後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

今日は昭和天皇と香淳皇后の御陵に参拝して来ました

2012年08月29日 | 写真

武蔵野御陵は八王子市の西の郊外で、高尾に近い森の中にあります。

石を積上げた円形墳です。昭和天皇と香淳皇后の御陵の西隣には大正天皇と貞明皇后の多摩御陵もあります。

車道の参道は長い並木道になっていて、車で走っていても何となく神々しい感じがします。

広い駐車場に車を置いて、そこからは長い長い砂利を敷いた参道を歩いていきます。

何時行っても数人の参拝者が静かに参道を歩いています。

今日は歩きながら昭和という時代のことをあれこれ追想しました。昭和が終わってもうすでに24年も経つのです。月日の流れの早さに驚きながら歩きました。森からはつくつく法師とミンミン蝉の合唱がいつまでも聞こえていました。

写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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藤田嗣治と戦争画・・・彼はやはり軍国主義者だった

2012年08月29日 | 日記・エッセイ・コラム

016_4 藤田画伯は第二次大戦中に軍国主義者として沢山の戦争画を描いたのです。

戦争中は陸軍美術協会理事長に就任し、他の画家に率先して戦意高揚のための油絵を沢山描いたのです。父や義父が陸軍の中将や大将であったので自然軍国主義者になったのだと思います。

しかしその思想は別にして絵画には力強い傑作が揃っていると思います。

先日、NHKのテレビの日曜日美術館で彼の戦争画の特集がありました。

そのテレビ画面をデジカメで撮った写真をお送りします。平和な現在の心理では目をそむけたくなるような場面が多いのです。しかし良く見て戦争の恐ろしさや非人間性を深く心に刻み込みたいと思います。戦争は藝術さえその道具にするのです。

以下にもう少し詳しい資料を添付します。

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藤田 嗣治(ふじた つぐはる、Léonard FoujitaまたはFujita, 1886年11月27日 ? 1968年1月29日)は東京都出身の画家・彫刻家。現在においても、フランスにおいて最も有名な日本人画家である。猫と女を得意な画題とし、日本画の技法を油彩画に取り入れつつ、独自の「乳白色の肌」とよばれた裸婦像などは西洋画壇の絶賛を浴びた。エコール・ド・パリ(パリ派)の代表的な画家である。

藤田嗣治は、1886年(明治19年)、東京市牛込区新小川町の医者の家に4人兄弟の末っ子として生まれた。

父・藤田嗣章(つぐあきら)は、陸軍軍医として台湾や朝鮮などの外地衛生行政に携り、森鴎外の後任として最高位の陸軍軍医総監(中将相当)にまで昇進した人物。

義父は陸軍大将児玉源太郎である(妻は児玉の四女)。また、義兄には陸軍軍医総監となった中村緑野が、従兄には小山内薫がいる。このように父や義父が陸軍の中将や大将であったので自然軍国主義者になったのだと思います。

第二次世界大戦が勃発し、翌年ドイツに占領される直前パリを離れ再度日本に帰国した。

フランスに長らく暮らし欧米の事情に通じていた藤田とて、緊迫の一途をたどる当時の政治情勢に逆らうことはできず、日本においては陸軍美術協会理事長に就任することとなり、戦争画の製作を手がけ、『哈爾哈(ハルハ)河畔之戦闘』『アッツ島玉砕』などの作品を書いたが、敗戦後の1949年この戦争協力による批判に嫌気が差して日本を去った。また、終戦後の一時にはGHQからも追われることとなり、千葉県内の味噌醸造業者の元に匿われていた事もあった。

1949年にフランスに逃げた藤田は、1955年にフランス国籍を取得(その後日本国籍を抹消)、1957年フランス政府からはレジオン・ドヌール勲章シュバリエ章を贈られ、1959年にはカトリックの洗礼を受けてレオナール・フジタとなった。

1968年1月29日にスイスのチューリヒにおいてガンのため死去した。遺体はパリの郊外、ヴィリエ・ル・バクルに葬られた。日本政府から勲一等瑞宝章を没後追贈された。

==以上の文章の出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E7%94%B0%E5%97%A3%E6%B2%BB==

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人間の優しさと深い悲しみを感じさせる散歩道をご紹介いたします

2012年08月29日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログでは何度も書きましたが、私は墓地が何となく好きで、よく散歩に行きます。

墓を大切にしている人々の優しさが感じられます。静かです。晩夏の蝉の声が木々の上のほうから降り注いできます。

昨日は府中市の浅間山の麓にある慈恵院という禅宗のお寺の墓地を散歩して来ました。

驚いたことにその広い墓地は全て犬や猫のお墓で埋め尽くされているのです。このお寺は1921年に造られ、完成すると同時に犬猫専門の墓地を作ったのです。

家族の一員として愛された犬や猫のお墓です。人間のうるわしい優しさと深い悲しみを感じさせる散歩道なのです。

家族として一緒に暮らした犬や猫は人間より短命で、先に旅立って行きます。何故か子供のお墓のような可愛さがある墓石が並んでいます。

墓地には何人もの人間が花束や線香を手に持って、悲しそうに歩いています。若い禅宗の修業僧も墓地の掃除をしています。

墓地の空気には人間の優しさと、先に逝ってしまった家族を偲ぶ悲しさが入り混じった不思議な空気が流れています。

昨日、散歩して来たお寺と、その裏にある墓地の写真をお送りします。

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上がお寺の正門です。この左手に犬や猫の葬儀一式の相談を受ける窓口があり何でも親切に相談に乗ってくれます。私も少し話を聞いて来ました。

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お寺の裏に入って行くと墓地が広がっていて、全てが犬や猫のお墓です。

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上は個別のお墓です。多くの墓に花々が供えてありました。

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上は合祀墓です。花で埋まっています。見ている間にも2組の家族が花束を供えていました。

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上と下は墓の写真です。このお寺には専用の火葬場もあり、遺体を家庭まで引き取りに来てくれます。広い「ドッグラン」の場所もあります。詳しくは、http://www.jikeiin.jp をご覧下さい。

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散歩から帰った私は家内へこの墓地の話をしました。

2,3日前のテレビの「日曜美術館」で藤田嗣治の戦争絵画を沢山見た彼女が言います、「何と幸せな犬や猫達なんでしょう。戦死して遺骨も還ってこない人が100万柱もあるのを考えると悲しくなります」。

上で「人間の優しさと、悲しさが入り混じった不思議な空気」と書きました。

全ての墓地にはいろいろな形の永遠の別れを考えさせるので悲しみが流れているのです。心が静かになります。そんな散歩道がお好きな方々へお薦めできる場所です。少しの浄財か庭の花を持って行きましょう。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(筆名:藤山杜人)