後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

青森在住の書家、間山陵行師の作品をご紹介いたします

2013年08月20日 | 日記・エッセイ・コラム

水木りょうさんは「趣味人倶楽部」というSNSでお付き合いしている方です。青森に住んでいて書家、間山陵行として活躍しています。お弟子さんも多数います。

その人間性に魅かれて、以前もお願いして、このブログに高橋竹山さんとの交流の連載記事を書いて頂いたこともあります。

このブログでは7月に御父上の書家、間山陵風師の生涯について8回の連載記事をお願いして執筆して頂きました。以下の通りです。

水木りょう著、「書家、間山陵風の生涯」、第一章、生い立ち

水木りょう著、「書家、間山陵風の生涯」、第二章、屈辱の日々そして恩師との出逢い

水木りょう著、「書家、間山陵風の生涯」、第三章、兄の出征といろいろな出逢い

水木りょう著、「書家、間山陵風の生涯」、第四章、政治運動と書の勉強と恋

水木りょう著、「書家、間山陵風の生涯」、第五章、終戦 兄たちシベリアから生還

水木りょう著、「書家、間山陵風の生涯」、第六章、結婚そして独立

水木りょう著、「書家、間山陵風の生涯」、第七章、家庭の苦難と書塾の発展

水木りょう著、「書家、間山陵風の生涯」、第八章(最終章)、『陵風』書と民謡の関わり

この8回の連載記事はそれぞれ感銘深いものでした。

書家、間山陵風の生涯が見事に描き出してありました。

連載後、いろいろ考えていましたが、やはり間山陵風さんの息子さんの間山陵行さんの作品もご紹介したいと考えました。

そこで作品5点の写真をお借したいとお願い致しました。

さっそくご自分でお選びになった作品が送られて来ましたので下にご紹介いたします。それぞれ、味わいの違う力作です。お楽しみ頂ければ嬉しく存じます。

なお間山陵行さんのことは2012年5月12日掲載の、たかがブログ、しかし内容の深い話し合いも出来るのです という記事の中でご紹介してあります。ご参照頂ければ幸いです。

1512tenryu4
上は天龍という字です。

10715_tahsan3

11103bakkon1
・上は撥魂という字です。

11111doyo_akatonbo

11119ryo_2


日本だけが残虐行為をしたという歴史の虚偽

2013年08月20日 | 日記・エッセイ・コラム

Pho_mulan_07_42011
第二次世界大戦中に日本軍だけがその占領地で数々の残虐行為をしたという嘘を多くの日本人が信じています。

その嘘が信じられるようになった原因は日本がポツダム宣言によって中華民国、アメリカ、イギリス、そして後にソ連に対して敗北を認めたからです。

戦勝国が敗戦国の悪口を言うのは古今東西、普通のことで、日本が非難されるのは自然ななりゆきです。

戦勝国が戦場で日本軍から受けた屈辱を晴らすために、日本軍が残虐行為を繰り返したと主張するのです。

南京虐殺とか三光作戦による村落の完全消滅などという誇張された嘘があたかも真実のように定着してしまったのです。

日本が朝鮮を合併し、朝鮮語の使用を禁止し、姓名まで日本風に変えさせたのです。その屈辱は忘れられません。ですから従軍慰安婦を日本軍が強制的に狩り出したと主張するのです。

その上、アメリカ占領軍がその嘘を黙認する傾向があったのです。

アメリカ占領軍は手段を選ばず、日本の軍国主義を早急に根絶する政策を進めていたのです。日本の民主化の為には帝国軍隊の悪口を誇大に言いふらすのが有効だったのです。

民族の受けた屈辱や恨みを晴らすために、誇張された嘘を主張するのは悪いことです。しかし所詮、人間とはその程度のものではないでしょうか?

しかし公平に考えれば、「残虐行為」を行ったのは日本の軍隊だけである筈がありません。

蒋介石の国民党軍も、毛沢東の共産党軍(当時は八路軍と言いましたが)も捕虜にした日本兵を拷問にかけ残虐に殺してしまったのです。それが戦争と言うものです。

しかも悪いことには日本側は日本兵が捕虜になったことを秘密にしたのです。

皇軍の兵隊は玉砕はしますが、絶対に捕虜にはなりませんと宣伝していたのです。

その結果、中華民国軍と八路軍は残虐行為をしなかったことになったのです。

アメリカ軍もサイパンや硫黄島、沖縄で火炎放射器で日本人を焼き殺したのです。とどめは広島や長崎への残酷きわまりない原爆投下までしました。

戦勝国のアメリカは戦争を早く終わらせるために原爆は必要だったと主張します。

沖縄に上陸しないで、いきなり東京湾から東京を占領し、皇居を占領すればもっと早く戦争を終わらせたかも知れません。勝てば官軍で、何とでも言えるものです。

そして「バターン死の行軍」でアメリカ側兵士が2万人死んだと主張するのです。私は長い間、アメリカの白人兵士が2万人死んだと思っていましたが、その大部分はアメリカ側に立ったフィリピンの兵士だったのです。

戦後の日本人は戦勝国の主張する誇張された日本兵の残虐行為を耳にタコが出来るほど聞かされたのです。日本共産党の影響下にあった日教組の先生は教室で日本兵の残虐性を生徒たちへ教え込んだのです。

その結果、戦争を知らない世代の若い日本人も「日本軍だけが残虐行為をした」と信じているのです。それは大きな間違いです。

公平に考えれば日本民族だけ特に残虐な筈がありません。どんな民族も残虐な性質を同じ位持っているものなのです。どんな民族の文化にも優劣が絶対に無いように、「残虐性の強弱」に差がないのです。

そのように考えると第二次世界大戦中の日本軍の残虐行為と同じくらいのことは敵方の中国人もアメリカ人もソ連人もイギリス人も行っていたに相違ありません。

それは、ドイツとソ連がお互いに凄まじい数の虐殺をした事実を見れば明白です。

ドイツは占領したソ連で1000万人を殺戮し、その後、反撃に転じたソ連軍はドイツ人の村落を皆殺しにしながらベルリンを制圧したのです。

このような客観的な立場で考えると将来、日本は中国や韓国とどのように付き合って行くのが賢明なのかが見えてきます。

賢明な方法は中国や韓国を感情的に刺激するようなことはしないことです。靖国神社のこれ見よがしな参拝は止めるのです。

しかし、中国人や韓国人が何を言っても無視することです。反論もいけません。静かに悲しそうに聞いてあげるだけです。人間の限界を見るのが悲しいという意味で悲しそうにするのです。賛成してはいけません。反論もいけません。

自分たちが日支事変をおこし、敗けることを知りながら真珠湾攻撃をしたのも原因なのです。

中国と韓国とは距離を置いて冷やかに付き合うのが賢明です。尊敬はするが信頼はしないという国際儀礼を守りながら付き合うのです。

そんな日本の外交姿勢を他の国々が見ています。今後の外交においては国際世論が大きな役割をするようになると私は信じています。

(すこし雄大な気分になるために「中国、黒龍省の画像」を検索して上と下にその悠々たる風景写真をお送りします。)

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

000cf1a4878611a40e47311

Img_314654_34242879_71