おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

読書「猫キャンパス荒神」(笙野頼子)河出書房新社

2015-06-01 22:36:16 | 読書無限

 一昨日の揺れは、すぐに20011年3月11日の大地震を思い出させた。不気味な長い、ゆったりとした横揺れ。
 当時、都庁の31階で、あの地震に遭遇した。立っていられなくて、いすに呆然と腰掛け、窓外の高層ビルの揺れ、微妙に違う、その揺れに気分が悪くなったことを。
 TVではすぐに現地のすさまじい様相を映し出していた。あれは、イシハラが都議会のさなか、「後出しじゃんけん」で「都知事選」出馬を表明した、その直後であった。福島第一原発は、まだ最悪の状態を迎えているとの報道はなかった。
 が、当時の同僚は、福島原発が危険な状態に陥っているという情報を「原発関係者」から入手し、福島にいる娘に、ただちに福島から避難するように連絡をとった。そばで聞いていても何事なのかくらいに思っていたが、「原発が爆発するぞ」と。
 まだ日の明るい時間、都庁内ではそれほどの緊迫感はなかった。ただ誰もがTVの画面に釘付けになっていた。
 帰宅難民となったが、週明けから職場は、避難者の受け入れ、特に、小学生や中学生、高校生の避難者への都内への受け入れ業務を短期間の準備をもって開始した。その対応は、実に的確でスムーズだった。
 私のいた部署はその問い合わせ、相談、受け入れ斡旋の窓口になった。電話当番という役目だが、ひっきりなしにかかってくる電話は切実な現地の声だった。
 当初、個人的な予想としては宮城、岩手などの津波被害や火災によって、家を失ったり、避難せざるをえなくなった方々からの問い合わせが多いだろうと思ったが(たぶん他の人達も)、そうではなく、「福島原発」による高度の放射能汚染から土地を離れざるをえなくなった親子からの電話がほとんどだった。「浪江」「南相馬」「いわき」「富岡」「双葉」・・・。TVでしばしば登場する町の名前。必死な思いで東京に避難してくる、避難しようとしている、着の身着のままで東京に避難してきた、親子の、特に母親の声が多かった。
 最寄りの受け入れ施設の紹介と学校の斡旋など、昼休みも交代で対応した。その他にもボランティアの申し出、何かできることはないか、学用品はどうか、など多くの都民からの声も寄せられる、そんな毎日だった。その1年後、そうした仕事が一段落して(まだ不充分? )退職した。その後、都庁に行くこともなくなった。

 あれから4年。都内の小学校や中学校、高校に入った子ども達、親子は今どうしているのだろうか? ふるさとに帰ることが出来たのか? 都内での生活を今も続けているのか? 新しい土地での生活になじんでいるのか? ふと思い出す。

 2014年の春、「タロウ」が18歳(推定)で死んだ。神社の境内に捨てられていた子猫二人を息子が持ってきて、18年、家族で育ててきた、その雄の猫が死んだ。人間で言えば長寿だと言われたが、こちらに一番なついていたので、とても寂しかった。もう一人のばあさん猫の「モモ」は19歳になっても、まだまだ元気そうだ。

 こうして4年が過ぎ、2015年の6月が始まろうとしている。

 「権力はリセットだと私は数年前に言った。今、言い換えというよりはもう一度言う。降り積もった汚染をなかった事にするためにそれは物事をゼロにするのだ。しかし汚染を引き受けさせられた身体を持つ、人々はけしてゼロに出来ない。そこで権力はその人達を見えなくする。そしてその理不尽の中からまた新しく税をとっていく。そう、結局リセットは国家にとっては税の契機に過ぎない。それと、学生に講義している最中に思った事を今ひとつ付け加える。汚すという事と経済という事は表裏一体ではと、大儲けの欲とは汚してはならないものを汚したいという欲望を内蔵しているのかも。
 回避出来る汚染を回避させず、人を汚染するもの、それが権力だ、その汚染をつかってまた大金を儲ける事と汚す事の両方が権力の目的だ。そう言うと性の話みたいだが、これが『核』ではないのか。」(P208)

 ここに来て、高橋さんの『恋する原発』をものした意味・意図の一分が理解できた。たかがお湯を沸かす道具・装置に過ぎない、それでいて、何千年かけても処理しようのない放射性廃棄物を生み続ける「原発」。そのマイナスをも儲けに変えるシステムそのものを覆さなければ、未来はないだろう。
コメント
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