後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ヴァイオリンの趣味とヨットの趣味・・・こんな人は始めてはいけません

2012年08月09日 | 日記・エッセイ・コラム

これは私の体験にもとづく結論です。

どんな趣味を始めようが人それぞれ自由にして良いのです。しかし自分の才能がその趣味に合っていなければ長続きしません。

今日はヴァイオリンとヨットの趣味をして良い人、悪い人の判断の仕方を簡略に書いてみようと思います。

結論を先に書けば、私はヴァイオリンを習い始めて1年で放棄しました。失敗の経験です。

一方ヨットのほうは49歳で初めて75歳まで26年間楽しみました。趣味として成功したのです。

何故、長続きしたのでしょうか?風と帆と波の音と動きが私を魅了してしまったのです。それを魅力と感じる本能的な能力が私にあったのです。それは不思議な才能です。

さてヴァイオリンから始めましょう。下に練習用のヴァオリンと弦を押さえている左手の写真を示します。

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私は叔父の影響で、大学に入学した時にヴァイオリンを習い始めました。最初はホーマンの教則本を使っていましたが、毎週一回先生の自宅に通って習うようにってからは鈴木ヴァイオリン教則本を使いました。

ヴァイオリンの難しさは上の右の写真のように、左手の指先で弦を固く押さえ、音程をコントロールしなければならないことにあります。弦を張ってある竿には印も区切りもついていません。あくまでも自分の指先の位置だけで正確な音程を出す必要があるのです。

鈴木ヴァイオリン教則本の1巻を終えて、2巻、3巻と進んで行くと、この左手そのものの位置を上にあげて行きます。ファーストポジション、セカンドポジション、サードポジションと左手が弦の中央近くへと上げて行くのです。

初心者にとって困難なのは曲の演奏中にファーストポジションからサードポジションへ左手を動かし、また戻る動作を何回もしなければいけない事です。

ポジションを変える度に指の位置が微妙に狂ってしまうのです。それを調整するために指先を少しずらします。そんな事をしていれば演奏は美しく流れません。

ピアノで伴奏している先生が怒ります。ピアノを止めて、音がずれているからもう一度と言います。根気の良い初老の男の先生でしたが、時々顔が怒っています。

絶対音感というもんがあるそうですが、兎に角、音感の悪い人はヴァオリンを趣味にしてはいけません。

ヴィバルディーのヴァイオリン協奏曲のメインテーマのメロディーをサードポジションで弾きながら、私は「こりゃ、駄目だ。止めよう!」と決心しました。

1年間習ったところで、先生にその決心を言ったら「そうね。趣味だから無理しなくとも良いよ」と笑っていました。

ヴァィオリンを挫折したおかげで指先の位置だけで音程を決める楽器の音の美しさが深く解るようになりました。オーケスストラを見ているとつい第二ヴァオイリンやヴィオラの演奏に見とれるようになりました。音程の正確さに感動します。プロですから当然ですが。

結論です。絶対音感があるか、楽譜が読めて音程が正確に出せる人は良いのです。それが出来ない人はヴァイオリンを趣味にしようとしてはいけません。

さてヨットの趣味に向いている人の話に移ります。下に小型ヨットの写真を示します。

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とにかく手近かのヨットスクールへ行って、上の写真のようなヨットの帆走技術を習います。

その時、帆が風を掴んで走るときの快感を、本能的に凄い快感と感じることが出来なければヨットは止めたほうが良いのです。長続きしないのです。

その判断は、次の写真のように横転したヨットを自分で起こす経験を、何度かすると簡単につきます。(写真の出典は、「ディンギー写真集」からです。)

Yacttin1 小型ヨットはチョット強風が吹くと簡単に横転します。冬なら冷たい海の中へ放り出されます。

めげずに横転したヨットによじ登り一方の舷側へ体重をかけてヨットを起こすのです。

この作業はあくまでも自分一人で行うのです。

そうしなければ無事、港へ帰還出来ないのです。

こんな辛い思いをしても、またまたヨットをしに行こうと思うことが出来なければ駄目です。

その動機は帆走の感激を本能的に体中で感じる能力に依存しています。その能力のある人にとってセーリングは麻薬のような魅力なのです。

多くの人に聞きましたが、そのような本能の無い人が意外に多いのです。

そんな本能を持っている人にとっては、どんな困難があってもヨットを毎週のようにしたくなるのです。それが無ければ、とても週末毎にセーリングに行きません。

趣味として長続きしないのです。私はこの本能的な感性を偶然持っていたのでクルーザーヨットの趣味を26年間続けることが出来ました。

下の写真は私が土浦港の中を帆走している様子を家内が撮った写真です。

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クルーザー型のヨットは大型で船底に重いキールがついているので横転しません。

しかし大きいので、その係留や保守・管理は容易ではないのです。

船内に付いているエンジンの調整や軽油の補給など面倒なことが多いのです。

しかし上の写真のように帆に風を受け、傾きながら快走するときの魅力が全ての困難な保守管理を忘れさせるのです。

結論です。ヨットの趣味は小型ヨットのスクールから始めるのが鉄則です。横転し、自分一人で起こす経験を何度かします。それでもセーリングが魅力と感じたならクルーザーの趣味へと進んで行けば良いのです。体力の続くかぎり何十年も、楽しい趣味としてあなたの人生をより豊かにしてくれるでしょう。

上の内容を少し広げるといろいろな趣味にはそれぞれ合致した才能が要求されていると言えるようです。いかがでしょうか?あなたのご意見を頂ければ嬉しく思います。(終わり)


今日、原爆が長崎に、浦上天主堂を破壊・・・その衝撃と意味

2012年08月09日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は長崎で原爆で亡くなった16万人余の犠牲者の追悼の日です。67年経ちましたが私は毎年思い出し、長崎の全ての犠牲者の冥福を祈っています。

そしてカトリックの私は原爆が浦上天主堂から500mの至近距離で炸裂したことに衝撃を受けています。キリスト教国のアメリカによって、何の躊躇もなく浦上天主堂の上に投下されたことに衝撃を受けています。

戦争で狂気の状態にある人間にとっては宗教は全く無力だったのです。その事にも衝撃を受けました。下に原爆を受けた浦上天主堂と再建した姿の写真を示します。

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写真の出典は、http://www.yado.co.jp/kankou/nagasaki/nagasi/uragami/uragami.htm です。

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戦争になれば宗教は無力です。いや逆に偏狭な狂信性が一層残忍性を煽りたてるのかも知れません。

ヨーロッパ戦線でも教会や修道院は、宗派に関係なく軍事拠点になり、それを占領した敵軍によって徹底的に破壊されたのです。

アメリカ空軍は教会の多い長崎へ原爆を投下することを全く抵抗感を持っていませんでした。

しかしこの浦上天主堂こそ日本のカトリック信仰の本山のような存在なのです。

この教会は幕末の1864年にフランス人のプチジャン神父が建てました。そして明治元年に隠れキリシタン達がここを訪れて、プチジャン神父へ信仰告白をしたのです。「私達は神父さんが日本へ帰って来るのを250年間待っていました」と。

プチジャン神父は即刻ローマ法王へこのことを報告します。そして、このニュースは世界中に広まり、キリスト教国の人々へ大きな驚きを与えたのです。

さきのローマ法王のヨハネ・パウロII世は1981年に日本を訪問した折、長崎へ巡礼の旅をしたのです。浦上天主堂も訪ね、祈ったのです。

マザー・テレサも訪問してくれたのです。

日本人のカトリック信者は原爆投下で心の傷を受けましたが、ヨハネ・パウロII世やマザー・テレサの長崎への巡礼の旅によって慰められたのです。

浦上天主堂には現在7000人の信者がいます。日本最大の信者数です。

原爆を投下したアメリカの空軍の人々は自分がどんなに罪深いことをしようとしていたか知りませんでした。

十字架にかけてイエス様を処刑しようとしているローマの十人隊の兵士と同じです。

イエス様は十字架の上から彼等を非難しませんでした。

そんないろいろな想いを考えさせる「長崎原爆の日」です。

今日は67年前に長崎への原爆投下で亡くなった全ての方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

下に写真ですが、先程近所で撮ってきた夏の花を供え花としてお送り致します。合掌。

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