後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

夏の小金井公園で何故、日本人が中国人や韓国人を憎むか考えてみました

2013年08月03日 | 日記・エッセイ・コラム

汗を流しながら夏の公園を歩き回って来ました。家内は走り回っているから驚きです。歩きながら、何故、日本人が中国人や韓国人を憎むか考えてみました。

原因はいろいろありますが、政治家の靖国神社参拝、尖閣諸島問題、従軍慰安婦問題、そして竹島問題などで中国と韓国が日本を攻撃し、執拗に非難することが原因になっています。

日本人が憎むから、先方も憎むのです。そして憎しみ合いはしだいに燃え上がる性質を持っています。新聞やマスコミの扇動に乗ってはいけません。マスコミは自社の利潤を増大するために全て針小棒大に報ずる本能を持っています。

明治維新で、さきに近代国家になった日本が度量をもって中国や韓国を寛大にゆるせば、「憎しみ合いの悪循環」が止まってしまうと私は信じています

一々目くじら立てて、誰が何時、靖国神社を参拝しようが勝手だと騒ぐ代わりに、先方が嫌がらない日に参拝すれば良いのです。

田中角栄さんと周恩来首相が尖閣列島問題は棚上げにするという口約束をしたのですから、そのようにすれば良いのです。その口約束を無視して日本が島々を買い上げて国有化したから大騒ぎになったという解釈も出来ます。

ようするに私は中国や韓国に対しては協調外交で付き合うべきと思います。

このように書くと急にいきりたって、「そんな甘い考えでは、沖縄も中国に占領される!」と感情的に反論する人が沢山います。

しかし、沖縄を占領されるというのは脅しの論理です。

真珠湾攻撃をしなければ日本は欧米の植民地になると国民を脅し、開戦した愚かさと同じ論理です。

戦前にリットン調査団が来て、最終的には「満州の国際管理」を国際連盟の会議で提案しました。

満州は日本の生命線だと叫んで、日本は国際連盟を脱退し、真珠湾攻撃をして、結果的には300万人の日本人の命を犠牲にして、敗戦を迎えたのです。

ですからこそ今度こそ、「弱腰外交」に徹すべきなのです。それこそが長い目で見ると日本の国益にかなうのです。

歴史に学ばないで同じ轍を踏んでいるのが最近の日本人の感情論なのです。

日本と中国、そして韓国と対立し、抗争を続ければ喜ぶのはロシアです。北朝鮮です。ヨーロッパ連合の諸国です。そんな簡単な国際関係の利害得失を無視してまで中国や韓国を憎むのは止めたほうが良いのです。

そんなことを考えながら、公園で歩きながら下のような写真を撮って来ました。

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この世から全ての差別を撤廃しよう(4)欧米人を尊敬し、アジア人を蔑視する日本人

2013年08月03日 | 日記・エッセイ・コラム

明治の文明開化以来、日本人は欧米人を尊敬し、アジア人を蔑視してきました。1945年の敗戦によって、アメリカ人の統治が始まります。そして朝鮮戦争のお蔭で日本も復興の弾みがつきます。当然、日本人のアメリカ一辺倒が強まります。

一方、東南アジアの諸国や中国や韓国への差別と蔑視は相変わらず続きます。

日本人が欧米人を尊敬する理由は少なくとも二つあります。

日本の富国強兵は欧米の科学技術を導入して出来たのです。日本の政治体制や教育制度もヨーロッパに倣いました。

日本の近代化の先生だったのです。

その上、欧米人は姿や顔が美しいのです。

この2つの理由で現在でも本音では、「欧米優先とアジア蔑視」の心情が日本人の心の底に根づいています。

大変に恥ずかしいことでしたが私も例外ではなく、欧米優先とアジア蔑視に凝り固まっていました。

その私に大転換の事件が1970年に起きたのです。

当時、私はドイツのシュツットガルト市にあるマックス・プランク・研究所でドイツ人研究者と一緒に仕事をしていました。

あるときビールを飲みながら、そのドイツ人に中国人を見下している理由を理路整然と話したのです。

すると彼、プルッシュケル博士が冷やかに私を諌めたのです。

歴史的に日本は中国から文化を導入して発展したのです。その中国を蔑視し、悪く言うのは天へ唾を吐く行為だということが判かりませんかと言うのです。

そしてドイツに来る多くの日本人が中国の悪口を言っているのを聞くとその日本人を軽蔑してしまうと言うのです。

彼は、その事は絶対に日本人へは言わないが、あなたは親しいから言ったのですと話すのです。

プルッシュケルさんは、親と親族全員がソ連の赤軍に殺された人です。

9歳だった彼だけが納屋に隠れて生き残ったのです。その人が共産主義の中国人を蔑視するなと言うのです。

その一言で私の中国人蔑視は雲散霧散してしまったのです。そして私の韓国蔑視も完全に消えてしまったのです。

詳しい話は省略しますが、その後、私は北京鋼鉄学院の周栄章教授と親友になり、中国各地を案内して貰いました。

この体験によって私は全ての国々の人を尊敬出来るようになったのです。

今日の挿絵として下に北京郊外にある頤和園の写真をお送りいたします。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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・頤和園の写真は「頤和園写真集」の検索結果から選び出しました。

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