいで行ってみました。

上の写真のように高原の池があります。

畔には上から2番目の写真のように、三角屋根の洒落たレストランがあり、木陰に木製のテーブルが出ています。昼食が出来るようです。周りには下の写真のような花々が咲いています。

緑濃い木々の下のテーブルに座って昼食です。と、なんとメニューにはラーメンしかありません。この暑いのに熱いラーメンしか無いのです。その窓口でカキ氷も売っています。仕方が無いので熱いラーメンとイチゴのシロップをかけたカキ氷を注文して食事にしました。

冷たいイチゴ味の氷を何十年ぶりかに口に含むと、途端に昔の夏の楽しい思い出が生き返ってきます。家内もカキ氷を食べながら昔の味ですねと言います。

そこで夏の楽しみ方のいろいろを考えました。楽しみ方は人それぞれです。しかし子供の頃、学生時代、新婚時代、子連れ時代、子離れした中年時代、老年時代と夏の楽しみ方が変わるようです。

人々は猛暑の夏を思いっきり楽しみます。活動的になります。友人や家族と一緒にワイワイ繰り出します。海へ山へ。それも楽しいのですが一つだけ私の楽しい夏を書いてみます。

それは我々の子連れ時代の夏です。家内の実家は東京にあるので、夏は車で仙台にある私の実家へ帰省しました。

当時は元気だった父母が孫の顔を見て喜ぶのです。そして仙台の近辺の海水浴場や奥松島の宮戸島へ海水浴へ行きます。昔からの知り合いのおじさんの家により、茹でたシャコの御馳走になります。おじさんが櫓を漕いで、嵯峨渓を海の上から案内してくれます。

そして父母と一緒に蔵王山に車で登ったり、温泉に浸かったりします。作並温泉や秋保温泉にはよく行きました。不思議な定義温泉という所にも行きました。ある時代の落武者が開いた貧しげな温泉です。

こんな夏の折々にあちこちでイチゴのシロップをかけたカキ氷を食べたものです。家内も一緒に食べました。

この帰省が楽しいもう一つの大きな理由があったのです。それは仙台へ帰省すると妻が別人のように淑やかになることです。夫や子供を途端に大切にします。言葉も礼儀正しく、優しくなるのです。ようするに最高に良い嫁だと言わんばかりに猫をかぶって演技をするのです。

私の父母は良いお嫁さんだと絶賛します。しかしそれはすべて演技なのです。

それが証拠には帰りの車が白河を越えると妻が途端に威張りだすのです。白河の関の向こうはミチノクで別世界だから諦めているそうです。

父母が亡くなるまで何年も夏になると白河の関の向こう側での楽しい夏を過ごしたものです。

皆様のお嫁さんはあなたの実家で途端に淑やかになりませんか?猫をかぶって演技しませんか?

人生は短く儚い「邯鄲の夢」といいますが、それでも楽しいことも少しはあるのです。

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上は高山植物のエーデルワイスの花でず。

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上はキスゲの花で下は高山性のマーガレットの花の一種のようです。

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それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。

後藤和弘(藤山杜人)