おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

浅草から浜離宮(水上バスの旅。その1。)

2014-04-07 20:40:10 | 隅田川

 春休み。孫達二人に約束していた「水上バス」。春休みに入ったので、さっそく28日に、消費税アップの前には、という事もあって出かけました。水上バスに乗って、浜離宮まで。そこでしばらく遊んで帰りは、電車に乗って。
 吾妻橋の西のたもと・隅田公園入口が乗船場。いっぱいなのかと思ったら、案外スムーズに乗れました。けっこうたくさん待ち人がいましたが、船内はゆったりと座って、出発! 40分ほどの船旅。
 もっとはしゃぐかと思いきや、小学生の孫達、乗ったとたんに「妖怪ウォッチ」攻略本を取り出して見る始末。でも、それが後で役立った! 「浜離宮」、特に遊具はなく小高い丘や池が広がる庭園。妖怪探しだとか言って、二人で駆け上ったり駆け下ったり・・・、楽しそうに遊んでいました。「水上バス」乗船経験はどうなったのだろう?

 こちらは、そういう連中の相手もせずに、いつものように携帯で写真を撮りました。これまで探索してきた風景を隅田川から眺めるのもいいものでした。

スカイツリー。
「三味線堀」から始まる「鳥越川」と「隅田川」との合流点。朱塗りの欄干の橋があざやか。
「日本橋川」河口にある「「豊海(とよみ)橋」。昭和2年関東大震災復興事業の一つとして鉄骨橋になった。橋の形式は、フィーレンデール橋(考案者の名前をとった)。ハシゴを横にしたようなこの橋は、日本では数例しかなく希少価値の高い橋。
霊岸島と佃島を結ぶ「中央大橋」橋脚部にある彫刻家オシップ・ザッキン作の「メッセンジャー」と名づけられた彫像。
「月島の渡し」築地側。
勝鬨橋を遠くに望む。
船内のようす。お酒でも飲みながらゆっくりという気分になりますが、孫連れではそれも出来ず・・・。

 「浜離宮」に到着。突堤を回り込んで築地川に入ったところに船着き場があります。遠い昔に来て以来。
奥に見える川が「築地川」。
「将軍お上り場」跡。
灯台跡。
樋の口山。

  
 富士見山からの遠望。


1880(明治13)年頃のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」)より。上の写真部分。直線の広い部分は「馬場」(現在は立入り禁止区域)。
 現在もほぼこの当時のようすをとどめている。


ほぼ同じ場所の1970(昭和45)年頃のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。

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