後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

涼しい北海道の花々の写真・・・「北海道ガーデン街道」より

2013年08月09日 | 日記・エッセイ・コラム

このところ毎日、猛暑つづきです。

気持ちだけでも涼しくなろうとして北海道の花々の写真集をあれやこれやと見て楽しんでいました。

その中で、「北海道ガーデン街道」というホームページが抜群でした。

URLは、http://www.hokkaido-garden.jp/index.shtml です。

その中から私が気に入った花の写真を下にお送りします。他にも沢山の花々の写真がこのHPに出ています。それらも合わせてお楽しみ下さい。

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・山岳画家、坂本直行が六花亭の包装紙に描いた北海道の山野草。『十勝六花』の中でも代表格のはまなしは園内に約4000株育てられており、7~8月にはむせ返るようないい香りにガーデン全体が包まれます。

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・紫竹ガーデン:一日中、花と遊んでいたい・・・。ひとりの女性のそんな想いが、1万8000坪のお花畑になりました。

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・風のガーデン:富良野の季節を感じ、風に揺れながら咲き誇るテレビドラマの舞台「風のガーデン」。 2年の歳月をかけて植栽された2万株の花々は、季節ごとに美しい光景を演出してくれます。

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・十勝ヒルズ:澄んだ空気に美味しい水、十勝の魅力がいっぱいのガーデンへようこそ。季節ごとに表情を変える花々や、野菜や果樹などをテーマにしたガーデンがあなたをお迎えします。

北海道ガーデン街道とは、北海道の代表的な美しい7つのガーデンが集中している、旭川~富良野~十勝を南北に結ぶ全長約200kmの街道です。いずれのガーデンも北海道ならではの気候や景観を生かした個性にあふれ、自然の風景や山並み、 アクティビティーを楽しめるとともに、豊かな食も堪能できる観光ルートです。

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親友だった今は亡き周栄章教授の思い出

2013年08月09日 | 日記・エッセイ・コラム

この記事のすぐ下の記事の中の一番下の写真の真ん中に周栄章教授が写っています。そこで彼のことを簡単にご紹介したいと思います。

     @周栄章教授のこと

1979年、ベルサイユ宮殿前の国際会議場で北京鉄鋼学院の周栄章教授に初めて会いました。

周氏は共産軍ととも国民党軍と戦い、天津市を占領し、民生行政に参加した人でした。

この周氏との出会いが後に何度も中国へ行くキッカケになりましたのです。

周氏は日本軍が真珠湾で米太平洋艦隊を攻撃した時、ものすごくうれしかったそうです。日本は太平洋へ軍事作戦を拡大するので、中国本土の戦争は中国にとって楽になると考えたからです。実はこれだけではないようでした。西洋植民地主義で清朝以来痛めつけられた中国人にとって、兄弟分の日本が西洋人に痛撃を与えたからです。

海外在住の中国人も含め、全中国人が日本軍の真珠湾攻撃によって内心溜飲を下げなかったと言えば嘘になると思います。

この周栄章教授は2004年に亡くなりました。時々、周栄章教授の優しい話し方や笑顔を思い出して懐かしく思っています。

      ◎地下室で見た中国人の本音

中国の首相、周恩来が死んだ時、周恩来首相をしたう民衆が1976年の4月の清明節に北京天安門広場に集まりました。大追悼会です。このような周恩来追悼集会が中国全土に広がったのです。

当時は毛沢東も存命で、四人組が権力を握っていたのです。毛沢東は周恩来の人気に嫉妬し、憎んでいたのです。

そこで毛沢東一派は天安門広場の群衆に対して軍隊に攻撃させ、蹴散らせたのです。

これを第一次天安門事件と言います。

その後も、中央政府は周恩来の公的葬式以外の一切の私的な追悼会のような集会を禁止していました。

1980年に北京に行った私に、周栄章・北京鉄鋼学院教授が声をひそめて、

「中国人がどんな人間か見せたいから今夜ホテルへ迎えに行く」と言いました。

 暗夜に紛れて連れて行かれた所は、深い地下に埋め込んだ大學の地下室でした。明るい照明がついた大きな部屋の壁一面に、周恩来の写真、詩文などとともに花束などが飾られていました。

周氏は「中国人が一番好きな人は毛沢東ではなく周恩来ですよ。中央政府が何と言ったってやることはちゃんとやります。それが中国人の根性なのです」と言い切りました。

外国人の私が政府側へ密告しないとどうして信用できたのでしょうか。このような体験は、中国も日本も権力者と一般の人々との考えが違うことを教えてくれました。

中国東北部の瀋陽に行った時、東北工科大學の陸学長がニコニコして「私は日本人の作った旅順工大の卒業です」ときれいな日本語で言いました。そこで、東北大学金属工学科で電気冶金学を習った森岡先生が旅順工大にいたことを話しましたら、「悪い先生もいましたが、大変お世話になった素晴らしい日本の先生もいました。ご恩は忘れません」と懐かしそうでした。中国人は個人の付き合いと国家同士の論争とは分離して考えているようです。

以上、簡単ではありますが周栄章教授の紹介をいたしました。そして彼のご冥福を深くお祈り致します。(終わり)


1972年ー89年の熱烈日中友好時代(2)全国の日中友好協会と日中姉妹都市の流行

2013年08月09日 | 日記・エッセイ・コラム

この連載記事の第一回目の記事で書きましたように、鄧小平は1978年には「日中平和条約」の批准書を交換するために日本を訪問しました。そして昭和天皇を訪問し。新日鉄、君津製鉄所を見学し、新幹線に乗ってトヨタ自動車を見学、その後京都や奈良の観光もしたのです。中国の権力トップの人物が日本を訪問するのは日中の歴史で初めてのことでした。

このころから日本全国に日中友好促進運動が激しく燃え上がったのです。

各地の自治体が日中友好訪問団を派遣し、全国各地に日中友好協会が出来ました。

そして全国の多くの自治体が中国の都市と姉妹都市の協定を作ったのです。

1983年には日本を訪問した中国共産党主席の胡耀邦が中曽根首相と会談し、「日中友好四原則」を作りました。その後、かの右翼的な中曽根総理が靖国神社参拝をやめたのです。親日家の胡耀邦を窮地に追い込まないために止めたのです。

東京には大きな日中友好会館が出来、中国側の中日友好協会の事務所もその中に開設されたのです。それは、全国の市町村にある日本側の日中友好団体と緊密に連携し、両国の友好促進に努力したのです

そして大連市や上海市は、その出先機関の大連東京事務所や上海市東京事務所を設置し、日本側からの投資を勧誘し、工場誘致に努力していました。

私は当時、北京と瀋陽の大学生を留学生として研究指導をしていたので大連や上海の東京事務所を訪問したことがありました。特に大連の事務所の人々は非常に親切で、友好的でした。

一方、中国政府も日本に感謝して残留孤児の調査を丁寧にして、3千人近くの孤児を日本へ返しました。家族連れで返したのです。

旧満州地区を日本人観光客に開放し、昔の満鉄職員関係者が旧宅を訪問したり、満州で命を落とした人々の慰霊碑を立てました。

私も1980年から北京と瀋陽の大学へ集中講義に招ばれ、大歓迎を受けました。各地の観光旅行にも連れて行ってくれました。

西安に行くと「安倍仲麻呂」の巨大な記念碑が建てられているので吃驚したものです。

このような日中友好時代には民間の人々も中国から来日した留学生を私財を投げ打って支援した人も多かったのです。以下に一つだけの実例を上げます。

それは神奈川県の大和市で会社を経営していた土屋 暹 氏のことです。

最近、その息子さんの翁三から頂いた資料によると、土屋 暹 氏は中国の社会主義体制に興味を持っていたそうです。

1966年に訪中し、1973年にはご夫妻で再び訪中、帰国後に大和市日中友好協会を設立しました。1975年には翁三さんも訪中し、その後、父と共に私財を使って中国人留学生を助けてきました。

1978年には大和市の市長を団長として各界友好訪中団を結成して中国を訪問しました。

そして土屋 暹 氏は自分の会社の社員寮に東京近辺の大学へ留学してきた中国人を無料で受け入れたのです。それは1999年に社員寮を解体するまで続けられ、その総数は42人だったそうです。

土屋 暹 氏は息子の翁三さんと共に中国人の面倒を親身になってみたのです。

その例として、下に1980年の春節の祝会の様子を写した写真を三枚示します。

私も瀋陽から留学して来た金応培先生を受け入れていたのでこの祝会に招待されました。

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・上は祝会に参加した中国人で中国の大使館の教育関係の参事官もいました。

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・上は餃子を皆でわいわい言いながら作っている場面です。右端の女性が家内です。

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右端が土屋 暹 社長で、真ん中が私の親友の北京鋼鉄学院の周栄章教授です。左端が小生です。

それにしても鄧小平が去り、胡耀邦が去った後の江沢民と胡錦濤の時代の中国は何故にこんなにも日本を敵視し、攻撃的な言動をとるのか不思議です。

その理由はいずれこの続編で書く予定です。

下に関連参考資料を添付します。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

======この記事に関連した参考資料========

日中友好協会の歴史:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%8F%8B%E5%A5%BD%E5%8D%94%E4%BC%9A

全国自治体の姉妹都市1635件の提携先http://www.clair.or.jp/j/exchange/shimai/page.html

胡耀邦(1981年から1987年まで中国共産党主席):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%A1%E8%80%80%E9%82%A6