昨年の10月末に26年間続けてきたヨットの趣味を止めました。75歳になって体力が無くなってしまったからです。
しかしヨットの思い出は現在でも鮮明に私の心に焼きついています。そして老後の気持ちを明るく、楽しくしてくれます。
そこで昨年の夏の事を思い出しています。
昨年の夏、8月18日は東京が38度になる最高に暑い日でした。その日に家族4人でセイリングをして来ました。あまりの暑さに辟易し、2時間ほどで帰港してしまいました。
その次の日から急に秋の気配がし始め、涼しい日々が続き出しました。今日は家内と2人で爽快な秋風の中を湖岸から8km位沖までセイリングして来ました。空には暗い雲が一面に覆っていましたが雨は降らないという確信がありましたので悠々たる気分で久しぶりの快適なセイリングを楽しんできました。家内も舵をずっと握り楽しそうでした。
下の2枚の写真は昨年の8月18日の猛暑の日の写真です。2枚目は沖宿港へ寄港した時の写真です。近所の蓮の田を少し散歩しました。
3枚目から5枚目までは昨年の8月30日のセイリングの様子です。ジブセール(前の帆)だけで5ノットで快走しました。
涼しくて、心地良い秋風をご想像しながらお楽しみ頂ければ嬉しく思います。
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ブログを止めてしまう人々がいると淋しい思いをするものです。特にコメントを交換して人間的に親しくして頂いた方とお別れするのは悲しい出来事です。
以前、そのような3人との別れを惜しむ記事を掲載しました。(2年前にネットから消えた友人との惜別を想う・・・ジャンさんの思い出、2年前に突然消えてしまったマイフレのmachanさんを偲ぶ、亡くなってしまったマイフレさんの3年前の記事です )。
この3人だけではありません。多くの方々がネット社会から消えて行きました。
そこで何故、急にネット社会から消えてしまうのかという問題を少し考えてみました。最近、止めてしまった方に直接お会いして理由も聞きました。それらを総合して止めた原因を下に書いてみます。
(1)ブログやホームページに毎日、書き込みをする事に疲れた。飽きてしまった。興味を失った。
このような理由で止める人が多いようです。もともと書き込みは趣味のようなものですから、飽きてしまうのも自然です。人間が同じことに長い間興味を持ち続けられないのが普通です。
(2)実社会での仕事や趣味が忙しくなって、ブログやHPへ書き込みをする時間が無くなった。
この原因で止める方々は現役の人が多いようです。仕事をしていると急に忙しくなることがよくあります。ごく自然な理由です。
(3)ブログやHPへ嫌なコメントが投稿され、ひどく傷付いて止めてしまう。
この原因で止めてしまう人々も意外に多いようです。ネット社会は匿名で交流するので悪意に満ちたコメントを送るのも自由です。貰った方は大変傷ついてしまいます。こんな世界には居たくないという気分になって止めてしまいます。
これの防止方法は簡単です。まずネット社会に入る前に悪意溢れるコメントが来ると覚悟しておくことです。次にそのようなコメントが来たら瞬間的に削除して、一切忘れる事です。この2つを守れば、悪いコメントを一切恐れる必要はありません。
しかし悪い性質のコメントの中に真実があることもあります。自分に責任のある場合もあるのです。ですからこそネット社会は面白いのです。
(4)女性が書いているブログやホームペ-ジが魅力的な場合には、ストーカーが付きまといます。不愉快になり、怖くなって止める人も多いようです。
これの防止方法はただ一つです。書き込む内容に女性としての魅力を入れないことです。人間としての魅力だけに徹することが重要です。自分を美しく見せたいというのは女性の本能です。それでつい自分を魅力的に書いてしまいます。この欲望を抑えている限り安全なのです。
(5)ブログやホームページに政治的や社会的な意見を本気で書いても誰も取り合ってくれない。無力感に襲われて止めてしまう。
(6)健康上の理由で続けられなくなる。
ブログやホームページは落書きなのです。あるいは口から出まかせのお茶の間談義なのです。初めからその覚悟で書いていれば良いのです。
3月11日の大震災以後、私は福島原発の技術的な欠陥を何度も、何度も書いて来ました。原子力の専門家は一切取り合ってくれませんでした。
しかし、ある時には1日のアクセス数が2200件もありました。このブログは、普通、毎日500件ほどしかアクセス数がありません。2200件という数は一般の人々の放射能へ対する関心の強さを示しています。読んだ方々が少しは安心したと自負しています。
一方、原子力専門家は原発のことを書くなと言って来ました。落書きを書くとますます不安になるから止めた方が良いと言うのです。
しかし他人を中傷しない限り、落書きにも良い効果が期待出来るものなのです。ネット社会は一般民衆がその感じた事を落書きする大きな板塀を提供してくれたのです。そのような訳で、今日も落書きを書いてしまいました。
それはそれとして、
今日も皆さまのご健康と平和をお祈り致します。
後藤和弘(藤山杜人)