おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

1都3県の無観客開催「想定外」スポンサー企業から不満。そして、「パンとサーカス」(再掲)。

2021-07-09 22:44:46 | 世間世界


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/kyodo_nor/business/kyodo_nor-2021070801001056

東京五輪のドタバタぶりは、結局、IOCの利権とスポンサーの利権とが絡み合った笑劇に過ぎないようだ。

けっして菅首相(自公政権)に肩を持つわけではないが、2年延期案を足蹴にし、自らの思惑で突っ走った安倍の責任は大きい。

彼の頭の中ではオリンピックに反対しているのは、共産党など「反日」連中だ、と。彼が言う「反日」は「非国民」ということ。

コロナ感染症蔓延下での多くの都民、国民がオリンピック開催に疑問符を投げかけているにもかかわらず、かつての為政者、今も厳然と権力を維持している人物が、オリンピック反対者を非国民とレッテルを貼って平然としている。

それに対して、自民党内からも反発や疑問の声が聞こえてこない。それに対する結果がこのあいだの都議選での都民の声ではなかったのか。しかし、オリンピックの強行開催へ。

オリンピックが始まれば、「ニッポンガンバレ!」「メダルラッシュだ!」・・・国民は熱狂してこれまでのいきさつはスッカリ忘れてはしゃぐに違いない。大きなスポンサーであるマスコミも熱狂的な紙面作りに精を出す、と。

そうして国民もその狂騒劇に酔いしれる(とたかをくくっているお上)。酒を飲んで騒ぐのは、お上からお咎めがあるようだが。

しかし、飲食関係などのスポンサーは怒り狂う。そうしてまたまた妥協してユルユルの方針になる、に違いない。

映画「カリギュラ」にからんで、ずいぶん前に投稿した記事を一部、再掲(2013・5)。

パンとサーカス
① これは、詩人ユウェナリス(西暦60年-130年)が古代ローマ社会の世相を揶揄して詩篇中で使用した表現。権力者から無償で与えられる「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」によって、ローマ市民が政治的盲目に置かれていることを指摘した。愚民政策の例えとしてしばしば用いられている言葉。「パンと見世物」ともいう。
 なお、「サーカス」は、古代ローマで複数頭立て馬車による戦車競走が行なわれた競馬場。拡大して闘技場で行われた剣闘士試合などを含めた、スポーツ観戦などの意味で用いられている。
 地中海世界を支配したローマ帝国は、広大な属州を従えていた。それらの属州から搾取した莫大な富はローマに集積し、ローマ市民は労働から解放されていた。そして、権力者は市民を政治的無関心の状態にとどめるため、「パンとサーカス」を市民に無償で提供した。
 現在の社会福祉政策をイメージさせるが、あくまでも食料の配給は市民の権利ではなく為政者による恩寵として理解されていた。また食料の配布は公の場で行われ、受給者は受け取りの際には物乞い行為が大衆の視線に晒されるリスクを負わされた。この配給の仕組みによって無限の受給対象者の拡大を防ぐことが出来た。
 食糧に関しては、穀物の無償配給が行われていたうえ、大土地所有者や政治家が、大衆の支持を獲得するためにしばしば食糧の配布を行っていた。皇帝の中にも、処刑した富裕市民の没収財産を手続きを以て広く分配したネロ帝や、実際に金貨をばら撒いたカリグラ帝の例がある。
 食糧に困らなくなったローマ市民は、次に娯楽を求めた。これに対して、権力者はキルケンセス(競馬場)、アンフィテアトルム(円形闘技場)、スタディウム(競技場)などを用意し、毎日のように競技や剣闘士試合といった見世物を開催することで市民に娯楽を提供した。
 こうした娯楽の提供は当時の民衆からは支配者たるものの当然の責務と考えられるようになり、これをエヴェルジェティズムと呼ぶ。
 パンとサーカスは社会的堕落の象徴として後世しばしば話題にされ、帝国ローマの没落の一因とされることもある。また、「パンとサーカス」に没頭して働くことを放棄した者(これらの多くは土地を所有しない無産階級で proletari(プロレタリー) と呼ばれた、プロレタリアートの語源)と、富を求めて働く者と貧富の差が拡大したことも、ローマ社会に歪みをもたらすことになった。
 しかし、実際にこれらの給付の恩寵を受けたのは広大な帝国人民のなかで数割にも満たないローマ市民権保有者の、なかでも都市に住んでいる、さらに一部であった。共和政の中期、マリウスの軍制改革までは男性のローマ市民はすべて従軍の義務があり、故郷でパトロネジの庇護を受けるのは男手を奪われ(あるいは生命を奪われ)困窮しがちの中小地主階層であり、彼らは軍団兵の家族であった。
 また、実際に配給されるのは焼かれたパンではなく穀物(小麦粉)であり、当然ながら食べるためには調理器具や燃料が必要であり、帝国化してのち述べられるようになった「働く事を放棄する」というのは大げさな表現である。
 統治者側の視点からみれば、ローマにとって穀物給付は大貴族や皇帝が気まぐれに恩寵的に与え始めたようなものではなく、前123年ガイウス・グラックスによって提案された穀物法(低価格で全市民あるいは貧窮市民への売却)提案に起源をもち前58年にクロディウス護民官により初めて実施されたローマにとって伝統的な意味合いをもった政策でもあった。
 当初はポエニ戦役の勝利により急速に拡大したローマ世界において支配階層となっていった大貴族・騎士階層と、ローマ近在の没落しつつあった中小地主階層との格差問題の解消という緊張関係のなかで提案された法案であった。もっとも、実際に穀物給付が政策としておこなわれはじめた共和政末期には、すでにローマ軍政は給付付きの志願制に変更されていたため、この穀物給付政策は軍団兵家族の救恤といった当初の目的から没落市民への恩給へと、また護民官や皇帝の権威を鼓吹する手段へと変質してゆく。
 この「パンとサーカス」はローマ帝国の東西分割後も存続した東ローマ帝国ではしばらく維持されていたが、7世紀のサーサーン朝やイスラム帝国の侵攻によってエジプト・シリアといった穀倉地帯を失うと穀物の供給を維持できなくなり、終焉した。
 ただし、その後も皇帝が即位時に市民に贈り物を配ったり、年に何回か戦車競争を行うなどローマ皇帝の正統性を示す儀式としては続けられており、帝国末期で国庫が窮乏していた14世紀末の皇帝マヌエル2世の戴冠式の時にも、銀貨が市民に配られたことが記録されている。(「Wikipedia」を参照)

② 「パンとサーカス」は,「ローマの平和」の時代における民衆生活の堕落ぶりを象徴するものと考えられてきた。
 この表現のなかで,パンが意味するのは,民衆への穀物給付であり,サーカスという言葉で表現されているのは,今日の曲芸ではなく,見世物興行一般である。これらの見世物は,円形競技場での戦車競技や競馬,闘技場での剣闘士競技をはじめとするさまざまな格闘技,円形劇場での演劇や黙劇に大別される。これらの食糧,娯楽見世物,公共施設の提供者は富裕な市民,元老院貴族,騎士層,皇帝であった。帝政期には,皇帝の恩恵行為が重要であった。他方,それらの恩恵を受けたのは,共和政末期以来,土地を失ってローマ市に流れ込んだ無産市民たちであった。
 ローマによる地中海世界の支配が確立してくるにつれて,穀物を低廉な価格あるいは無料で給付する法案が提出されるようになった。最初の穀物法案は前123年ガイウス・グラックス(グラックス兄弟の弟)によって提出され,全市民あるいは貧民を対象として低価格で小麦を売却するというものであった。また,穀物の無料給付は前58年の護民官クロディウスの提案によって初めて実施されたが,これ以後,平民身分のローマ市民のすべてを対象とする無料給付が,徐々に制度的体裁を整えるようになった。
 ところで,このような状況を引き起こした契機として重要な位置を占めているのはポエニ戦争である。第一次ポエニ戦争の戦後処理の一つとして,ローマは,支配下に入った土地について,一部を公有地として元老院の直轄下に置くと共に,属州としてシチリア州,サルディニア=コルシカ州を設置した。そして,この措置が,その後の新たな領土に対する処分及び統治形態の原型となった。また,第二次ポエニ戦争を契機として,ローマは地中海世界に進出していった。
 属州支配は,貢租という形でローマに多くの富をもたらすことになったが,その果実は,属州総督(官職貴族)や属州支配のための請負業務を担当した騎士層の手に集中することになった。他方,属州からもたらされる貢租としての穀物は,大都市近在の農民から重要な市場を奪った。また,イタリア以外での戦争が長期化・大規模化する中で,軍隊の中核を構成していた農民層は疲弊し,その被害は甚大であった。
 にもかかわらず,元老院貴族や騎士層などの富裕な市民は,没落した中小農民の農地を購入したり,前述の公有地を占有したりすることによって所有地を拡大すると共に,ローマやイタリアに流入してくる戦争捕虜としての奴隷を入手することによって,一部で大土地所有に基づいた奴隷制大農場経営を形成していった。このように,一方で官職貴族や騎士層が富を集中させていき,他方で,農民が貧困化し,農地を手放してローマ市に流入することによって,ローマ市民の分解がさらに進行することとなったのである。この両極分解の象徴的な現象が,「パンとサーカス」に集約されているとも言える。
 ところで,史料Aの「大盤振舞いと国家の手による穀物の給付で籠絡された民衆が公共への不善に染まらないように,自分たちの仕事(暇つぶしの仕事)を持つことを配慮しなければならない」やあるいはCの「ローマの民衆はとりわけ2つのこと,つまり穀物と見世物で掌握すること」に典型的に示されているように,「パンとサーカス」は,ローマの民衆を掌握するための手段として留意されなければならない行為であること,つまり,為政者による人心掌握のための,人気取り政策である考えられてきた。
 しかし,このような施与者と享受者との相互依存を民衆の物質的満足による脱政治化あるいは政治の腐敗としてとらえるのはあまりに近代的な解釈にすぎないことが指摘されている。(「www.ec.kagawa-u.ac.jp/~shigeru/report1-model.pdf」より)


③ “パンとサーカスの政治”は長続きしない、ハシズムの分析(その2)広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)
 《注:2010年の大阪ダブル選挙(大阪府知事・市長)の結果についての論評です。》

 ・・・一般の有権者とりわけ今回はじめて投票に行った初心(うぶ)な若者層に対しては、橋下氏の「大阪を変える!」とか「大阪都にしてニューヨーク、パリ、ロンドンに対抗できる世界都市にする!」といった威勢のいいスローガンが効果を挙げたのかもしれない。しかし政治経済事情に明るい財界(玄人筋)からすれば、それは「子ども騙し」のキャッチコピーに過ぎず、中身が何もない空文句でしかなかった。彼らは一様に、「こんな杜撰(ずさん)な選挙公約でよくもこれだけの票を取れたものだ」と感心した(呆れた)という。
 それはそうだろう。ハシズムの真骨頂は見せかけの「パンとサーカスの政治」の演出にあるのであって、それを全面展開したのが今回の大阪ダブル選挙だったからだ。「パンとサーカス」というのは、ローマ帝国時代の退廃した社会状況のことで、権力者からタダで与えられる「パン=食糧」と「サーカス=娯楽」によって、被支配者である民衆が政治的盲目状態に置かれたことを意味する。だから「パンとサーカス」は、一方では民衆の社会的退廃や政治的堕落の象徴となり、他方では愚民政策による政治体制崩壊はじまりのシンボルとなったのである。
 イギリスのフィナンシャルタイムズをはじめ、多くの海外紙も大阪ダブル選挙を単なる一地方選挙だとは見ていない。そこに流れている論調は、国政(政党)選挙の“代理戦争”として大阪ダブル選挙が現象したのであって、大阪維新の会が既成政党に対する政治不信の「受け皿」になったというものだ。遅まきながら民主党・自民党もその気配を察したらしく、警戒感を露わにしながらも懐柔とすり寄りの工作を始めた。
 関西財界の目下の懸念は、橋下氏が「サーカス」の演技者としてはたしかに巧妙ではあるものの、肝心の「パン」が本当は「見せかけ」だとわかったときに、大阪府市民がいったいどんな反応(反動)を示すかということだろう。なぜなら、大阪ダブル選挙は表面的には「大阪維新の会」の圧勝に終わったものの、その底流には海外紙の指摘するごとく、財界と既成政党そしてマスメディア(御用学者も含めて)などが結託して牛耳っている日本の“翼賛体制”への巨大な反撥エネルギーが横たわっているからである。
 大阪維新の会の圧勝は、財界と既成政党による”翼賛体制”に対する大阪府市民の批判を反映したものであって、決して財界が期待するような構造改革や市場原理主義の推進を求めるものではない。だから、橋下氏が大阪都構想を掲げて一見「現状打破」に動いているように見えるうちはよいが、それが民衆の「パン」につながらないことが明らかになったときは、「反ハシズム」の流れは一挙に現在の大連立体制批判に向かう可能性がある。橋下氏が支配階級にとっても「両刃の剣」であり、「危険な扇動家」と目されているのはそのためだ。
 ・・・「既得権益の打破」などと称して市民生活に不可欠な補助金や公共サービスをカットし続ければ、「パン」を失った人たちの間では生活保護受給率やひったくり犯罪日本一などの「大阪ワースト指標」が一段と跳ね上がることは間違いない。問われるのは「ハシズム」の内実(本質)であって、そのときに新しい担い手として政治舞台に登場するのが、今回のダブル選挙で橋下氏に投票した若者層であろう。
 彼らには橋下氏に対する「現状打破」の期待が大きくかつ投票という政治行動を体験しただけに、その政治エネルギーは既成政党をはるかに超える「マグマ」を秘めている。若者層を動員して投票行動に踏み切らせた大阪ダブル選挙の歴史的意義が検証される日は、それほど遠くないのかもしれない。(「リベラル21」2011.12.05より)

 3つの資料を挙げました(③は、少し前の内容だが、現在的な意味を持つ)。カリギュラは、兵士やローマ市民の間では大変人気があったという。国家の財政を一気に破綻させるほど金貨をばらまくなどの大盤振る舞いや大会場での公開処刑などを行って、貴族や大衆の歓心を買う。一方で、元老院など敵対する者たちを一掃していったが、精神異常を高じさせ、わずか4年の治世で暗殺された。次の、次の5代目皇帝が暴君ネロ、というふうに続く。

 今の日本。一部の金持ち階層を自作自演の経済成果に浮かれさせ、オリンピック招致をなんとしても実現し、国民の期待感をあおり、さらに、「カジノ」解禁・特区作り、さらに、国民投票の年齢を18歳に引き下げる・・・。福島原発事故でまだ15万人も故郷を離れて生活していることは忘れ去られ、原発再稼働」「原発輸出」・・・。
 これらの政策こそが閉塞感を打破させる特効薬だとばかりマスコミはアベ政権賛美の言動を我先に行っている。
 「パン」。生活保護給付を減額した上に、まるで受給者に物乞い的対応をとることを強いる。まさにお上の恩寵的行為として、社会福祉政策が転換されようとしている。消費税アップ時に、またしても現物支給、現金支給ばらまき策が公明党の発案で行われるかもしれない。一方で、「働かざる者食うべからず」との世論を為政者自らが作り上げていく。
 国民の関心を広く、深く政治や経済、教育に向けさせることを巧みに阻止し(「狂騒」はダメ、「静かに」「静かに」と言論を封じ)自らの野心を満足させていく「手口」。

・・・(以上、再掲) 

実は、「パンとサーカス」の恩恵に預かることができたのは、一部の、市民権を持つローマ市民のみであって、結果的には多く労働者(奴隷)や地方は疲弊し尽くしてしまった。・・・、こうした古代ローマの教訓をどう受け止めるか?

8年前の状況と今とはどう異なるか?

橋下氏はますます元気だし、維新の会も自民党の補完勢力としてますます意気盛ん。創価学会・公明党を恫喝しての都構想、それが否決されても「斬っても出てくる芝居の幽霊」で、搦め手で通すし、・・・。

たしかに自民党や維新の会を支持するのは若い層らしい。

菅政権は、目下、「パン」政策は眼中になく(またぞろ「衆院選」の目玉として、自民党からは「10万円配布案」が出ているが)、「サーカス」にのみ執着しているよう。これでは、わが国民は、かつてのローマ市民よりも劣悪な条件下に。何しろオリンピック開催に反対するのは、「半日」=「非国民」と決めつけられてしまったのですから。

また、無観客になり、収入面で大赤字になりそうですが、このことについても、政府は、「東京都が開催都市として自ら大会を招致し、さらに、無観客と決めたのは主催者である都だ。それによる資金不足を補塡するのは、東京都。赤字補填の責任は都にある」と。都議選の恨みでもあるのか、冷ややかな態度。有観客にこだわった(らしい)菅の責任はうやむやに。これほどまでのご都合主義で内輪もめ?

このかんのドタバタ劇にすっかり慣れきってしまった国民性? にふさわしい政治のありかた(責任のなすりつけあい)かも知れません。

そして。「緊急事態宣言」発出の中、まるで「禁酒法」時代のアメリカのように、お酒にその矛先を向け、乗り切ろうとしています。そのうち、コンビニからお酒が一切撤去される、というのもあながち冗談ではなくなりそう。

密造酒、アルカポネの時代の再現か!

 

自分(たち)さえよければ、今さえよければ、と。それが「今」の自公政権?

「スポーツの力で。コロナと闘う五輪にしていきたい」と。いよいよ太平洋戦争末期の様相。「一億総火の玉」「撃ちてし止まん」の再現。

選手も気の毒。日本に来て、闘う相手が世界を制覇する勢いの強敵「コロナウィルス」なのだから。

 

(写真は、「Caligula」(Tinto Brass)」youtubeより)

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