後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

涼しげな山岳写真をお送りします・・・鎌田則雄氏のギャラリーより

2013年08月05日 | 写真

Jigatake3001お暑いですね。涼しげな夏山の写真をあれこれ探していましたら鎌田則雄氏の「山稜への誘い」という目のさめるようなHP(http://www.ne.jp/asahi/photo/kamada/kita-mt.htm)を見つけましたを。

兎に角凄いHPです。日本全国の四季折々の高山の感動的な写真集です。

鎌田則雄氏は日本山岳写真協会の会員で、昔風のフイルム写真機とデジカメの両方を駆使しています。

上の写真が撮影中の鎌田則雄氏の姿です。顔写真はHPに出ていますが転載出来ないようになっています。

このHPから涼しげな白馬の写真2枚と立山の写真3枚を下に転載させて頂きました。

夏でも残雪があり、その傍には高山植物の花畑広がっています。

ご自分でその花畑を歩いていると想像しながら地上の暑さをお忘れになって下さい。

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上と下の写真が夏の白馬です。

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下の3枚の写真は夏の立山です。

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この世から全ての差別を撤廃しよう(6)あなたは顔や姿のことで劣等感を持っていませんか?

2013年08月05日 | 日記・エッセイ・コラム

人間は顔や姿の美醜で差別されることが多いものです。それは人間の悲しい性(さが)です。

しかし問題は差別された本人がそれをどのように受け止め、どのような気持ちで毎日を過ごすかということです。

私は戦前生まれで食糧難の時代に育ったので短足で歩きかたもスマートでありません。顔も決して美しいくありません。醜男というほどではありませんが兎に角女性には絶対もてたことがありません。

このことで若い頃は劣等感を持ち、暗い気持ちで過ごしました。

ところがそんな私に一大転換が起きたのです。1960年、24歳の時、オハイオ州立大学の大学院へ留学したのです。周囲の同級生はみんな色白の美男子ばかりです。すらりと身長が高く、歩く姿も良いのです。これには決定的に打ちのめされました。

しかし秋学期が始まり、3つほどの講義を十数人のアメリカ人級友と一緒に聞き始めました。それぞれ毎週3回の講義があり、そのなかで小さな筆記試験が必ずあるのです。講義の内容を充分理解し、応用する力があるかをチェックする筆記試験です。毎日、宿題も出ます。

英語が出来ない私は試験でも宿題でも答えは単語と図面と数式で書きました。すると3重まるがついて返ってきます。試験の点数も100点、や90点でした。80点の時もありました。

周囲のアメリカ人同級生が次第に私に一目置くようになります。3ケ月の一学期の末の成績簿が良いと指導教官のセント・ピエール教授が奨学金を必ず増加してくれるのです。

この体験で人間にとって重要なことは顔や体の見かけではないことを確信したのです。

ルックスが悪いと見下げられたり、女性にもてないことは77歳の現在でも変わりません。差別されるのは差別している本人の問題で私には関係のないことです。

話は飛びますが、そのことを証明している人物が居るのです。

それは下の写真でしめした乙武洋匡さんです。左の本人の生き生きした、明るい顔を見て下さい。そして右の写真を見て下さい。手も足も無いのです。

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彼の人生にについては下にある、「参考資料:乙武洋匡さんのご紹介」を是非ご覧ください。

詳細は省略しますが、一言だけ書かせて下さい。彼が何故自分のハンディキャップも乗り越えて明るい性格なのかの理由を書かせて下さい。

それは彼を育てた母親が偉かったからです。その母親を支え通した父親が偉かったからです。自分たちにこのような子供が生まれた状態をご想像してみて下さい。

私は乙武洋匡さんも偉い人物だが、ご両親の強い精神に感動しています。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

========参考資料:乙武洋匡さんのご紹介===========

(出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%99%E6%AD%A6%E6%B4%8B%E5%8C%A1

乙武 洋匡(おとたけ ひろただ、1976年4月6日 - )は、日本の作家、タレント、元スポーツライター。東京都出身。東京都新宿区出身。先天性四肢切断(生まれつき両腕と両脚がない)という障害があり、移動の際には電動車椅子を使用している。東京都立戸山高等学校、1浪後、早稲田大学政治経済学部卒業。

大学時代に早稲田のまちづくり活動に参加。このまちづくり活動を取材したNHKの番組出演がきっかけで、障害者としての生活体験をつづった『五体不満足』を執筆し、出版。屈託のない個性と「障害は不便です。しかし、不幸ではありません」と言い切る新鮮なメッセージがあいまって大ベストセラーとなった。この『五体不満足』は一般書籍の部数記録としては2010年現在で日本第3位の記録を持っている(出版科学研究所調べ)。また学生時代から報道番組にサブキャスターとして出演。2000年2月に都民文化栄誉章を受賞。

大学卒業後は、スポーツライターとしてジャーナリズムの世界に手を広げ活躍しつつ、2005年、新宿区の非常勤職員として「子どもの生き方パートナー」に就任。また同年より小学校教諭免許状を取得するために、明星大学通信教育課程人文学部へ学士入学し、教員の道への足がかりとした。教員免許状取得を思い立ったのは、以前からの教育への関心に加え、長崎男児誘拐殺人事件などをきっかけに、子どもの人格形成に大人がどのような責任を負っているか問題意識を抱いたためという。2007年2月に小学校教諭二種免許状を取得。同年4月より2010年3月31日まで杉並区任期つき教員として杉並区立杉並第四小学校に勤務した。

2013年3月8日、東京都教育委員に就任。

自身のTwitterによると、身長107cm、体重38kgとのことである。私生活では、2001年3月結婚。2008年1月3日に第1子(長男)が誕生。2010年7月9日に第2子(次男)が誕生。上記の活動と並行して2011年4月よりロックバンド「COWPERKING」のボーカル「ZETTO」としても活動している。======終わり=============