鶴瀬橋。
対岸は、神奈川県大和市。
一つ下流にある「鶴間橋」から左に折れて「国道246号線」をくぐります。
境川下流を望む。
横浜市のマンホール。ここは、横浜市瀬谷区。
中央に市章。地紋はYokohamaの「Y」と「O」をイメージしている。
「目黒」交差点。
左折すると、右手に「五貫目道祖神」。
解説板。
五貫目道祖神は、徳川中期に旧青山街道(旧国道246号)現所在地より約300㍍西方境川鶴瀬橋手前に祀られ、北は世田谷青山、西は伊勢原小田原、南は戸塚鎌倉に通ずる三方分離点として旅人の道標としての役を果たした道祖神です。
現在の道祖神は徳川後期安政三年丙辰八月と記され、二代目道祖神と言い伝えられております。青山街道は別名大山街道とも言われ、多くの旅人の行き来した街道でした。五貫目地域住民も明治時代より平成の今日迄、毎年1月14日道祖神地先にて1年の無病息災並びに豊作を念して、左義長別名ダンゴ焼きの行事を実施しております。
平成4年3月一般国道246号大和厚木バイパス開通に伴い、建設省のご配慮により現在地に移転いたし、これを後世につたえるべく由来碑を建立し、永く顕彰するものとする。
※左義長(さぎちょう、三毬杖)とは、小正月に行われる火祭りの行事。地方によって呼び方が異なる。日本全国で広く見られる習俗である。
1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を3、4本組んで立て、そこにその年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く。その火で焼いた餅(三色団子、ヤマボウシの枝に刺した団子等地域によって違いがある)を食べる。また、注連飾りなどの灰を持ち帰り自宅の周囲にまくと、その年の病を除くと言われている。また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると、字が上達すると言われている。道祖神の祭りとされる地域が多い。
民俗学的な見地からは、門松や注連飾りによって出迎えた歳神を、それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされる。お盆にも火を燃やす習俗があるが、こちらは先祖の霊を迎えたり、そののち送り出す民間習俗が仏教と混合したものと考えられている。
とんど(歳徳)、とんど焼き、どんど、どんど焼き、どんどん焼き、どんと焼き、さいと焼き、おんべ焼き等とも言われるが、歳徳神を祭る慣わしが主体であった地域ではそう呼ばれ、出雲方面の風習が発祥であろうと考えられている。とんどを爆竹と当てて記述する文献もある。これは燃やす際に青竹が爆ぜることからつけられた当て字であろう。
子供の祭りとされ、注連飾りなどの回収や組み立てなどを子供が行う。またそれは、小学校などでの子供会(町内会に相当)の行事として、地区ごとに開催される。
民間・町内会が主体となって行われる場合は基本的に上記したような名称で呼ばれ、寺社が主体となって行われる場合には、お焚き上げ(おたきあげ)・焼納祭(しょうのうさい)と呼ばれたりする。
(この項、「Wikipedia」より)
「五貫目町」交差点。
江戸時代の初期に年貢の石高が五貫目と定められ、それが字名となったという。昭和49年の新設の際の町名は字名を採った。
↑厚木・大和 ←鶴ヶ峰 →相模原 ←八王子街道→
都県境。「東京都町田市」。
右折して都県境となっている道を進みます。
道路の向こうの細道へ。
右手は、横浜市瀬谷区。
横浜市方向。
この道が都県境(左が町田市、右が横浜市)。
町田市のマンホール。
中央に市章、周りに市の花サルビアの花を放射状に描いている。
大きなお屋敷。
来た道を振り返る。右が町田市、左が横浜市。
「町田市鶴間六丁目」。
都県境を進む。
右手の梅林。
左の畑の脇には、
「東名高速道路」に近づいてきます。
「東名」がこんな身近に迫っているとは思いもしませんでした。しかし、防音壁のせいか、まったく車の騒音は感じません。
さて、この先、都県境は「東名」と「横浜町田IC」に阻まれてしまいます(高速道路上になっているところも)。
複雑な道筋をたどって東名の向こう側に出ることも可能ですが、・・・。左手の公園で小休止。
「鶴間ひだまり公園」(町田市)。
2010年代のようす。↓が都県境の道。右が「東名」。都県境は、東名を越えて東に進む。