花々にまつわる伝承や物語はその民族の固有の文化の一部です。日本人にとって桜や梅の花、そしてアヤメやボタン、蓮の花などにまつわる想いは日本の固有の文化の一部です。
ヨーロッパがキリスト教になる遥か以前からスミレ、ワスレナグサ、ユリ、バラなどにまつわる伝承や物語があったのです。
スミレ
例えばスミレは古代ギリシャやローマの時代から春の使者として愛されて来ました。春の女神が大地を歩むと、その足跡から春の最初のスミレが芽生えると信じられていたのです。ウイーンの宮廷では13世紀の頃、3月になるとドナウ河の川岸に春の最初のスミレを探しに出かけ、それに挨拶する習慣があったそうです。ヨーロッパ各地の春の祭りにはスミレの花が主役のように出てくるのはこの古くからの伝承によるのです。ボチチェリの名作「春」の野原にも描かれています。
スミレは元来、紫色の一色ですが、三色のものを栽培し、花屋さんでパンジーとして売っています。パンジーは日本人も大好きです。野生のスミレでもたまには三色スミレがあります。ヨーロッパでは野生の三色スミレは肺病にきく薬という俗信がありました。特に聖ヨハネの日の6月24日の午前11時から12時に摘まれた三色スミレは肺病に大きな効き目があると信じられていたそうです。全くの迷信ですね。
ワスレナグサ
湿地や川辺に咲いているこの可憐な花は、昔から愛と誠のシンボルとしてヨーロッパ人に大切にされて来ました。この青い小さな花を手にとって、「恋人よ、私を忘れないで!」と祈ると効き目があり2人は結ばれるのです。ワスレナグサの英語名は、文字通り、forget-me-not と言います。ドイツ語ではVergissmeinnicht です。どちらも「私を忘れないで!」という意味です。ひと茎のこの花を恋人に取ってあげるために川に落ち、命を失った若者の話は今も伝えられています。元来日本には無かったので日本名はヨーロッパ語の直訳です。
ワスレナグサは魔力を持っています。愛の妙薬として男性がポケットに入れて置くと娘に気に入られるのです。ある牧師が1588年にそれは全くの迷信で、効き目が無いと声高く否定していたと言います。その事は逆に、多くの若者が愛の妙薬としてワスレナグサの魔力を信じていたということを示しています。ヨーロッパにも日本と同じように迷信が沢山あるのです。
ユリ
ユリはギリシャ、ローマ時代から神聖な花として大切にされて来ました。白い楚々とした花、そして清らかな芳香は純潔と処女性のシンボルとして尊重されて来たのです。キリスト教でもこの伝統を受け継いできました。聖母マリアの絵にはユリの花が描かれています。その伝統にもとづいてカトリックの国々では祭りの日にはマリア像をユリで飾るのです。
ヨーロッパの文学ではユリと純潔な娘に関連する物語が多いのも上のような伝承に依るのです。宗教画でよく目にすることとお思います。
またユリの球根は婦人病に効き目があるとして民間療法で使われていたそうです。それも勿論迷信です。
バラ
ヨーロッパではバラは花の女王と考えられています。青春と美と愛と喜びのシンボルなのです。ギリシャの女流詩人サフォーが「バラは花の女王」と書いています。その美しい形、色、香りから当然のことでありましょう。
バラは美の女神ヴィーナスに捧げられました。ゲルマン神話では生垣のバラは女神フリッガに捧げられています。さらに古い俗信では、バラは神聖な森や供犠の為の祭壇があった所や埋葬地に好んで咲いていると言います。
さてヨーロッパにキリスト教が普及するとともに薔薇はマリア様へ捧げられるようになったのです。マリア様の絵の周りにバラの花が盛んに描かれてきました。
キリスト教以前からヨーロッパ各地にはバラ祭りがありました。さまざまな踊りや歌の趣向が凝らされていますが、祭りの中心をなすものは「バラの女王」を選ぶことにあるのです。
花々を愛する民族の歴史はキリスト教よりも古い
私がこの文章で言いたい事は2つです。
(1)人類が花を愛し始めた時代は、火を使い、埋葬をするようになった頃から始まると推察出来るという事です。ツタンカーメン王の胸の上に王妃が置いたと言う一束のムギワラギクは私達の心を強く打ちました。仏教やキリスト教のような高等宗教が現れるずっと前から人類は花々を大切にし、愛して来たのです。どうして人類は花が好きなのでしょうか?
(2)迷信を好きなのは人類共通の性向です。日本にだけ迷信があって、ヨーロッパには無いという理解は大変間違っています。人類には民族の違いがありますが、迷信が好きだという共通の性向があるのです。迷信こそは文化の発達の出発点と言えるような気がします。私は迷信を信じませんが大切にしています。迷信を信じられる人は案外幸福なのではないかと思っています。
今日は皆様の人生が花々のお陰で一層豊かに、そして幸多くなりますようにお祈り申し上げます。藤山杜人
この記事の内容の出典は、谷口幸男、福嶋正純、福居和彦 共著、「ヨーロッパの森から」ードイツ民族誌 (NHKブック397、日本放送昭和56年8月20日第一版発行)という本です。 又、花々の写真の出典はWikipedea です。 記して、感謝の意を表します。 (終り)