おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

「八丁畷」駅付近の鉄道遺構。

2014-04-02 22:30:58 | 鉄道遺跡

 「芭蕉句碑」の裏手は、京急線。その向こう側にツタや樹木に覆われた煉瓦造りの橋台が残されている。これが廃線となったJR貨物線の遺構。、国鉄南武線(現:JR南武線)の支線としてかつて存在した廃線。
1922(大正11)年頃のようす(「今昔マップ」より)。国鉄・川崎駅から南東に延びる貨物線として早くから運行されていた。


1970年頃のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。すでに線路は撤去され、造成されている。↓が橋台跡。斜めの線路が京急線。上がJR川崎駅方向。
1998(平成10)年頃のようす(「今昔マップ」より)。○が貨物線跡一帯。

 「川崎宿」を「六郷の渡し」跡からたどりつつ、「八丁畷」(「川崎宿」から出たあとの、かつての旧東海道のたんぼの中の広く土盛りした道)までやってきた、そこでの発見でした。すでに先達がいて、この廃線跡についてはレポートが掲載されています。その資料を参考にし、遅ればせながら廃線跡の現状報告を。 

本線からの分岐点付近。左がJR関係の施設、ここは小さな公園になっている。
線路跡に建つ公共施設。
 この右側(北側)は、「簡易宿泊所」がたくさん建ち並んだ一角。路地には何人かの老人の姿。かつての面影はなさそうだが。
「八丁畷」駅方向を望む。右手が線路跡地。
線路跡地沿いのマンション。
 撤去された線路の跡地は「駐車場」「駐輪場」のスペースになっている。いくぶん小高くなっていて、土盛りした形跡がある。


線路跡の駐車場。
建物の正面奥が橋台跡。左手が「京急線」。
「八丁畷」駅近くの踏切付近から望む「橋台」跡。かつてのレポートと比べると、木々に覆われ、はっきりしないのは、残念。川崎駅方向を望む。
京急線の東側。跡地は駐輪場になっている。
正面奥が京急線。

線路敷地際によく見かける枕木を再利用した柵が数本残っている。

 中途半端な探索に終わってしまいましたが。
コメント
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