「笑坂」と名付けられた坂道を緩やかに下って行くと、「御代田(みよた)町」に入ります。その手前の左手には「千ヶ滝湯川用水温水路」。「中山道」をくぐって勢いよく水が流れていきます。
「温水路」とあるので、温泉のお湯でも流しているのか、と。しかし、この付近に温泉があったかしら? そこで、ネットで調べてみると大違い!
もともとは慶安3年(1650年)に開削された約16里の農業用水で、現在のものは戦後、約21㎞にわたり改修したもの。
千ヶ滝、湯川は浅間山の中腹を水源としており、雪解け水や湧水が中心で稲作には水温が低いため、水温上昇のために、全長934㍍、幅20㍍、深さ20㌢の浅いプールのような水路にしたそうです。その結果、水源で13.2度だった水がこの水路などで暖められ、水温は18.2度となり、稲作に適するようになり、耕地が広がった、という。
先人の知恵はたいしたものです。この付近の散策もなかなかのもののようです。
ここからは「中山道」の表示が道案内。
中山道から折れると、こんな木漏れ日の道。
左手に不動産会社の宣伝。浅間山の写真。
(12:47)右手を振り返っても浅間は見えず。
時折、車が通り過ぎるだけで、人っ子一人いない道。沿道には浅間山の巨大な噴火石でできたモニュメント。
交差点には「中山道」の案内表示。
ひたすら下って行きます。
傾斜はこんな感じ。自販機の並び方。
振り返って望む。女子中学生2人ががひっしに自転車をこいで上って行きました。
住宅が増えてきます。??? ポストの郵便受け。
(13:12)長い下り坂も飽きてきた頃、右手に説明柱。
右手奥に行ったところに「御代田の一里塚」。
長野県史跡 御代田一里塚
中山道、御代田の一里塚は、軽井沢町追分一里塚の次に位置するもので、これを経て中山道は小田井(おたい)宿へと至り、さらに佐久市鵜縄沢の一里塚、岩村田(いわむらた)宿へと向かう。
中山道は、江戸幕府の置かれる前年の慶長7年(1602年)に整備され、寛永12年(1635年)に改修されるが、本一里塚はその改修以前に構築されたものである。
本一里塚は、西塚で径13m、周囲40m、高さ5mを測る。隣接するのは東塚で径13m、周囲40m、高さ4.5mを測る。
これらは現中山道より7m離れた畑中に位置するため、遺存状態もよく貴重である。
ちなみに、国道18号線の北には北国街道に沿う一里塚「馬瀬口一里塚」が二基保存されており、町指定の史跡となっている。
昭和39年8月20日 長野県教育委員会 指定
西の塚。しだれ桜。
東の塚。
「中山道」改修以前の一里塚で、路地を抜けて奥まった畑の中にあります。
西を望む。
「一里塚」案内表示の先を進むと、すぐに「しなの鉄道」の線路に突き当たりますが、地下道を通って向こう側に出ます。
来た道を振り返って望む。
(13:27)すぐ右手には「しなの鉄道御代田」駅があります。旧道の角に「手打ち田舎そば処 なかや」というお店があったので、休憩。生ビールとお蕎麦を注文しましたが、お蕎麦はなかなかの美味。おやじさんともしばし歓談。
「この先にはしばらく食べ物屋さんはないよ。焼き鳥屋はあるけれど。そう、ずっと下り坂だね。けっこう続くよ。立科くらいまでかな。追分に行くのは上りなんでけっこうしんどいね。・・・明日はお祭りで賑わうけど、それくらいだな、ここは。町ももっと宣伝をすればいいのにね。・・・」
(13:58)一杯飲んで元気回復。再開です。
落ち着いた、古い家並みが続きます。相変わらず緩やかに下って行きます。
りっぱな塀が長くお屋敷。
(14:17)県道に合流する手前左には石の建造物。
「御嶽山大権現」、「八海山・・」、「三笠山・・」などと刻まれています。
この先の県道を越えると、「小田井宿」となります。
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