今期の芥川賞の受賞作は鹿島田 真希さんの「冥土めぐり」でした。
文章が分かり易く、その上、ストーリーの展開が面白く一挙に読んでしまいます。面白くて途中で止められない小説です。宗教的な暗示を与える山場があって急に終わる娯楽小説です。
しかしこの世の勝ち組は読んではいけません。その理由はこの記事の最後に書きます。
奈津子が夫の太一と出た一泊の旅の間にいろいろ思い出したことを書いた小説です。
旅行先は熱海か伊東を連想させるような所で、泊ったホテルは昔祖父が金持ちだったころ祖父母、両親、弟と一緒にとまったホテルです。それは華やかな思い出でした。その頃は高級ホテルで、タキシード姿の祖父がドレスの祖母とダンスをした高級ホテルでした。
それが現在はうらぶれた区の保養所になってしまっているのです。
元スチュワーデスだった母親は父と夫の死後すっかり貧乏になります。過去の華やかな思い出だけを振り回す嫌な女になってしまいます。そして弟もその母親からお金をせびって遊び暮らすどうしようもない若者です。
太一と結婚する前は、この母と弟と一緒に暮らしていたのです。毎日が嫌で嫌でたまりません。しかし家出する気持ちも無く、おぞましい生活をダラダラと続けていたのです。
その結婚前の生活を「あんな生活」と表現して忌み嫌っているのです。
読者がどんな生活だったか興味を持つように巧みに読者の心を掻き立てます。
そして推理小説の謎解きのように少しずつ明らかにして行きます。この辺のストーリーの展開は手に汗を握りながら読ませるものです。見事な運び方になっています。
太一との旅の間、結婚前の「おぞましい生活」を次々に思い出しながら旅を続けるのです。過去の暗い思い出が冥土の悲しみを巡る旅に感じられるので「冥土めぐり」という題目になっているようです。
夫の太一は結婚後、急に脳障害者になり体が不自由になります。自分のパートの収入と障害者の夫の厚生年金で生活をしています。何の喜びも興奮も無い平凡な生活です。
しかしその障害者の夫は他人の悪意や嘲笑を感じない全くの善人なのです。いつもニコニコしていて、おおらかです。夫が外出先で困っていると、誰でもこの障害者を助けて、家まで送って来てくれるのです。ある時はパトカーで送られて来たこともあります。
そんな夫を奈津子は特に好きでもなく、尊敬もしていません。
ところが旅の最後に2人で波打ち際で休んでいる場面があります。その場面がこの小説の山場です。寝てしまっている夫に波が寄せてきます。体が濡れます。とっさに奈津子も濡れるのも構わず隣に座りこみます。2人は黙って一緒に波に濡れます。それは一瞬の出来事でしたが、その一瞬に奈津子は衝撃を受けたように「素晴らしい夫だ!」と感じるのです。体で感じるのです。この場面できっと多くの人は涙を流します。自分もそうでしたから。
ところがその先があるのです。奈津子はこの素晴らしい夫を一時的な借りものだと思うのです。こんな素晴らしい夫でも借りものである以上何時かは返さなければなりません。
鹿島田 真希さんは借りものの意味を説明していません。読者が勝手に考える自由を与えているのです。私は奈津子へ素晴らしい夫を貸してくれたのは神様だろうと想像しています。神のものは何時かは神へ返さなければなりません。それは悲しい別れです。奈津子はその悲しみを受け入れる覚悟をするのです。けなげな可愛い女ではありませんか。
そしてそこでこの小説は終わっています。
さてそれではこの世の勝ち組はこの小説を読んではいけないのでしょうか?
その前に「勝ち組」の定義をしておきます。それは中央省庁の役人、国会議員、大会社の部課長以上の人々、傑出した芸術家、そしてテレビに出ているタレント達のことです。
この小説に出て来る母親、弟、奈津子、太一の全てが努力心を一切持っていない見下げた人々なのです。努力して収入を増やそうとか出世しようという発想とはまったく無縁な怠け者なのです。この世の勝ち組の人が最も軽蔑して唾棄したくなるような人々です。読んでいるとその怠け心にイライラします。ようするに「勝ち組」の人が読むと寒気がし、しまいには精神が異常になりそうです。勝ち組だけでなく戦前、戦後の「立身出世第一主義」の教育を受けた老人も読まない方が健康のために良いのです。
最後に一番重要な感想を書きます。嫌な事ばかり書き連ねていますが、この小説は親子関係や兄弟姉妹関係の確執や対立、そして根源的な難しさという人類普遍な問題を描き切っていると思いました。人生には何の意味もありませんが、とても危険なものだという深い暗示を与えているのです。深い宗教性をに裏打ちされているのいです。
ちなみに鹿島田 真希さんはロシア正教(本当は日本正教)の信者だそうです。お茶の水のニコライ堂の信者なのです。私もその3時間も続く礼拝に出席したことがあるので、何となく彼女の言いたいことが想像出来るような気分がします。
以上、間違ったところがあったら私の個人的感想文としてお許し下さい。皆様のコメントを頂ければ嬉しく存じます。(終り)
靖国神社のことはブログに書かないほうが良いと言います。
書くと右翼や軍国主義者と誤解されがちです。また過去に忌まわしい戦争に協力したと書けば心穏やかでない人々が多いからです。左翼系の社会学者は靖国神社を非難して、その存在を許しません。
しかし私のこのブログは人々へ慰めを与え、すこしでも心安らかに毎日を過ごして貰いたいと祈りながら書いています。ですから以下に書く事で皆の心が静まり、靖国神社問題を別な角度から考えて頂きたいと祈りながら書いています。
靖国神社が戦後重大な役割を果たしたと思います。それは幸いにも命ながらえて地獄の戦場から帰還した軍人や兵士の心のケアをする役割を果たしたのです。意図したことではなかったのですが、その役割を担ったのです。
復員軍人の多くは、死んでしまった戦友の遺骨や遺品を持たず帰って来た人が多かったのです。作戦の失敗で多くの部下を失った人も帰ってきたのです。殺すか殺されるの戦場で残虐行為をした人もいました。自分の身代りになって、戦友がBC級戦犯として処刑された人もいたのです。死んでも捕虜になるなという戦陣訓に反して捕虜になって帰ってきた軍人もいました。
復員してきた軍人や兵士の多くは、平和な時代には想像もつかない心の病を背負っていたのです。言い方は悪いのですが復員軍人の多くは人格が部分的に破壊されていたのです。
そういう軍人たちは亡くなった戦友の家々を訪ね、その写真や遺品を集めたのです。そしてそれを靖国神社の就遊館へ持って行って保管し、展示するように頼んだのです。
それらを受けとった神主姿の就遊館の人々は静かに、「御苦労さまでした。神様の写真として遺品と一緒に展示させて頂きます」と言ったに違いありません。戦後、戦死した軍人や兵士の遺品と写真を受け取って、大切に保管してくれるところは就遊館だけだったのです。
心に傷を負った復員者を癒してくれたのは就遊館の人々だけだったのです。
当時はカウンセラーという人は存在していませんでした。就遊館の人々はカウンセリングはしません。遺品や写真を持って来た復員軍人の話を静かに聞くだけです。しかし聞くことがカウンセリングになったのです。
これが私が言いたい靖国神社の重要な役割なのです。戦後、厚生省の役人はそれをしませんでした。戦死者の情報は集めましたが遺品は受け取らないのです。
靖国神社は軍人の心の傷を治す努力をした訳ではありません。しかしその役割を果たしたのです。靖国神社の悪口を言う人々にこのことを静かに考えて頂きたいと思います。
この事は私をヨットに何度も乗せてくれた田村さんから聞いたことから理解出来たのです。彼は予科練特攻隊戦死者の写真や関係資料を集め、その展示館、「雄翔館」を茨城県の霞ヶ浦に作った人でした。
同期の予科練性が特攻で死んで行き、田村さんだけが残ったのです。その心の傷は予科練の跡地に、「雄翔館」を作ることで癒されたのです。
(田村さんのことは、人間が好きだから旅をする(2)悲しそうな特攻隊員の顔を忘れない 2008年10月24日掲載記事で説明しています。)
現在、靖国神社には下の写真のような展示があります。その写真をご覧頂きたいと思いお送りするしだいです。
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今日は靖国神社が戦後に果たした重要なもう一つの役割を書きました。
しかし私は政治と宗教の分離の原則をもっともっと徹底して貰いたいと思っています。それと祀られることを希望しない人は祀らないことも実行して貰いたいと思います。しかし問題は複雑で深いので。いたずらに声高かに論争すべき問題ではないのです。
昨日は終戦記念日です。今日は静かに戦争にまつわるいろいろな事を考えてみたいと思います。(終り)