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左上は、大正時代。「北品川宿」の場所が現在の御殿山辺りに記され、本来の東海道筋には「本宿」とある。「目黒川」は上流からかなり蛇行して旧東海道を越え、その先で北上し東京湾に注いでいた。赤い線が旧東海道。
右上は、目黒川が直線で東京湾に流入するよう河川変更した頃。
下は、2000年代初頭の頃。東京湾の埋立が進み、電車、道路など交通整備などによって、旧東海道の道筋は見極めにくくなってしまった。
なお、現在、京浜急行はJR品川駅まで乗り入れているが、左上では、まだ現在の「北品川」駅」付近どまりになっている。
注:地図上で薄いピンク色の部分は高台、薄い黄色部分は微高地。青色が海面。海面上に黄色の部分があるが、現在の陸地を示している。
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この高札の場所は、脇本陣跡(現城南信用金庫)で、百足屋(広瀬)治兵衛が営んでいた。品川宿を南北に分けていた目黒川は大正時代末期頃まで大きく蛇行し荏原神社の北側を流れていた。・・・東海道を南に進み、先に見える信号の左角が継ぎ立て業務を行なう宿場の役所問屋場跡(現製菓実験社)で、その後、同じ建物内に人馬の荷の重さを検査する貫目改所も設けられたました。
注:「製菓実験社」は、製パンなどを扱う専門誌の会社。「金子ビル」内。
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街道を往来する旅人のための道標であった「街道松」を植えて、品川宿の緑の軸として次の世代に継承していく計画です。これはまた各宿場まちとの友好・交流の証でもあります。
第一号となった街道松は、1992年(平成4年)に浜松宿と三島宿から寄贈いただきました。以来、公園や広場だけでなく、マンション建設などの際には管理組合のみなさんにご協力いただき、東海道に面した空間に街道松を植えていただいています。これらの街道松は、東海道53次シンポジュウムを通じて交流のある各宿場のご厚意によるものです。
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この辺りは、京急「青物横丁」駅付近。品川宿の南のはずれ。
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