後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

原発ゼロ支持、47%に増加・・・討論型世論調査 ・・・容認約3割は変わらず

2012年08月25日 | 日記・エッセイ・コラム

以下は日本経済新聞、8月25日(土)のインターネット版です。

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政府は22日、中長期のエネルギー政策を巡って実施した「討論型世論調査」の結果を公表した。2030年時点の原子力発電への依存度でゼロを支持する参加者が討論を通じて33%から47%に増えた。一方で一定の原発比率が必要とみる割合は合計で約3割あり、あまり変わらなかった。

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政府は同日、原発比率に関する世論調査やパブリックコメント(意見公募)を検証する会合も初めて開いた。公募した意見のうち約7千件を集計した結果、「即時の原発ゼロ」を求める意見が全体の81%に上った。

 政府は30年の原発比率で3つの選択肢(0、15、20~25%)を示し、15%を軸に検討してきた。「冷静に議論すれば原子力の必要性が理解される」との期待もあっただけに、討論型世論調査の結果を「誤算だった」(経済産業省幹部)と受け止める声も出ている。

 討論型世論調査は3段階に分け(1)7月7日から22日にかけて無作為に選ばれた6849人を対象に世論調査(2)8月4日から2日間の討論会に参加した285人が討論前に回答(3)討論後に回答――の要領で実施した。

 最初の世論調査で原発ゼロのシナリオを支持した割合は全体の32.6%。これが討論前の段階では41.1%となり、討論後に46.7%に高まった。原発比率15%シナリオを支持する割合は16.8%→18.2%→15.4%。20~25%シナリオの支持者の割合は13.0%→13.3%→13.0%とほぼ同率で推移した。

 原発比率の判断材料で「安全の確保」を最も重視すると答えた比率は一連の調査を通じて上昇。逆に原発の活用で「地球温暖化の防止」を重視する人の比率は低下した。

 電力コストの上昇による企業への負担増や経済競争力の低下は議論の中心になっていない。政府は討論型世論調査のほか意見聴取会など「国民的議論」の結果を分析し、中長期のエネルギー戦略を固める。

参考資料:

討論型世論調査 討論や質疑応答を通じて参加者の意見がどう変化したかを調べる世論調査。無作為抽出の対象者に討論会への出席を打診する時点と、討論会の前後でアンケートを実施し、意見がどう変わったか分析する。1988年に米国で考案された方法で、英国など世界で実施例がある。日本では神奈川県藤沢市が総合計画の策定に役立てるため2009~10年に実施した。

以下の図面は朝日新聞インターネット版の図面です。

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昔懐かしい農家の写真をお送りします

2012年08月25日 | 写真

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この農家は現在の立川市の古民家園に復元展示してある小林家です。

小林家は江戸時代には旧砂川村九番組に属していました。嘉永5年(1852年)と書いた板が屋根裏にあったのでその頃の建造と推定されています。場所は立川市幸町4-65で月曜日は定休日です。入場無料で、駐車場がついています。午前9時から午後4時30分まで開いています。問い合わせは立川市歴史民族資料館(電話042-526-0860)です。


急激に変化する日本人の価値観(3)和風料亭が消え、ファミリーレストランが増加

2012年08月25日 | 日記・エッセイ・コラム

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和風料亭が消え、ファミリーレストランが増加する現象は経済的な理由だけではありません。

もう一つ深い理由があると思っています。その理由とは日本人の価値観の変化なのです。

先日よく行っていた和風料亭の魚観荘が廃業しているのを発見し、ショックを受け、何故か深く考えだしました。

魚観荘は上の写真のように多摩川の羽村の堰近辺の向こう岸にありました。

美しい広い庭園と、鯉や岩魚の泳ぐ深い池に囲まれた座敷で和食のコース料理を出していました。庭の竹林の中には風流な茶室も見えます。値段も手ごろで普通の家庭なら一家で楽しめるような料亭でした。そこで2年前にこのブログで、白壁の塀の料亭と郷土博物館の風景写真 という記事で皆様にもご紹介しました。

その料亭に先日寄ってみました。大きな料亭があとかたも無くなっています。雑草だけが茫々と生えています。ショックを受け、裏に回って見ましたら、昔風の白い塀だけが当時の繁盛ぶりを偲ばせているのです。下にその様子を示す写真を掲載してあります。

さて、和風料亭が消え、ファミリーレストランが増加するのは何故でしょう?勿論、代金が安いからという理由もあります。しかし最近の日本人が好む接客やサービスが変わって来たからです。

昔の日本風の接客の仕方よりもアメリカ流のマニュアル化されたドライな接客の仕方が好きになってしまったのです。

この接客の仕方の違いは昔の旅館の接客とホテルの接客の違いを考えると明快に理解できます。

旅館では女中さんが客の荷物を持って部屋まで案内して、お茶を淹れてくれます。そして後ほど宿帳を持って来ますから一休みしてくださいと言って下がります。暫くすると又その女中さんが顔を出します。ようするに女中さんが何度も部屋に来て世話を焼くのが最上のサービスなのです。

一方ホテルではフロントで鍵を渡して、困ったことがあったらフロントの9番へお電話下さいと言われてお終いです。

部屋に落ちついて、さて近所を散歩しようとフロント9番へ電話し、何処を散歩したら良いか聞きました。そうすると私の散歩の好みを親切に聞いてくれて幾つかのコースを明快に教えてくれます。ようするにお客には干渉しないが、助けを求めたら過不足なく助言してくれるのです。

和風料亭では旅館と同じような接客方法をとります。和服を着た仲居さんが何度も部屋に来てあれこれ世話を焼くのです。世話の仕方がマニュアル化していないので仲居さんのサービスにバラツキがあるのです。その上、仲居さんがお客を品定めするように観察するのです。

ようするに鬱陶しいのです。料理が美味でも接客方法が鬱陶しいのです。客足が次第に遠うのきます。

それでも1990年前後のバブル経済崩壊前には近所の会社が接待用に料亭を使いますから繁盛したのです。

魚観荘は家内と一緒に30年間ほど時々行ったものです。しかし次第に仲居さんのサービスが重荷に感じるようになって足が遠のいて行きました。

自分達がレストランのドライな、それでいて過不足のない上質なサービスが好きになってしまったのです。

理想的な接客方法や、客が期待するサービスの内容は人々の価値観の変化によって急速に変わって行くものなのです。この世のものは全て変化して行くのが定めです。

日本人の価値観も変われば、文化も変わります。過度に伝統文化にしがみ付くのは如何なものかと思う今日この頃です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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魚観荘の数多くの座敷のある大きな母屋の庭には上の写真のような茶室がありました。

それが先日寄ったら何もかも消えて無くなり下の写真のように雑草と雑木が茂って」いました。

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悲しくなって、裏の方へ行って見ると白い塀だけが昔と変わらず続いていました。

しかし中の様子をみるとあの見事な庭園が荒れ果てて、夏草だけが茂っていました。

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