後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

興味深い「社会実情データ図録」を作った本川裕さんをご紹介いたします

2010年12月11日 | インポート

 

   

社会実情データ図録http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/を作った、   

1951年、神奈川県生まれ、本川 裕 (ほんかわゆたか)さんのプロフィール

 

 

小学校

 

千代田区立永田町小学校

中学校

 

千代田区立麹町中学校

 

高校、

 

私立武蔵高校

 

大学・大学院

 

東京大学農学部農業経済学科

 

前職

 

財団法人国民経済研究協会常務理事研究部長
20043月末にて財団解散)

 

現職

 

アルファ社会科学(株)主席研究員
(株)社会構想研究所
主幹研究員
(有)地域情報設計研究所
研究顧問
立教大学兼任講師

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埼玉県富士見市西みずほ台

妻、及び2男

黒瀬川浪之助(大正時代の相撲取り) 写真

読書、キューバ音楽鑑賞

この写真は大正時代に関脇になった祖父です。


世界の離婚は減少傾向へ変わった!・・・結婚生活の幸せは永遠か?

2010年12月11日 | 日記・エッセイ・コラム

いきなり私事で恐縮ですが、我々夫婦が結婚してから49年になります。この事実を時々考えて不思議な気分になります。親子が同じ家に住んだのは20年位だったのに比較すると現在の妻とは50年近くも同じ家に住んでいるのですから不思議です。

結婚はやっぱり神様が人間へ与えた秘跡なのでしょうか?疑い深い私は早速、「世界各国の離婚率」を検索し、下の図面を見つけました。かなり信用出来る統計であることは図面の下に付いている情報源の明記からも分かりました。出典は、

本川裕さんが作った社会実情データ図録http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/の中の、

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9120.html です。下の図面は不鮮明ですがクリックして拡大すると非常に鮮明に拡大します。

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まずこの図面を注意深く見ました。自分がボンヤリ考えていた事が間違っていることに気が付いたのです。皆様もきっと吃驚されると思いますので幾つかの事実を列挙してみます。

(1)離婚は年々増え続けていると思い込んでいたのですが日本では8年くらい前から減少傾向へ転換しているのです。その他の国もロシアは例外ですが減少傾向へ転換しています。

(2)世界の離婚王国のアメリカでさえ1980年の4.3%をピークにして、それ以後は減少傾向へ転換しています。2007年には3.5%まで減少しています。

(3)他の資料を見ると日本の離婚率の2.0%は国別ランキングでは上から20位で、かなり低いところにあります。

(4)私は離婚を認めないカトリック信者なので、カトリックの優勢な国は離婚が少ないと思っていました。上の図面ではイタリアは低いですが、しかし、他の資料を見ると、スペインが2.8%、ポルトガルが2.4%と必ずしもそのような明確な結論が得られません。国々の社会風習や伝統、そして経済状況など複雑な要因が組合わされて起きる現象のようです。簡単な因果関係を証明することは困難です。

離婚率は想像以上に低い上に減少しつつあるのです。日本では100組の結婚式があると、そのうちの2組しか離婚しません。

夫婦生活はいろいろ不満があってもやっぱり幸多いものなのです。それだからこそ40年も、50年も一緒に住むことになるのです。やっぱり神様の与えてくれた秘跡なのです。

それでは2%の離婚は神様の間違いなのでしょうか?神は沈黙して答えません。しかし不運にも離婚した人々を、差別しないことが重要と思います。アメリカに4年間住んでいたことがありますが、あちらでは差別しないような社会ルールが確立しています。このアメリカの善い風習は見習うのが良いと信じています。

ところで結婚しないで一生独身を通す人々も増えて来ました。そのような人々も自由で幸多い人生を歩んでいると信じています。

それはそれとして、縁あって結婚した以上は、お互いに努力して死ぬまで一緒に添い遂げたいと願っています。

今日も皆さまのご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人


教会は散歩に入って来る人をいつも歓迎しています

2010年12月10日 | 日記・エッセイ・コラム

025 府中市の大国魂神社から続くケヤキ並木道を北へ数百メーロル行った所にカトリック府中教会があります。

私の趣味の一つに見知らぬ教会へブラリと入って見物することがあります。この府中教会は1990年からカトリックの教会になっていて、よく車で前を通っていましたが、一度も入ったことがありません。

今日は取材のつもりで家内と一緒に車を入れてて前庭に駐車しました。

門柱を見るとカトリック府中教会という標札も出て居ますが、ミラノ外国宣教会の教会という看板も出ています。ローマ法王直属の宣教会です。カトリック東京大司教区の方針に従って宣教活動をしていますが、イタリアの教会です。これは変わっていて面白いと思いました。

左の写真や下のイエス様誕生の像の写真を撮ってから聖堂に静かに入ってみました。入って行くとイタリア人らしい神父さんがミサをしています。

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後でお名前はマウリツイオ神父さんと分かりました。下に聖餅を信者達へ優しく与えている写真を示します。

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このように気楽に教会に入り静かに見学するとキリスト教の実態が分かります。決して読書では得られない体験的な理解が出来るのです。

話は飛びますが、以前ヨーロッパに住んでいるころよく教会に見物に入ったことがありました。ガランとして誰も居ない時も静かで良いのですが、ミサをしている時などは信者の祈る姿や表情を見て居るとキリスト教の神髄が分かります。ヨーロッパ文化の真髄が分かるような気がします。静かにしている限り常に歓迎してくれます。皆様も是非、教会を気軽に見物の為にお入りになる事をお勧めいたします。

今日はミサの後、マウリツイオ神父による旧約聖書の出エジプト記の講義がありました。知性あふれる方です。優しい話し方です。ついつい聞いてしまいました。エジプトのユダヤ人は430年もエジプトに住んた後、ヤーウエの神に導かれて、モーゼの指導で海を渡る話です。紀元前600年以上も前のエジプト王朝のファラオが神でもあったのです。ユダヤの神ヤーウエの方が圧倒的に力のある絶対神だったという話を説明してくれました。当時のエジプト人の迷信や俗信が旧約聖書ではどのように転化し、新しい意味を持つようになったかを歴史的に、明快に話すのです。素晴らしい話し方です。古いエジプト人の農民の酵母無しのパンを食べる儀式と牧畜民の生贄のヒツジの血を住宅用のテントの支柱に塗り悪魔除けの儀式が合体したのが過越祭なのです。そして過越祭の意味は魔よけから神による保護へと意味が変わったのです。

そのように迷信や俗信が時代とともに変化し、新らしい意味と役目を果たすようになると説明してくれます。眼から鱗です。クリスマスもゲルマン民族の冬至祭を踏襲し、イエス様の誕生日となったのです。復活祭は春到来の祭りでした。

このように古い迷信と習俗が生まれ変わって文化が変化して行くのです。マウリツイオ神父さんは文化人類学の学者でもあったのです。神学をよく知っている神父さんは多いです。そしてマウリチイオ神父さんは人間の温かい血を持った学者でもあるのです。そこで帰宅後、ミラノ外国宣教会を検索して調べました。         最後に日本に来ている21名の神父様のお顔の写真を示して、この記事の終りと致します。ウリツイオ神父は最下列の左から2番目の写真です。

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ネットの上で出来た数多くのかりそめの友人達

2010年12月10日 | 日記・エッセイ・コラム

南米へ旅すると友人が沢山出来るといいます。初対面でも、アミーゴ(友人)と呼びかけてくれるそうです。「人類みな家族」という標語もあります。仕事を止め引退するとこのような考え方の良いところに気が付きだしました。現役の間は、「そんなバカな」と一笑していました。そんな折、ブログを書き出しました。他人のブログも数多く見ました。そこには華やかで広い世界が広がっていたのです。若い時から親しんで来た読書の世界とも違っていました。自分の手の届くところに人生観の共有出来る人々が沢山居たのです。勇気づけられるコメントを頂きます。他のブログを読んで感動したらメールを送ります。人生の喜びや悲しみについて感性が同じような人がいます。私の心を打ち鳴らす写真や文章があります。みんな、みんな自分と同じ素人の作品です。それだからこそ手が届く友人のように感じます。ネットの上で知り合った人々を友人と呼んで良いものでしょうか?あまりんも軽率なことではないでしょうか?

初めは少し悩みました。幼馴染も居ました。小学校や中学校時代の親友も居ます。長い間、年賀状を交換している親友も居ます。ネットの上で知り合った人を友人と呼ぶのは昔からの親友へ対する裏切りではないでしょうか?

私はある時フッと気が付きました。この世はかりそめのものなのです。親友もネットで知り合った方々も全てかりそめの友人なのです。どちらも大切な宝ですが、しかしかりそめなのです。少しだけ宗教的な感じ方です。しかし「かりそめの人間関係」を想像すると初対面の人でも皆友人と呼べるのです。縁有って会えたのです。友人と呼んで大切に思えれば自分の世界が広がり、楽しい生活が出来るのです。

ネットで知り合ったかりそめの友人は実社会の親友よりも大切に思える時もしばしばあります。ネットの上で知り合った友人が突然死んでしまったり、ネット社会から消えてしまう事があります。自分が心の中で友人と思っていた人が消えてしまうのです。その時のショックや悲しみの大きさを何度か経験すると、やっぱり本当の友人だったと実感いたします。このブログの左サイドに「推薦したい方々のブログ」が示してあります。もう何年も変えていません。これらの友人が永久に消えないよう祈っているのです。それに加えて何人もの数多くのネット上の友人が居ます。特に親しくメールやコメントを交換している訳ではありませんが縁あって友人になって頂いた方々です。

そして南米のように会った全ての人々を心から友人と呼べるような自分になりたいと祈っています。ですからこそ、ある時から突然、皆様の健康と平和をお祈りするようにしたのです。ここまでお読み下さった方々は私の友人なのです。大切な人なのです。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

下の写真は今年の5月に肺ガンで逝去したネット上の友人、ひかるのさんが最後に4月に撮影した自宅近くの公園の写真です。

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お寺は散歩に入って来る人をいつも歓迎しています

2010年12月09日 | 日記・エッセイ・コラム

私はお寺を見るとよく散歩のつもりで入って行きます。時間がある時は必ずのように入って境内や墓地を散策します。今日も吉祥寺のアーケード街に正門がある月窓寺を散歩してきました。お寺の散歩で見るべきところが幾つかあります。今日はお寺を散歩して楽しむ方法を書いて見ます。私が何時も実行して楽しんでいることです。

011 境内に入ったらまず本堂のそばへ行きます。ご本尊様へ、「こんな静かな境内を散歩させて頂き、有難う御座います」と少しだけ頭を下げます。それで全てが許されるのです。

賽銭箱があれば小銭を入れます。それは全く自由です。小銭が無ければ入れません。

それから境内を掃いている作務衣の人が居たら会釈をします。

それから勝手に歩き回って良いのです。この時、愛犬やペットを連れて行くのは遠慮します。

012_2 本堂の左に玄奘三蔵法師さまが立っています。別に拝む必要はありません。この像の面白い所を探します。

インドから持って来たお経がビッチリ入った縦長の大箱を担いでいます。その大箱の上に固定した大きな傘が面白いのです。お経が雨に濡れないようにして、その上自分も濡れないように大きな直径の傘ですね。その上、傘の前部から燈明を灯す入れ物がぶら下がっています。夜になっても歩いた日もあったのでしょうね。左の額から汗が垂れていますが、これは単なる汚れです。

013 墓地のほうへ歩いて行くと遺族が行方不明になった無縁墓が積み上げた供養塔があります。江戸時代から明治の年号が刻み込んだ無数の墓石が積み上げてあります。自分の墓もいずれこのようになると思うと何故か安心します。

どこの寺にも遺族が来なくなってしまった墓石が沢山あります。それを纏めて住職が供養しているのです。

無縁墓の供養の様子はその寺の住職の考え方でいろいろです。それを見るのが面白いのです。いろいろなスタイルがあります。この月窓寺では無縁墓の塔の上に慈母観音さまの石像が坐って居ました。

015 その後は墓地を静かに散歩します。お花を供えに来ている人には軽く会釈をします。この時、間違ってもニコニコしてはいけません。悲しい気持ちで遺族は来ていることが多いからです。

墓地に供えられた花々を見て楽しみます。枯れた花があったら取り上げて、決まった枯れ花の捨て場へ持って行きます。

墓石を見ます。この写真は日露戦争で戦死した茂木伊八上等兵の墓です。立派な墓石ですね。若くして戦死した息子を悼む両親の悲しみ、嘆きが100年以上たって墓前に居る私に伝わってきます。反戦の重要さが私の心を打ちます。打ち鳴らします。

このようにお寺の境内を勝手に散策するのが私の楽しみです。最後に一つ重要な条件を書きます。そのお寺に眠る全ての死者に対して敬意を持ち、冥福を祈るのが散歩を楽しくする条件です。その気持ちのあるかぎり、全てのお寺は貴方の散歩を大歓迎しています。

この事はキリスト教の教会や墓地でもまったく同じです。その事は次回書きます。

是非、近所のお寺の境内の散歩をお楽しみ下さるように祈っています。(終り)


鰻の蒲焼が好きな方へ送る写真です

2010年12月09日 | 写真

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吉祥寺駅の北口を出て、アーケード街を歩き、中ほどの左の路に入ったところに「うな鐡」があります。数十年前に、うな丼がご馳走だった時代に家内と何度か来た思い出の店です。楽しかったことを思い出したので、今日は独りで散歩しながら食べてきました。特に安いとか超美味という店はありませんが、ご贔屓にして下さい。写真だけで恐縮ですが、お送りいたします。煙の香ばしいにおいをご想像しながらお楽しみ下さい。終り。


新聞やテレビの片寄った報道姿勢の実例3つ・・・視野が狭すぎる!

2010年12月09日 | 日記・エッセイ・コラム

仕事をやめると時間に余裕が出来、新聞やテレビをよく見るようになります。そこで気が付いたのですが、その報道姿勢が実に狭量で、視野が狭いことです。そのひどさを慨嘆しています。その不公平さに怒りさえ覚えます。最近、身に沁みた実例を3つだけ書いてみます。

(1)有名芸能人の失敗の報道が詳し過ぎて、重要な国際ニュースが無視される

最近、ある有名な役者が酔って事件を起こしました。その詳細をあれこれ延々と報道しています。毎日のように報道が続いています。その同じ頃、日米の軍隊が大規模な共同軍事演習を沖縄近海、日本海で艦艇50隻規模で実行されています。アメリカの原子力空母、ジョージワシントンも沖縄近海に居て演習に参加しています。当然のことながらロシアの哨戒機が2機飛んで来て観察しています。

この演習の前に行われた米韓共同演習の時には詳しい映像や新聞記事が何度も出ました。

今回の日米共同演習の目的はロシア、北朝鮮、中国へ対して強いメッセージを伝える事にあります。尖閣諸島の問題が起きた時、マスコミは大騒ぎをしたのがウソのようです。一際忘れてしまったような態度です。私はこのマスコミの態度を非常に不満に思っています。

(2)片寄った偏狭なスポーツニュースに怒りを感じます

この問題はいろいろありますが、ほんの3つの例だけを書きます。

1、国際スポーツ大会のニュースは日本人選手の活躍ぶりだけを報道します。その種目全体の結果は大会終了時に小さく出るだけです。スポーツのいろいろな種目を愛好する人にとっては片寄った報道ぶりです。偏狭過ぎます。

2、最近、ゴルフでタレント的魅力溢れる若いプレイヤーが出て来ました。するとその人気プレイヤーの活躍ぶりだけを報道します。スポーツニュースはその種目の全体の様子を報道すべきです。それを期待している人々も多いのです。スポーツニュースを芸能番組と取り違ているのです。視聴率さえ上がれば何でも良いというあさましさが見えて悲しくなります。

3、日本でマイナーで外国で盛んなスポーツは無視します

その例がヨットレースです。オリンピックで日本人はヨットの種目でなかなかメダルをとれません。メダルを取った時だけ小さく報道します。その狭量ぶりにはア然とします。アメリカンフットボールやバスケットボールの報道が無さ過ぎます。日本の大学にはそのクラブがあって大学間の試合もしています。

(3)天気予報はロシア沿海州、韓国、中国東部の天気図と衛星写真も報道すべし

日本列島の冬の天気はロシア沿海州、韓国、中国東部の気圧配置が西風に乗って移動して来ます。例外の日もありますが、大体そうです。したがってこの地域の天気図と雲の衛星写真を報道すると大変理解し易いのです。

夏から秋には台風が日本を通過してこれらの地域へ上陸することもあります。どの程度の損害が出そうか知ろうとしません。他人の不幸は無視しているようで悲しくなります。

日本列島だけの天気情報を報道するのは狭量すぎます。天気予報が不正確になります。アメリカやヨーロッパの天気予報は国境の向こう側までちゃんと報道します。 日本人の自然科学へ対して狭量な感情を混入しているようで悲しいのです。

マスコミに携わる人々が、下の山の写真のように悠然たる気持ちで片寄らない報道をするように祈っています。

さて、貴方は新聞やテレビの報道にご満足でしょうか?ご意見を頂ければ嬉しく思います。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

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老人のヨットの独り帆走趣味とはこういうものです

2010年12月08日 | 日記・エッセイ・コラム

年をとると体が動きません。力も無くなります。しかし私は毎週のように、独りで帆走を楽しんでいます。

下の写真のようにヨットの前甲板の上に上げる三角形の帆だけで帆走します。手前には青いカバーの中に畳んであるメインの帆があります。しかしそれはめったに上げません。

006 前の三角形の帆の右の前端の縦のワイヤーの周りに細い堅い筒がついていて、その下の方にロープが巻いてあります。そのロープを引っ張ると縦の筒が回って三角形の帆を巻き取ってしまいます。その後はエンジンで帰港します。帆を出す時は左下の帆の後の裾に付いているロープを引っ張れば帆がスルスルと開きます。この仕掛けをジブファーラーと言います。これのお陰で少しの力で前の帆を出したり、巻き取ったり出来るのです。老人が独り帆走するときの大切な仕掛けです。

天気が温かく、適度の風のときは青いカバーを取って、メインセールをマストのてっぺんまで上げます。それを独りでやり遂げるのも楽しさの一つです。温かい季節にはメインセールもよく上げて独り帆走を楽しみます。今日は前の帆だけで悠々と帆走を楽しんで来ました。ヨットはゆっくり走らせても楽しいので、老人にも楽しめる趣味です。

もっとも時々は若いヨットマンと一緒に冒険的な快走も楽しみます。

今日は上の写真のように前の帆だけで楽しんで来ました。これでも風に向かって48度まで登れるのです。年を取るとヨットの走らせ方も変わってくるというお話です。失礼しました。


青く輝く水の惑星を撮ったつもりの写真をお送りします

2010年12月08日 | 写真

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湖水の水面がキラキラと輝いて、豊富な水が漲っていました。ここに来るたびに地球は青い水の惑星ということが実感しています。蒼穹が何処までも高く透明になっていて、ヨットに乗ったまま成層圏へ吸い込まれそうです。その感じをなんとかして写真に撮りたいと思いますが、肉眼で見えるような透明感が写っていません。ご想像しながらお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

今日はキャビンの中の椅子のカバーを新品と取り換えに行きました。布専門店の店の中で見た時はかなり派手な色でしたが、ヨットにはもっと大柄で派手な色合いの方が良かったのではないかと思いました。それでも椅子のカバーが清潔な新品になったので寝転がりながらヨーロパッパの民族誌を読んできました。詰まらない写真でご免なさい。草々。

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戦没画学生の絵画(8)芳賀準録さんの「風景}

2010年12月08日 | インポート

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大正10年、山形県に生まれる。昭和15年、東京美術学校入学。昭和18年出征。昭和20年2月2日、フィリッピン、ルソン島にて戦死。享年23歳。

兄弟姉妹は準録の幼い頃からの画才に期待しやさしく見守っていたのです。

絵と文章の内容の出典は以下の通りですNHKきんきメディアプラン発行、「無言館 遺された絵画」2005年版、28ぺージです。


ヨーロッパの花々の民族誌・・・スミレ、ワスレナグサ、ユリ、バラ

2010年12月08日 | 日記・エッセイ・コラム

花々にまつわる伝承や物語はその民族の固有の文化の一部です。日本人にとって桜や梅の花、そしてアヤメやボタン、蓮の花などにまつわる想いは日本の固有の文化の一部です。

ヨーロッパがキリスト教になる遥か以前からスミレ、ワスレナグサ、ユリ、バラなどにまつわる伝承や物語があったのです。

Viola_mandshurica_111 スミレ

例えばスミレは古代ギリシャやローマの時代から春の使者として愛されて来ました。春の女神が大地を歩むと、その足跡から春の最初のスミレが芽生えると信じられていたのです。ウイーンの宮廷では13世紀の頃、3月になるとドナウ河の川岸に春の最初のスミレを探しに出かけ、それに挨拶する習慣があったそうです。ヨーロッパ各地の春の祭りにはスミレの花が主役のように出てくるのはこの古くからの伝承によるのです。ボチチェリの名作「春」の野原にも描かれています。

スミレは元来、紫色の一色ですが、三色のものを栽培し、花屋さんでパンジーとして売っています。パンジーは日本人も大好きです。野生のスミレでもたまには三色スミレがあります。ヨーロッパでは野生の三色スミレは肺病にきく薬という俗信がありました。特に聖ヨハネの日の6月24日の午前11時から12時に摘まれた三色スミレは肺病に大きな効き目があると信じられていたそうです。全くの迷信ですね。

Myosotis_palustris_a11 ワスレナグサ

湿地や川辺に咲いているこの可憐な花は、昔から愛と誠のシンボルとしてヨーロッパ人に大切にされて来ました。この青い小さな花を手にとって、「恋人よ、私を忘れないで!」と祈ると効き目があり2人は結ばれるのです。ワスレナグサの英語名は、文字通り、forget-me-not と言います。ドイツ語ではVergissmeinnicht です。どちらも「私を忘れないで!」という意味です。ひと茎のこの花を恋人に取ってあげるために川に落ち、命を失った若者の話は今も伝えられています。元来日本には無かったので日本名はヨーロッパ語の直訳です。

ワスレナグサは魔力を持っています。愛の妙薬として男性がポケットに入れて置くと娘に気に入られるのです。ある牧師が1588年にそれは全くの迷信で、効き目が無いと声高く否定していたと言います。その事は逆に、多くの若者が愛の妙薬としてワスレナグサの魔力を信じていたということを示しています。ヨーロッパにも日本と同じように迷信が沢山あるのです。

Lilium_candidum_11 ユリ

ユリはギリシャ、ローマ時代から神聖な花として大切にされて来ました。白い楚々とした花、そして清らかな芳香は純潔と処女性のシンボルとして尊重されて来たのです。キリスト教でもこの伝統を受け継いできました。聖母マリアの絵にはユリの花が描かれています。その伝統にもとづいてカトリックの国々では祭りの日にはマリア像をユリで飾るのです。

ヨーロッパの文学ではユリと純潔な娘に関連する物語が多いのも上のような伝承に依るのです。宗教画でよく目にすることとお思います。

またユリの球根は婦人病に効き目があるとして民間療法で使われていたそうです。それも勿論迷信です。

Mrs_herbert_stevens_may_20081 バラ

ヨーロッパではバラは花の女王と考えられています。青春と美と愛と喜びのシンボルなのです。ギリシャの女流詩人サフォーが「バラは花の女王」と書いています。その美しい形、色、香りから当然のことでありましょう。

バラは美の女神ヴィーナスに捧げられました。ゲルマン神話では生垣のバラは女神フリッガに捧げられています。さらに古い俗信では、バラは神聖な森や供犠の為の祭壇があった所や埋葬地に好んで咲いていると言います。

さてヨーロッパにキリスト教が普及するとともに薔薇はマリア様へ捧げられるようになったのです。マリア様の絵の周りにバラの花が盛んに描かれてきました。

キリスト教以前からヨーロッパ各地にはバラ祭りがありました。さまざまな踊りや歌の趣向が凝らされていますが、祭りの中心をなすものは「バラの女王」を選ぶことにあるのです。

花々を愛する民族の歴史はキリスト教よりも古い

私がこの文章で言いたい事は2つです。

(1)人類が花を愛し始めた時代は、火を使い、埋葬をするようになった頃から始まると推察出来るという事です。ツタンカーメン王の胸の上に王妃が置いたと言う一束のムギワラギクは私達の心を強く打ちました。仏教やキリスト教のような高等宗教が現れるずっと前から人類は花々を大切にし、愛して来たのです。どうして人類は花が好きなのでしょうか? 

(2)迷信を好きなのは人類共通の性向です。日本にだけ迷信があって、ヨーロッパには無いという理解は大変間違っています。人類には民族の違いがありますが、迷信が好きだという共通の性向があるのです。迷信こそは文化の発達の出発点と言えるような気がします。私は迷信を信じませんが大切にしています。迷信を信じられる人は案外幸福なのではないかと思っています。

今日は皆様の人生が花々のお陰で一層豊かに、そして幸多くなりますようにお祈り申し上げます。藤山杜人

この記事の内容の出典は、谷口幸男、福嶋正純、福居和彦 共著、「ヨーロッパの森から」ードイツ民族誌 (NHKブック397、日本放送昭和56年8月20日第一版発行)という本です。 又、花々の写真の出典はWikipedea です。 記して、感謝の意を表します。  (終り)


戦没画学生の絵画(7)蜂谷 清さんの「祖母の像」

2010年12月07日 | 写真

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大正12年、千葉県、佐倉に生まれる。絵画は独学。昭和18年出征。

昭和20年7月1日、フィリッピン、レイテ島にて戦死。 享年22歳。

「ばあやん。わしもいつかは戦争にゆかねばならん。そしたら、こうしてばあやんの絵もかけなくなる」と言いつつ丁寧に、丁寧に描きあげた祖母の像です。ばあやんの「なつ」は清を特にかわいがったのでした。

戦争がはじまってしばらくした日 清は慈愛のなつの肖像画を描く。なつの眼、口もと、鼻、頬、顎、手・・・・  その皺一本一本を、けっして見逃すまいとするように清は精魂込めて画布にきざみこんだのです。

絵と文章の内容の出典は以下の通りですNHKきんきメディアプラン発行、「無言館 遺された絵画」2005年版、14ぺージです。


韓国タレントの活躍・・・日本への復讐心を克服した韓国人群像

2010年12月07日 | 日記・エッセイ・コラム

最近、韓国のテレビ番組が放映されたり、韓国人タレントが来て日本の芸能界で大活躍をしています。「韓国タレント」を検索すると日本の若い人に人気のあるタレントが多数紹介してあります。

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上の写真はその例で、出典は、http://www.showtime.jp/special/korea/mnet_on/ です。

韓国タレントの活躍ぶりをテレビで見て居ると老人の私は本当に嬉しく、楽しく思います。心が豊かになり、年月の流れに深く感謝します。この感慨は若い人には分かりにくいと思います。そこで少しだけ何故私が幸福感に包まれているかの理由を書きます。

結論を先に書きます。日本人に酷い目に遭わせられた朝鮮民族が日本人への復讐心や怨念を克服し、超越したのです。少なくとも見る限りでは超越したのです。そのような民族に感動し、尊敬したくなります。自分もそのよう高みに登りたいと思います。韓国人を同じアジア人として誇りに思います。そして私は在日韓国人も尊敬します。

このように書くと必ず賢い人が言います:「なに人間はお金の為なら何でもするのですよ」と。そのような人には復讐心の克服の尊さが理解出来ません。

日本の芸能界で活躍jしている韓国人タレントは若いから日本の過去の残酷さを知っていないのですと解説してくれる人もいます。気楽な人です。

民族としての復讐心や怨念は世代を越えて連綿と続くのです。その証拠には最近の尖閣諸島に対する中国人の理不尽な態度を見れば一目瞭然です。中国人タレントは日本の芸能化で活躍していません。日本で活躍すると中国では受け入れないようです。台湾は別です。韓国と同じようです。

韓国人が倫理的に高い所に登ったのが偶然ではありません。民族としての血のにじむような努力をして来たのです。我々はこの隣人のことを温かい気持ちで見守る方が良いと信じています。自分自身の為にです。

今日は皆様が韓国人をより深く尊敬するようにお祈り申し上げます。     藤山杜人