後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

エジプトのイスラム組織のデモ隊と暫定政府側軍隊との内戦状態は収束するか?

2013年08月18日 | 日記・エッセイ・コラム

イスラム組織が支持する前の大統領だったモルシ氏の復権を要求するデモがエジプト全土に広がっています。

それに対して事実上のクーデターを起こし、モルシ大統領を解任した暫定政府は軍隊を使って、デモ隊の武力制圧を実施しています。

NHKニュースのネット版によるとイスラム組織のデモ隊の側に800人以上の死者が出たと報道しています。

デモ隊の死者800人以上というNHKネット・ニュースを以下に転載します。

=====エジプトでの死者は800人以上か===========

K10038440011_1308180010_1308180014_

エジプトでは、事実上のクーデターに抗議するデモ隊と治安部隊との間で16日から起きた新たな衝突で170人以上が死亡し、14日の強制排除以降の死者の数は800人を超え、反発を強めるデモ隊との衝突でさらなる流血の事態が懸念されています。

エジプトでは、事実上のクーデターで大統領職を解任されたモルシ氏の支持母体、ムスリム同胞団を中心とするデモ隊が治安部隊に強制的に排除されたあと、双方の衝突が全土に拡大し、16日には首都カイロ中心部のラムセス広場で、武装したデモの参加者の一部と治安部隊の間で激しい銃撃戦になりました。
広場近くのモスクでは数百人のデモ隊が16日夜から立てこもりを続けていましたが、地元メディアによりますと、17日午後2時過ぎ、日本時間の午後9時過ぎから、モスクにいるデモ隊と治安部隊との間で銃撃戦となっているもようです。
こうしたなか、エジプトの暫定政府は17日記者会見を行い、16日から17日にかけて全国各地で起きた新たな衝突で、少なくとも173人が死亡したことを明らかにしました。
治安当局が14日にデモ隊の強制排除に乗り出して以降、死者の数は800人以上に上っています。
暫定政府はデモ隊を1000人以上拘束し、多数の銃や爆弾を押収するなど、ムスリム同胞団側を抑え込む構えですが、同胞団側は1週間にわたって全土で抗議デモを続けるよう呼びかけていて、反発するデモ隊との新たな衝突でさらなる流血の事態が懸念されます。

K10038493211_1308181236_1308181243_

エジプトで、軍による事実上のクーデターに抗議するデモ隊と治安部隊との衝突が各地で続き、これまでに800人以上が死亡するなか、国連は事態の鎮静化を呼びかけましたが、デモ隊側は18日も抗議行動を呼びかけており、治安部隊とのさらなる衝突も懸念されます。

====以上のニュースの出典:http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130818/k10013849321000.html====

エジプトは長い間イギリスの保護国のような国家で、見方によっては、イギリスの植民地的な国でした。イギリスから完全に独立したのは第二次世界大戦後です。

その外交政策は親米を基本にしてきましたが、日本に対しては日露戦争の時代から非常に好意的な親日国家なのです。

大東亜戦争で欧米の植民地を解放し、インドの独立をたすけたということからも日本を尊敬している国なのです。

私の友人で、もと日本鋼管の製鋼技師だったT君がエジプトに行って製鋼技術の指導をしていました。その彼から聞くとエジプト人には親日家が多くて、日本を尊敬している人が多いそうです。

そのような親日国で今回のような大規模な暴力事件が起きて、多くの日本人が心を痛めていると思います。

この暴動が速やかに収束することを祈りながら、エジプトの騒乱のニュースを注意深く見守りたいと思います。(続く)


山郷の別荘に咲く夏の花々

2013年08月18日 | 写真

山梨県、北杜市の甲斐駒岳の麓には別荘が点々と散在しています。

その一帯を車で走り回りながら、道路際に咲いている夏の花々の写真を撮ってきました。空気が清浄なためか花の色も鮮やかに咲いていました。一昨日撮った写真を以下にお送りいたします。

Img_9804

Img_9803

Img_9807

Img_9838

Img_9811


暮れゆく山並みを見ながら今は亡き人々を偲ぶ・・・山林の中の散歩

2013年08月18日 | 日記・エッセイ・コラム

一昨日、山の小屋に泊まりました。そこは本当に深い森の中にある一画で、15軒ほどの質素な別荘がかたまっている所です。

自分たちで清流園という管理組合を作って40年ほどになります。昨日その組合の恒例の総会と懇親会がありました。

一昨日の夕方に、急に涼しい風が吹き、散歩を誘っているようです。日暮蝉も鳴いています。小屋を出て、下のような淋しい道を歩いて行きました。

Img_9819
道の右に見える白いものは道路拡張の際に掘り出した花崗岩です。この辺一帯は白い花崗岩が沢山埋まっています。道の向うに伐採地が開けていて暮れゆく山並みが見える筈です。

この道の右側に、午後にお邪魔した木内山荘があります。仙人のような独り暮らしの木内正夫さんが住んでいる大きな家です

伐採で広くなった場所に出ると下の写真のように暮れゆく山並みが見えます。

Img_9824
西の方に甲斐駒岳が見え、南には下の写真のような鳳凰三山の地蔵岳が見えます。

Img_9829
山並みに暗い雲がかかっていて、何故かあの世を考えさせます。

山で一緒に酒を酌み交わしたりした人々を思い出しました。

この40年の間に亡くなったり、消えてしまった人々を懐かしく思い出します。

代々木の共産党本部で徳田球一さん、野坂参三さんなどの下で働いていたO平さん。一人で山荘に住んでいて、犬を連れて散歩していていました。よく私の小屋の庭に座って話し込んでいたものです。あの温顔が忘れられません。

勝沼のブドウ栽培農家のN村さん。バケツ一杯のブドウを持って来て、ブドウ酒の造り方を親切に教えてくれました。ブドウの皮に自然と発酵酵母菌がついていることには驚きました。銃での猟が趣味で深い、深い山に入ると不思議な世界があると怖そうに話していました。人柄の良い方でした。

私の小屋の隣にある別荘の主のN倉さん。気の良い社交家だったので何度も招待してくれました。ビールを飲み、他愛もない話を楽しんだものです。私より若いのにアットいう間に亡くなってしまいました。有能なサラリーマンでした。会社でも皆に愛されたに違いありません。

清流園管理組合の組合長を長くしてくれたKNさん。経理士事務所の社長だったので組合の経理を丁寧につけてくれました。名組合長でしたが数年前に亡くなってしまいました。

別荘地に独り住みついていた大工のN川さんは傑物でした。数軒の別荘を建て、井戸を掘り、何でもしてくれました。私の小屋の天井や床板を張りなおしてくれました。何度も彼の家に行って話を聞いたものです。今年の3月に急逝しました。亡くなる一週間前に私は話をしました。まだ亡くなった実感がしません。

別荘を作る前に去って行った人々も懐かしいものです。

煙の出るところを作らないで囲炉裏小屋を作ったS飽さんは面白い人でした。

囲炉裏小屋を作ったから遊びに来てくださいと招待されました。一緒にカンビールを飲んだのですが煙が小屋に充満していて煙いのです。二人で涙を流しながらビールを飲みました。

あまりにも煙かったのか、S飽さんは二度と山には現れませんでした。煙い囲炉裏小屋はすぐに朽ち果てました。現在は雑木が生い茂っています。

N出さん夫婦も実に面白い人でした。N出さんは若い建築家です。奥さんは油絵を描いていました。その奥さんが夜に犬を連れて雑木林の中を散歩しています。偶然出会った私が犬の護衛つきで安心ですねと言いました。いささか男っぽい奥さんが間髪を入れずに、「いえ、私が犬の護衛なのです」と言うので大笑いになったものです。この奥さんの絵画展に家内と一緒に行ったこともあります。N出さんは結局、別荘地を伊豆半島にしたといってその後会っていません。

それにしても、みんな、皆なが消えてしまったのです。こんなことを考えていたら日が暮れて、真っ暗になってしまいました。夜風が肌に寒く吹いています。

それはそれとして、

今日も皆様の健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)