船着場付近。
ラフティング
観光地としても名高い長瀞は、旧親鼻橋から旧高砂橋までの荒川の両岸が国指定の名勝・天然記念物になっています。中でも岩畳や秩父赤壁が有名です。川の水が深くて流れが静かな所を「瀞(とろ)」といい、長瀞の地名の由来にもなっています。荒川は、この岩畳一帯で青く淀んだ瀞になって美しさを増し、付近一帯の景観は舟下りの観光客の目を楽しませています。古くから名勝地として知られ、かつて宝登山神社の参拝客は岩畳で月を愛でながら宴会を催したそうです。
ここは関東山地から九州まで約800kmにわたって続く「三波川変成帯(さんばがわへんせいたい)」の東の端に当たります。岩畳は、結晶片岩の板のようにはがれやすい特徴である「片理(へんり)」(水平方向)と、地下深くから隆起した際にできた割れ目「節理(せつり)」(垂直方向)、そして荒川の侵食がつくった地形です。
「三波川帯」は、白亜紀前期に海洋底に堆積した火山噴出物と泥や砂が、白亜紀後期(約8000万年前頃)にプレートと共に地下20~30km以上深くに取り込まれ変成を受けてできました。この時、片理ができ、うすくパイ生地のように剥がれやすくなりました。地下深くで起こった変成作用や上昇の過程が地表で観察できることから、「地球の窓」と言われています。
(「ジオパーク秩父」HPより)
ポットホール(甌穴:おうけつ)。
かつてここが川底だった頃、渦を巻く急流によって石が回転し、長い年月をかけて岩を削ってできた。大小さまざまな丸い穴。
秩父赤壁。
林の中の道を進みます。
高浜虚子「ここに我 句を留むべき 月の石」。
「日本地質学発祥の地」碑。
「虎岩」。
カヤック。子どもたちが激しい流れと格闘。
ラフティング
上流には「秩父鉄道荒川橋梁」。
大正3年(1914年)に建設された荒川橋梁は、秩父鉄道の路線の中で最も長い橋です。この橋は、花崗岩とレンガ積みによってつくられており、現在も4段目をコンクリートで補強してはいますが現役で使われています。この橋を秩父鉄道の列車、特にSLパレオエクスプレスが渡る風景は秩父・長瀞を代表するシーンで、多くの写真・鉄道ファンに人気です。(「ジオパーク秩父」より)
もう少し待てば、SLパレオエクスプレスが渡るところが写真に撮れたのですが。歩いていると、蒸気機関車の汽笛が鳴り響いてきます。戻るには遠すぎます。残念!
「親鼻橋」の向こうに「荒川鉄橋」。
しばらく進むと、左手に。前原の不整合。
この露頭の川に面した突端部には、牡蠣(カキ)の化石があります。カキの化石は示相化石といって、生物が生きていた時代の環境を表すもの化石です。当時、浅い海が広がっていた証拠となります。下流の大渕の川原に行くと、貝など海の動物の化石がたくさん見つかります。
(「ジオパーク秩父」より)
下流方向を望む。左手奥に「前原の不整合」。(「Googleマップ」より)
この先で「秩父市」に入ります。
「皆野橋」からの荒川上流。
前方が開けてきます。
正面遠くに「武甲山」。
左手にケヤキの古木。寺尾のケヤキ。樹齢300年以上だとか。傍らに傾きかけた廃屋。かつてはケヤキに巻き付くようにフジの古木もあったが、枯れてしまったらしい。
車が激しく行き交う県道44号線をひたすら歩き続けます。日差しの強い午後、けっこう疲れます。
左手に、「萩平歌舞伎舞台」の案内板。
秩父市寺尾の萩平地区にある「萩平歌舞伎舞台」で、秩父の地役者や子どもたちによって歌舞伎が上演されます。
秩父の歌舞伎は江戸時代中期には始まったといわれ、昭和の初めまでプロの役者一座が秩父はもとより関東一円を公演に回っていました。
現在の役者は秩父に暮らし、仕事を持っていて「秩父歌舞伎正和会」に所属し、伝統の秩父歌舞伎の稽古を重ねています。
その地役者の指導を受けて地元の小中学生が歌舞伎を習っており、立派に舞台を務めています。
萩平歌舞伎舞台は木造かやぶき屋根で、明治時代に建造されたといい築百年は経過しています。
二重と呼ぶ回り舞台や早変わりのふすま絵など、せり出し、など様々な工夫が凝らされており、埼玉県唯一の有形民俗文化財です。
(この項、「ぶらっとちちぶ―秩父観光協会―」HPより)
写真:演じているのは、「白浪五人男・稲瀬川勢揃いの場」です。子ども達が見得を切る度に観客席からは拍手が湧き、おひねりが飛ぶ、とか。地元に根付いた伝統芸能、それを継承していく地元の熱意を感じます。
奥にその舞台が見えます。
武甲山が次第に大きく。石灰岩採掘が盛ん。
武甲山
山名:日本武尊が、自らの甲(かぶと)をこの山の岩室に奉納したという伝説が元禄時代の頃から定着した。
南方(ハワイの方)にあった火山島が活動を終え、浸食によって削られサンゴ礁を纏うようになる。サンゴによってできた石灰石を載せた海山は、プレートの動きにより北上し、深い海溝に引きずり込まれる。そして大陸プレートに押しつけられはがれ落ち、やがて隆起し浸食されることで地表に現れた山が武甲山。
武甲山の石灰岩は日本屈指の良質な大鉱床であり、可採鉱量は約4億トンと推定されている。山の北側斜面が石灰岩質であるために古くから漆喰などの原料として採掘されていた。明治期よりセメントの原料として採掘が始まり、特に1940年(昭和15年)に秩父石灰工業が操業を開始して以降、山姿が変貌するほど大規模な採掘が進められ、とくに北斜面で山体の崩壊が著しい。
1900年(明治33年)年)には標高1,295メートルとされた。元の山頂付近は1980年9月頃に採掘のために爆破されている。2002年(平成14年)に改めて三角点周辺を調査したところ、三角点より西へ約25m離れた地点で標高1,304mが得られ、国土地理院はこれを武甲山の最高地点と改めた。そして、地図上では1,295mの三角点と最高地点1,304mの両方を表示することとした。
(この項、「Wikipedia」参照)
注1:ヒマラヤ山脈のエベレストの頂上や、アルプス山脈のアイガー等は石灰岩でできている。日本では武甲山の他、伊吹山や藤原岳など全山、石灰岩。日本には採掘しやすい場所に高品位の石灰岩が大量に存在し、数少ない国内で自給可能な鉱物資源。伊吹山も東海道新幹線から眺めると、石灰岩採掘のため、大きく山容が変化していることがわかる。
注2:石灰岩の主成分である炭酸カルシウムは雨水に溶解するため、溶食によって鍾乳洞を造り、特徴的なカルスト地形を形成する。日本では秋吉台や吉備高原、また四国西部や北九州地域にカルスト地形が存在する。また、風化に強いが溶食され易いことから、中国の桂林のような特異な地形を形成する場合がある。また、南西諸島の沖永良部島、喜界島、伊良部島のような隆起性珊瑚礁と呼ばれる島々では、現在も島周辺で大量の造礁サンゴが石灰岩を生成し、島自体は成長を続けている。これらの島は大部分が石灰岩でできている。
左手に秩父盆地が広がっています。
秩父橋(三代目)。
すぐ下流にある「旧秩父橋」(二代目)。
現秩父橋(3代目)。
旧橋から下流を望む。
上流。「秩父公園橋(ハープ橋)」が遠くに。
初代の橋の橋脚遺構。
(「」HPより)
やっと右手に荒川に架かる秩父ハープ橋が。
秩父鉄道「秩父」駅。
ホームからの武甲山。