今朝の記事で高速増殖炉「もんじゅ」について少し書きましたところ趣味人倶楽部のリタさんとSanochi さんから下のようなコメントを頂きました。
そこで早速「もんじゅ」の現状を調べて見ました。そうしたら2010年8月に燃料棒を出し入れする大きな駆動装置が原子炉の中に落下して、それが取り出せない状態になっていました。燃料棒を入れたり、抜いたり出来ませんから発電開始も出来ないし、廃炉も出来ない大変危険な状態を8ケ月近く続けているのです。実に困った状態です。
そこで高速増殖炉の危険性とトラブルの内容を明快に描いた報告書を検索して、広く探して見ました。そうしたらとても客観的で分かりやすい報告書を見つけました。京都に居る大学4年生の学生さんが書いた報告書です。この記事の末尾にご紹介してありますので是非お読み下さい。
精読した私は「もんじゅ」は廃止すべきと信じるようになりました。兎に角、説得力のある素晴らしい報告書です。参考文献もついた完成度の高い報告書です。是非ご一読下さい。
少し混み入った問題なので、頭を休めるためにリタさんが撮影した静かな風景写真をお借りして、掲載いたします。
====リタさんからのコメント======
もんじゅについては小生は絶対稼働を許してはならないと思っています。
常識的に考えてプルトニウムとナトリウムを使った巨大なシステムを長期にわたって人間が制御できるなどという発想そのものが狂気そのものです。思いあがりもはなはだしいことです。稼働する前から様々の事故を起こし、現在もストップしたままで、巨額の税金を垂れ流ししています。
このことが国全体で少しも問題にされていないというこの国の在り方がもう異常としか言いようがありません。一旦始めたら破滅に向かうまでやめられないのは戦前からの日本人の特性なのでしょうか?誰が一体責任を持っているのでしょうか?国民一般も知らなかったでは済まない問題だと思うのですが、本当に情けないことです。これからもこの危険な施設がどのように扱われていくのか注視していきたいと思っております
=====Sanochi さんからのコメント=====
当方も、もんじゅはとてもわかりやすい「致命的」なシステムだと思います。「破滅的」「自殺行為」、なんと表現しても足りないですね。少しでも化学をかじったことのある人なら、震え上がるような組み合わせです。
原子力の技術サイドの人たちが一様に「傲慢」な態度で一般人や他の原子力関係者を愚弄しているのをみて、言葉を失います。責任感と倫理観の欠如した発言や態度はとても許せるものではありません。
地熱発電などの自然エネルギーの発展を阻害し、原子力へとミスリーディングした罪は大きいです。まだ間に合う、と思いたい。
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上の疑問にたいする明快な答えを見つけました。
shiba_yu36 さんが「福島原発以上に危険性のある高速増殖炉もんじゅで今起きていること」と題目で記事を発表しています。そのURLは、
http://d.hatena.ne.jp/shiba_yu36/20110329/1301399251#c です。
是非、お読み下さい。ついでに高速増殖炉の見取り図を掲載しておきます。
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続けて「もんじゅ」関連の記事を書いて行きたいと思いますので、コメントやご感想を頂ければ嬉しく思います。(続く)
富士山の写真を見ると私は何故か冷静な気分になります。そこで高濃度の汚染水が大量に毎日、毎日海へ流れ出ていると言う論理をご説明したいと思います。どうぞ心静かにお読み下さい。
福島原発の1号炉から3号炉までの炉心を冷やす為に、そして4号炉の燃料棒貯蔵プールを冷やすために毎日500トン位の真水を注入し続けているという発表があります。
この毎日500トンの注水は10日間で5000トンになります。20日間で1万トンにもなるのです。それが不思議なことに原発工場の敷地にあふれ出て来ないのです。
古典熱力学は物質不滅の法則とエネルギー不滅の法則から成り立っている理論体系で現在でも理科系教育の根幹の一つです。
この物質不滅の法則に従うと、毎日500トンの水を入れても地表に出て来ない事実は明快に以下の事を断言しています。
毎日500トンの汚染水は地下にもぐるか、海へ流出しているのです。地中へ沁みこんで地下水になる量と海へ流れ出る量とどちらが多いのでしょうか?
本来、水があってはならないトレンチという配管用のトンネルの高濃度汚染水を汲み上げて水位を下げても、また元の水位に戻る現象を考えて見ましょう。
元の水位より高くなると海への流出が増え、その水位でバランスが取れていると理解するのが客観的に正しいと考えられます。土壌は砂礫層の下は緻密になっていて水の沁みこみ速度は小さいのが一般です。
したがって毎日の500トン位の注水の大部分は、目に見えない地下経路を通って海へ流れ出ていると考えるのが論理的に正しいと思います。
海水取水口の海面上から汚染水が多量に流れ出ているのを発見し、それを止めることに成功しました。しかし目に見えない地下排水溝から海へ出ているとどうして考えないのでしょうか?そのように考えるのが自然ではないでしょうか?
海へ流れている可能性を東京電力が発表しないのは漁業補償が高額になるからです。確証が出るまでダンマリを通します。利潤追求の株式会社としては正しい態度かも知れません。
一方、経済産業省の原子力安全・保安院は日本の産業の風評損害を出来るだけ防ぐために海洋汚染の可能性を発表しません。隠蔽したいのです。気持ちは分かります。
しかし国際社会はその事でかえって日本を信用しなくなります。自分に不利になる予測でも全ての可能性を科学的に議論して、外国へ発表しない態度が不信感を増大するのです。その不信感を言葉で表せば、「日本政府は情報隠しをしている」という事になるのです。
テレビに出てくる学者が、「海水へ流出してません。その証拠が有りません」と繰り返し言っていました。こういう学者を曲学阿世の徒と言います。昔、吉田首相が学者を嫌い「曲学阿世のやから」と良く言っていたことを思い出させます。学者は一般的に視野が狭く自分の専門のことは真剣に考えますが専門外のことはどうでも良いのです。高濃度汚染水が海に出る、出ないは自分の専門外なのです。
日本の政府の人々が情報隠しをしていると外国から非難される原因は何でしょう?原発事故へ対する非科学的な態度を取り続けるからなのです。残念です。
皆さまのご意見を頂ければ嬉しく思います。(終わり)
人は皆死ぬといいます。前立腺ガンを切除してから2年、除ききれなかったガン細胞が少しずつ増えています。死ぬ事が空想事でなくなりました。死ぬ時は上の写真を思い出しながら平穏な気持ちで生を終わりたいと思っています。
所で4年前にブログを始めました。インターネットの世界に飛び込んで、いろいろ多種多様な人々の考え方や意見を知りました。インターネットのお陰で多くの人々の意見を客観的に考える訓練を受ける事が出来たのです。4年前までは自分の専門のこだわり、実に狭い視野しか持っていませんでした。
大学の工学部を卒業し、一生の大部分を、大学で工業の基礎研究をしながら、技術者になる学生の教育をしていました。当然、現代技術を信じ、人類の幸いをもたらすものは近代工業であり、先端技術であると堅く信じていたのです。当然、原子力発電施設の精妙さに感動し、その安全を信じていました。
そこで2年程前の2009年2月に原子力発電の原理とその安全性を説明する連載記事を数回掲載しました。バックナンバーにそれらの記事があります。
ところが多くの読者から原発で出来た放射能の飛散の可能性を指摘され、原発の廃炉工程が出来あがっていない事を指摘されました。その上、多くの人々が直感的に原発を恐れ、その反対運動をしながら不安な生活をしている事を知りました。
原発専門技術者は効率の良い原子力発電設備の改良に努力しましが、廃炉工程のことは真剣に考えません。専門バカの特徴です。視野がとても狭いのです。その上、「専門家」は素人を見下す癖があります。見下すのは自由ですが、素人の意見を客観的に考えません。視野が徹底的に狭いのです。
ブログに原子力発電の記事を連載してから、私は自分の視野の狭さに愕然としました。
その上、それまで考えていなかった思想が心の中に芽生えて来たのです。「たとえ原発が安全だったとしても、多くの人々が不安な気持ちで暮らしていたら、その邦は住み良い国では無い!」という思想です。恐怖や不安が充満していては、たとえ経済的に栄えていても不幸な邦なのです。日本の住環境が悪いとしか言えません。
この2つの理由で2年ほど前に私は原発反対の立場をとることに決心しました。
結論を言えば、私は専門バカを脱却して広い視野でもの事を考えられるようになったのです。
専門バカのままで死ぬか、広い視野に到達してから死ぬか?
人それぞれどちらでも良いのです。優劣はありません。
しかし今回の福島原発の大きな事故の様相を見ていると、狭い視野の危険性をしみじみ感じざるを得ません。広い視野。それはインターネットの世界へ入ったお陰と思います。インターネットの良い効果の一例と信じています。
それはそれとして、
今日も皆さまのご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人
2年前までは、私は原発推進に賛成でした。しかしこのブログでも書いたように2年前に原発反対者へと立場を変えたのです。私は2年前に原発反対に立場を変えていました! をご覧下さい。
原発反対へ変わった理由は2つあります。一つは、「もんじゅ」の事故の時の情報隠蔽事件の詳細を知ったからです。もう一つの理由は技術者としての狭い視野を捨て、人々の幸福感を重視する広い考え方をするようになったからです。専門家としての狭い視野を脱却して、広い価値観を持つ事が出来るようになったからです。
2回連載の記事の第一回目は「もんじゅ」の事故の情報隠蔽事件をご紹介いたします。
新しいタイプの原子力発電施設の「もんじゅ」は発電能力28万Kwの我が国最初の高速増殖炉です。1995年8月運転開始し発電を始めましたが、12月に液体ナトリウーム漏洩・爆発事故を起こしました。それ以来15年間運転休止状態で待機中です。この15年間は技術開発が停滞しただけでなく1兆6000万円の無駄な経費が浪費されました。何故このような税金の無駄がおきたのでしょうか?
原因を大雑把に考えると2つになると思います。
1、 1985年建設当初から始まった住民原告団による建設許可無効の国相手の訴訟が紆余曲折をしながら2005年の最高裁判の結審まで続いた。最終的に原告側敗訴になったにもかかわらず現在に至るまで運転再開されていない。その理由は福井県知事を中心にした県議会の慎重な政治的判断のため再開が遅れているためである。
2、 1995年のナトリウーム漏洩・爆発事故のときに管理運営団体の動力炉燃料公社が情報の隠蔽をしたのです。そのため官民の間の不信感が一挙に増大し、結果として裁判がより複雑になり2005年に最高裁の判決が出るまで実に20年間を要することになってしまった。
1985年の住民原告団による提訴から紆余曲折を経て実に20年、2005年に最高裁判所は原告敗訴の判決を下した。
「もんじゅ」の建設は動燃が経済産業省へ建設許可を願い出て、建設費も国家予算から支出されたのである。いわゆる国策事業である。
しかしその損害は1兆6千万円の税金の無駄使いと高速増殖炉の開発が15年遅れたことと2重の損害をもたらしました。
上記2、の情報隠蔽はナトリウーム漏洩・爆発事故の後のプレスセンターでの動燃幹部の記者会見で起きたことです。
そもそもナトリウーム漏洩・爆破事故とは、漏れたナトリウームが床材の激しく反応して爆発し、放射性物質が工場の屋外へ放出される可能性が大きかった事故です。周りの住民の安全に関係しているのです。
記者会見では最初、事故現場を撮影した1分少々のビデオを公開しました。しかし数日後これが意図的に編集されたビデオであることが発覚し、マスコミの要求に従って動燃はしぶしぶ編集前の生ビデオを公開しました。不適切な対応はこれだけでなく、動燃側から事故発生直後の現場のビデオがあることも発表されたのです。
この動燃の情報公開の仕方は、明らかに事故が軽微のもので大騒ぎするようなものではないと主張しようとしたものです。
これで福井県の住民、全国の住民と動燃や原子力発電所との間の信頼が一挙に崩壊してしまいました。役人はもともと秘密主義で自分たちに都合の悪い情報は一切公開しません。こんな状態では全国に散在している原子力発電所の回りの住民の安全は保障されません。ナトリウーム漏洩・爆発事故は全国的な原発不信感を蔓延させたのです。(続く)
戦後に学生時代を過ごした方々にとっては喫茶店という言葉は懐かしいと思います。名曲喫茶とか純喫茶とか歌声喫茶とかいう名前で、コーヒーの香りとともに文化的な場所でした。当時、コーヒーは高価な飲みものだったのです。
それから幾星霜、一昨日は不思議な喫茶店へ行ってきました。陽賜里工房という名前で、春と秋の2回しか開店しません。春の花々、秋の花々に囲まれたコーヒー店です。店主は原田聖也さんという男性で、コーヒーの修業を重ね、特別のコーヒー豆焙煎工場のものを仕入れて使っています。食品衛生法を勉強をし、飲食店開業の資格も取りました。
この喫茶店は北杜市の真原桜並木のはずれにある花の園です。庭全体がなだらかな南向きの斜面になっていて満開の桜の木が2本、ピンクのユキヤナギ、水仙、ヒトリシズカ、イカリソウなどに囲まれて店主手造りの店があります。
花園の一番高い所にはロマンチックなデザインの木造の家があり店主が寝泊まりする場所になっています。お客は勝手に花の園を歩きまわり、花々を鑑賞します。そして花疲れしたら洒落た店に入って香り高いコーヒーを頂きます。
コーヒーを飲む場所には女主人が居て、つれずれの話し相手になってくれます。店の主人のお母さんです。上品な日本語を使う方です。花の園の作り方などのよもやま話です。一昨日は私がカトリックの話をしましたら、ご自分の信仰のバプテスト教会の話を静かにして下さいました。亡くなったご主人はその教会の牧師さんで、ご自分も宣教活動をしながら幼稚園の園長さんもしていたそうです。兎に角、折り目正しい一生を過ごした方なのでお話をしていてもスッキリとした印象です。
バプテスト派という宗派は興味ある宗派のようなので、このブログでいずれご紹介したいと思います。
下にこの花の園の中の喫茶店の写真をお送り致します。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人
このブログでは2年前に原子力発電に反対なある方のご意見を掲載しています。お読み頂ければ幸いです。「事故が起きたときの影響度、致命度が重要です」という文章の内容が今、現実に起きているのです。
原子力発電反対の一つの意見を紹介します
原子力発電を推進して来た経済産業省の役人はエリートです。原発を建設した東芝や日立の技師は一流大学を卒業したエリートです。そして原発を支援していた原子力利用の研究者も一流大学を卒業したエリートです。自由民主党の国会議員もエリートです。このような日本社会のエリート集団が皆、1960年代から原子力発電所の建設へ尽力して来たのです。
それに対して原発施設の構造や作動原理も理解出来ない一般大衆は原発へ感情的な反対をして来たのです。原子炉は決して安全ではなく何時かは壊れて放射性物質が空中へばら撒かれると直感的に感じて反対していたのです。素人の意見や直感が間違いだった場合もあります。エリート専門家は素人を馬鹿にして意見を真面目に聴こうとしません。明治維新以来の日本の社会的風土がそうだったのです。大衆は何時も無視されて来たのです。素人は黙れと怒鳴られて来たのです。
今回の福島原発の事故が、チェリノブイリ原発事故と同じレベル7の大事故になってしまったのです。
この事実は日本の社会文化に大きな影響を与えずにはおきません。素人大衆の意見をエリート専門家よりも重要視するような社会へ変わると信じています。大衆が感情的に嫌いな原発の安全対策を急ぎながら、老朽化した原発は廃止する方向へ動いて行くと思います。
日米安保は日本という国の存続を賭けた重要な二国間条約です。従って感情的に日米安保体制に反対する人が多くても、日本の安全を考えると破棄する訳にはいきません。この事は誰でも理解しています。
しかし原発は日米安保ほど重要な事ではないのです。原発を次第に止めて、順次、火力発電へ替えて行けば良い事なのです。火力発電は環境問題を起こします。しかし、原発事故が多量の空気と海を放射能で汚染するよりは火力発電のほうが損害が少ないのです。このようは現実的に考える事が重要ではないでしょうか?
原発を廃止する、しないという問題は広く国民投票によって決めるべきと信じています。しかしこの国民投票を提案する人は少ないのに私は驚いています。
皆様のご意見を是非お聞かせ下さい。
それはそれとして、今日も福島原発の現場で復旧作業をしている人々のご健康をお祈りいたします。放射線被爆など無いようにとお祈りいたしています。藤山杜人
何故、日本で54基もの多数の原子力発電装置を作ったのでしょうか?
今までさんざん聞いた理由は発電単価が火力より安くて、その上炭酸ガスを放出しないので環境に優しいからという理由です。
しかし今回の福島原発の「レベル7の大事故」でこの2つの理由は一挙に覆ってしまったのです。大量の放射能の放出で東北地方の空気が長期にわたって汚染され、その上、汚染水が何万トンも太平洋へ捨てられているのです。現在もそれが止まったわけではありません。
その上、原発事故で避難したおかげで、家業が出来なくなったり、仕事へ通勤が出来なくなった人々への補償金の支払いも膨大になります。さらに汚染された農地や風評で出漁出来なくなった漁業への補償金も莫大な金額になります。
そして1号炉から4号炉までの4つの原発施設を10年以上の歳月をかけて廃炉にしなければなりません。その費用も大きいのです。
東京電力の将来の出費を想定して、もう一度原発の発電単価を計算し直して見る必要があります。
いずれ発電単価の計算の専門家がその試算を発表すると思います。
しかし素人でもその発電単価は火力発電の場合の10倍以上、いや100倍以上になると思います。原子力発電では決して儲からないのです。この事は誰の目にも明らかです。
資本主義の原理に従うと原子力発電は消えゆく運命にあるのです。この冷厳な事実を無視し原発を再建しようとする人が居たら、それは狂気の沙汰です。
残った50基の原発の発電単価を大きくしない為にも、今回の様な大事故を防がなければいけません。早急に予備電源装置を高台に設置し、通常電源が止まった場合、即刻、予備電源へ自動切り替えをする装置が必要です。その為の投資を惜しんではいけません。事故が起きた場合の被災者へ支払う莫大な補償金に比べれば安いものです。
火力発電は炭酸ガスを出して地球温暖化を加速するという仮説が信じられています。しかしそれはあくまでも仮説であって科学的に証明されたわけではありません。
放射能で汚染されるよりも炭酸ガスの方が絶対に安全ではありませんか?
それでも原子力発電を拡大しようとする人が居たら、是非その理由をお聞かせ下さい。
賢い人は原発が収束して全ての検証が終わるまでは原発廃止の意見を発表するのは間違いだと言います。
しかし事故が進行中でも、合理的な意見は早め早めに交換し、人類の英知を集める事が肝心だと信じています。皆様のご意見を頂ければ嬉しく思います。(終り)
簡潔にして明快な反対意見を頂きましたので、ご紹介いたします。
=======annanさんから投稿されたコメントです======
私は原子力発電は否定します。
どのようなシステムも必ず事故は起こします。事故の発生は多くの場合
システム固有の問題よりもそれを扱う人間の問題の方が大きいでしょう。
いずれにせよ全てのシステムは事故が起こることを前提とすべきです。
だからこそ、事故の起こる確率ばかりが問題なのではなく、
事故が起きたときの影響度、致命度が重要です。これを以て安全度と言うのだと思います。この安全度を一定基準に確実に担保できないシステムは、より低い性能でも他の安全度の高い代替システムに置き換えるべきです。まして原子力発電は廃棄物の経時的な問題や自然界への影響の検証もできていません。
便利さのためだけに原子力発電を推進することは、地球を人類のためだけの環境と錯覚している我々の傲慢です。我々は自身の生活の都合に自然や環境を付き合わせている訳ですが、それでも超えてはいけない線があります。それを超える可能性が否定できない時には、我々が変わっていく、時には引き返していく謙虚さが必要です。
・・・と思っております。
投稿 annan | 2009/02/09 21:12
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藤山杜人の感想:
これをご紹介する目的は、次に取り上げる高速増殖炉「もんじゅ」の建設中止訴訟の説明への導入に良いと思ったからです。
ここでは一市民としての感想だけを述べて見たいと思います。人間が進歩させた科学は自然現象のごく一部しか解明していません。科学には大きな限界があると思います。したがって理屈や論理で予測したことも間違うことが多いものです。上の文書を読むと、この直観的な感じ方が案外正しいのではないかと感じます。
それではどうすれば日本から既に存在している原子力発電所を徐去することが出来るのでしょうか?
もんじゅ訴訟は原子力発電へ反対する民間人が国を相手に起こした、「もんじゅ建設許可取り消し」の訴訟です。主に2つの理由があります。従来の水・蒸気冷却材の発電でなく危険な液体ナトリウームの循環技術を用いていて事故の可能性が大きい。更に原告側の主張によると、プルトニューム燃料を増殖する炉なので原子爆弾製造へ道を開く恐れがあります。
裁判は一審原告敗訴、二審原告勝訴、最高栽判決では原告敗訴で「もんじゅ」の運転再開の道が決まりました。しかし最高裁の最終決定が2005年にあったのにも関わらず、もんじゅの運転は再開されていません。
次回の「原子力発電が好きですか?嫌いですか?(4)では「もんじゅ訴訟」の色々な影響を考えtみようと思います。(終わり)