北海道は本州以南とは違った独自の歴史を持っています。
石器時代から縄文時代までは本州と同じでしたが、本州の弥生時代や古墳時代は存在せず、代わって続縄文時代が本州での古墳時代まで続いたのです。その後は北海道のオホーツク沿岸地方はオホーツク文化時代とそれ以外の北海道では擦文文化時代が鎌倉時代のはじめまで続いたのです。擦文文化時代とは、その時代の土器に筆で擦ったような模様がついていたのでそのような名がついたのです。
そして鎌倉時代の始めからは独自のアイヌ文化が成立し、そのアイヌ文化時代が明治維新まで続いたのです。
そのような特異な北海道の歴史については北海道教育委員会のHPで明快に説明してあります。そのURLは、http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/bnh/maizou.htmです。
以下にこのHPの抜粋を示します。
下の抜粋文の中で、アンダーラインが引いてある言葉をクリックすると実に明快で多彩な歴史的情報が開きます。是非、ご覧下さい。
=====北海道教育委員会のHPの抜粋文========
北海道には、弥生時代や古墳時代っていう時代区分がなかった?
北海道は、本州と津軽海峡を挟み、気候も寒冷であるため、本州とはちがう独自の文化を育みました。本州でいう弥生時代、古墳時代の頃は、北海道は「続縄文時代」や「オホーツク文化期」(北海道史年表参照 PDF)を迎えていました。
北海道に住むあなたの町にも、そのころの時代の遺跡があると思います。平成23年度に市町村で行われた発掘調査の概要を別ページで紹介しています。
北海道立埋蔵文化財センターでは、色々な遺跡の様子や土器、石器、木製品、土偶などを展示公開しています。
北海道立埋蔵文化財センターに、土器などを見に出かけませんか。
=========以下省略===============
縄文時代の不思議な遺跡としてやく4000年くらい前に作られたストーンサークルがあります。
以下に北海道の森町にあるストーンサークルの写真を示します。
写真の出典は、http://aomori-jomon.jp/essay/?p=715です。
このストーンサークルの詳細は写真の出典に出ていますので、是非ご覧下さい。
ついでに秋田県大湯で見つかった日本最大のストーンサークルの写真を下に示します。
上下の写真の出典は、http://www.kensoudan.com/firu-kita-y/ooyu2.htmlです。
話はそれましたが、私が想像している仮説をここで提起したいのです。
「縄文文化は主にアイヌ人の祖先が担っていて、弥生文化は南方や朝鮮、中国からの渡来、移住した日本人が担っていた」という仮説です。
この仮説が正しいとすると弥生遺跡や古墳が北海道に存在しないことも無理なく説明できます。
この仮説の最大の疑問点はアイヌ人が土器を焼かなかったという事実です。縄文時代や続縄文時代の北海道では数多くの多彩な土器が作られていました。
その文化が擦文土器に変化して、アイヌ文化成立とともに消えてしまったのです。擦文土器は本州の土師器の影響を受けたことが特徴です。後にこの土器は衰退し、煮炊きにも鉄器を用いるアイヌ文化にとってかわられました。
このようなことが本当に起きたのでしょうか。自分で上の仮説を立てながら、それを疑っている最大の原因はここにあります。
どなたかこの問題についてお教え下さいませんでしょうか?(終わり)