左は住宅地、右は都県境になっている緑地帯。
この付近(町田市側)の宅地開発は、丘陵地帯の一部を切り崩しての大がかりなものでした。
1970年代のようす。
(「歴史的農業環境閲覧システム」より)
2010年代のようす。北西側はすっかり住宅街に。 1880年代のようす。都県境はほぼそのまま。
フェンス沿いに都県境。
右が横浜市、左が町田市。
緑地(横浜市)。
ユニークな建物。
「studio gallery Plannnet」。
急な階段。西側方向を望む。
久々に見つけた「飛び出し坊や」。
遠く丹沢山塊が。一番左が「大山」(のはず)。
頑丈なフェンスでガードされている緑地帯。この先、こういう光景をしばしば見受けます。
「都県境」標石。
来た道を振り返る。
切通しの道路を越えて向こう側へ。
階段下にいる人の背丈と比べると、けっこうな上り階段ということが分かります。
横浜市青葉区方向。
この道をまっすぐ東に進むと、東急「こどもの国駅」になります。
振り返る。急な階段を下りてきたわけです。
再び都県境の道を進みます。
ここにも「都県境標石」。
町田市成瀬台。
横浜市青葉区奈良。
横浜市側も急な坂に。
「奈良谷戸橋」。
南西を望む。
北東を望む。
この先は、しばらく住宅地を歩きます。
この道が都県境。