下の写真は武蔵野国国分寺の金堂のあった所に並んでいる礎石です。太い柱を受ける大石ですね。
ある時、単純な私は、「1250年前の人は石を削らないでそのまま礎石にしたのだ」と呟きながら、その石肌に手を置き、1250年前の人々の姿を想像し、独り感慨にふけっていました。
そばで発掘調査をしていた人が何故か私を怪訝そうに見ています。私は挨拶をして、私の感慨を説明しました。
そうしたら発掘中の中年の男が笑いながら言うのです。
「あれは近所の畑から掘り出して、運んで来た大石なので奈良時代の国分寺の礎石でないのです。いやそうかも知れませんが農民が国分寺跡を畑にする時、邪魔な礎石は転がして、撤去してしまったのです」と言います。
「農民は田畑の邪魔になるものは全て取り除いて、動かしてしまうのです。どんな大きな礎石でも独りで歩いて消えて行くようなものです」と教えてくれます。
そう言えば信濃国分寺跡の真ん中には信越本線が通っていて、国分寺の敷地を分断しています。明治時代の鉄道技師が礎石を沢山、撤去してしまったようです。これは鉄道のお陰で大きな礎石が独りで歩き回ったような話です。
いきなり話は飛びますが、1981年に北京へ行き、下の写真の万里の長城を観光に行きました。
招待してくれた北京鋼鉄学院の周栄章教授へ、「それにしても古い長城が完全に残っていたものですね」と言いました。周教授は笑いながら、「いえ、長城の近所の農民がレンガを勝手に持ち出して農家を作ってしまうのです。ここは観光用に復元してありますが、少し奥に行くとレンガの無い土手が延々と続いていますよ」と当然のように笑っているのです。レンガが独り歩きして無くなってしまうのです。そんな事を昨日、国分寺跡を散歩しながら思い出しました。
それにしても人間という生物は何でもやってしまうのですね。発掘調査の邪魔をするのは昔の人間なのですね。
時代によって人間の価値観が大きく変わるという考古学的小話でした。
想えば、明治、大正、昭和、平成と私共の価値観も変わったものですね。
失礼します。