さすが参ったというのが、最初の感想。実に本質を突くことに長けている(世人がどう評価しようが)筆者の面目躍如たる表現「柔らかい肌。映画にさわる。」これだけで、本を拡げなくても、目を通さなくても「納得」してしまうインパクト。もちろん、そんなの、ありふれたフレーズじゃないかという斜に構える御仁もいそうだが。なるほど「映画、柔らかい肌」は、30年以上も前の表題でもあったのですから。だが、・・・。装丁もすてきですし、随所に挟み込まれた写真も肌のあわいを感じさせるショットが盛りだくさんです。
映画に登場する俳優達の微細な表情、仕草、爪の先からつま先まで、観る者の五感を駆使しての映画鑑賞術、といっては失礼ですか。そして、小道具や大道具、音響やら色彩やら・・・。監督の五感と相対峙しながらの評価眼は、まさにスクリーンに幼き肌をさらしてきた(さわってきた)筆者の独自の世界観でもあります。
高崎という地。関東平野の片隅。都会の荒波(の余波)を微妙に意識しつつあった戦後、詩人的風土もあったにちがいない地に生を受けた筆者の原体験がひしひしと伝わってくるエッセー集。近作では、「ニシノユキヒコの恋と冒険」が(この映画は、川上弘美の小説がもと)取り上げられている。
俳優よりも監督に鋭い視線が向かっていくのは、小説家の性でしょうか。
「女はたとえエキストラといえども、女優に変身できる、しかしは男はどうしようもない、・・・」 これこそ、はたと膝を打った。
げに恐ろしきは、切ったはったとなで切りにしつつ、ほほえむ金井さんではあります。
映画に登場する俳優達の微細な表情、仕草、爪の先からつま先まで、観る者の五感を駆使しての映画鑑賞術、といっては失礼ですか。そして、小道具や大道具、音響やら色彩やら・・・。監督の五感と相対峙しながらの評価眼は、まさにスクリーンに幼き肌をさらしてきた(さわってきた)筆者の独自の世界観でもあります。
高崎という地。関東平野の片隅。都会の荒波(の余波)を微妙に意識しつつあった戦後、詩人的風土もあったにちがいない地に生を受けた筆者の原体験がひしひしと伝わってくるエッセー集。近作では、「ニシノユキヒコの恋と冒険」が(この映画は、川上弘美の小説がもと)取り上げられている。
俳優よりも監督に鋭い視線が向かっていくのは、小説家の性でしょうか。
「女はたとえエキストラといえども、女優に変身できる、しかしは男はどうしようもない、・・・」 これこそ、はたと膝を打った。
げに恐ろしきは、切ったはったとなで切りにしつつ、ほほえむ金井さんではあります。