後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

魚沼地方の庄屋、目黒邸の写真

2012年08月05日 | 日記・エッセイ・コラム

越後の魚沼地方は江戸幕府の直轄領でした。冬は豪雪ですが夏は新潟県で一番暑い稲作地帯です。その地方の庄屋は幕府へ納める米を集める重要な立場にあったのです。

その庄屋の家を現在でも保存し、一般に公開している所があります。現在の魚沼市にある目黒邸です。1797年に建てられ、国の重要文化財です。

目黒家は165町歩の小作地を有する大地主であり325人の小作人を支配していたのです。その籾蔵には2500俵の米を入れることが出来たのです。直轄領なのでこの庄屋には政治的権力もあったのです。しかし大きな農家のような作りで特に感動的な建物ではありません。主屋は建坪約175坪で、使用されている材木の太さや長さ、茅葺屋根の大きさなどは流石です。

下に7月30日に撮った写真を示します。

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なお目黒邸の裏に資料館があり魚沼地方の農民の暮らしが分かるような展示がされています。目黒家が使っていた諸道具や古文書もあります。


東京都庁の墓地管理者を讃える

2012年08月05日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は日曜日なのでカトリック小金井教会のミサに行って来ました。

ミサの間はいろいろなお祈りをしたり、考え事をしたりします。

今日のミサの間に思い出して、ブログに書いておこうと考えたことを以下に記します。

それは先月、都立小平霊園に行ったとき見た亡き子供達の碑です。親子の関係が薄くて東京都の児童福祉施設に収容され、不幸にして病死してしまった子供達を慰めるための碑です。

小平霊園の樹木の茂った静かな一角にありました。その碑に新鮮な切り花が供えてあったのです。切り花なので毎日供えなければなりません。

左にある説明文を読むと、その碑は昭和26年に作ったとあります。戦後の復興もまだまだで、混乱続きの世相の中で、このような碑を建立した東京都庁の役人の優しさに涙が滲みました。

そして何十年たっても忘れずに花を供えているのです。

役人は威張ってばかりいて何もしないと言う人もいますが、そんな事は言わないで下さい。そして不幸の中で病死してしまった子供達の冥福を祈って上げて下さい。私もミサの間にお祈りいたしました。合掌。

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越後のミケランジェロ石川雲蝶

2012年08月05日 | 日記・エッセイ・コラム

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先週、越後の魚沼地方を旅して彫り物師、石川雲蝶の作品を沢山見ました。

上の写真のように地元では雲蝶のことを越後のミケランジェロと言って自慢しています。それを見た家内が、とんでもないと怒りだしたのです。ミケランジェロは彼女の尊敬する偉大な芸術家です。感情的になりがちな彼女は自分が軽蔑されたように思うのです。そして先年、サミット会議に使われたウインザーホテルの名前もけしからんと怒りの輪が広がります。来日した各国の要人たちがどう思ったのか恥ずかしいと、思い出しブツブツ言っています。

ここで反対すれば夫婦喧嘩の火ぶたが切れるのです。私は、本当にそうだねと深く同意した振りをします。実は私の同意の理由は少し違うのです。人間は一人ひとり違う存在なのです。それを一緒くたにされたら個性も独創性も伸びないのです。つい昔身についた教育的発想が出てくるのです。

家内の気持ちは分かりますが、考えてみると日本人はこのようにして外国の文化を取り入れて来たのです。

例えば遣唐使の時代には中国のお寺の名前を自由に使いました。日本にも中国のお寺の名前と同じ慈恩寺もありますし、観山寺もあります。

明治維新以前は中国の地名や名所旧跡の名前を勝手に使いました。

文明開化の明治になり、西洋の文化を急速に取り入れます。当然、向こうの有名な人間や場所の名前もどんどん取り入れます。

飛騨山脈を北アルプスと言い、木曽山脈を中央アルプスと言います。最近は山梨県に「南アルプス市」という片仮名の市が出来たのです。

それにしても石川雲蝶を越後のミケランジェロというのはチョット度が過ぎる様な気がします。

観光に乗ったタクシーの運転手さんが、こちらから何も言わないのにそのことをやんわりディフェンスするのです:「雲蝶の活躍した江戸末期には芸術家という職業は無かったのです。彼は宮大工としてお寺に雇われ内部の飾りものを彫ったのです」と言います。

私は何故、運転手さんがそんな事を言うのか察しがつきました。都会から行ったミケランジェロを尊敬している感情的な人物が運転手さん相手に藝術的彫刻と彫り物師の職人芸の違いを説教したに違いありません。目を白黒させながら謹聴しつつ運転をした彼の災難が目に見えるようです。

藝術だろうが彫り物師の飾りものだろうがどちらでも良いのです。見る人が好きになり、幸せ感に包まれればそれで良いと信じています。

下に雲蝶とミケランジェロの作品の写真をお送りいたします。

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それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。後藤和弘(藤山杜人)