本書は、1998年8月、岩波書店より刊行され、2022年8月、「岩波現代文庫」として発刊されたものです。
戦場で残虐行為を行った兵士たちの心情を精神病理学者が丹念に聞き取る。なぜそのような行為を行ったのか、その時に何を感じたのか、その後、自らの行為とどのように向き合ってきたのか...。集団に順応することを求められる社会において、抑圧された「個」の感情を私たちはいかにして回復するのだろうか。
・・・「焦燥の時代」があった。近代化を急ぎ、富国強兵に向かって攻撃性を最大限に活用しようとした社会は、基本的に不機嫌であった。人々の気分は変調しやすく、権威的で、攻撃する対象を求めて常に易刺激的であった。地位、役割、身分、性などに応じて優越感と劣等感を併せ持ち、誰に対してへりくだり、誰に対して威圧的になるか、誰に対して寛大になるか、身構えていた。優越感と劣等感、卑下と威嚇の混合は、家族、友人、近隣の関係から始まって、アジアの人々との関係まで及んだ。他者と対等の関係を持ち得ない人は、たえまのない精神的緊張を美徳と誤解していた。いかに激しい焦燥にかられて行動化するか、それが戦前の社会の主調気分だった。焦燥の時代から多幸の時代へ、なぜ時代の気分は転換したのか。日本の社会は、この転換しか選ぶ余地がなかったのか。(P3)
筆者の野田さんは、精神病理学者として、銀座通りを「日の丸」の旗と提灯を持ち、「戦争もあった、敗戦後の混乱と貧困もあった。それでもなべて昭和の御代は良かった」とざわめきながら行進する、人々のうねり波の中に投げ出された、「昭和60年」慶祝の大パレードから話を進めます。
「何故ここまで感情は平板化し、愉快であることに強迫的になってしまったのか。・・・楽しい感情が湧いてくる前に、身体で笑う所作を覚えた人々の感情は豊かにならない。」(同上)
日中戦争中、残虐行為を行った兵士達の心情を精神病理学者が丹念に聞き取ることで、罪責の自覚をさぐる。
この書を批判する人は、「中国で洗脳された日本人将兵の聞き取りにすぎない。今さら中国での戦争中の加害を明らかにしてどうする、また、実際、そういう残虐行為はほとんどなかった。・・・」と。
しかし、精神病理学者として、「・・・会話内容の矛盾は書き留めていくが、最も重要なのは、語る人の感情の流れを聴き取ることである。その体験をどのように感じたのか、『感情論理』を聴いていくのである。それによって感情の流れが淀み、空虚になっていると私も相手も気付く。」(P398)・・・、精神医学的面接に徹している。批判する人々と筆者の姿勢の違いに気付かされる。
※「罪責」=「犯罪を犯した責任」
※「罪責感」= 自分に罪過があると考え、自分を責めたくなる気持ち。
戦争を起こしたこと,そのものの責任は国家にあり、一下級兵士個人に戦争責任を問うことはできない。しかし、無辜な中国人たちへの残虐・殺戮行為等がなぜ行われたのか。
多くの兵士達は、上官からの命令は絶対であった、任務遂行上しかたなく、あるいは自ら進んで、出世のために、同僚からの視線、等を言い訳に、中国さらには東南アジア諸国民への加害者意識を捨て去り、戦後を生き抜いてきた。
当時の軍隊では逆らえば軍法会議によって処刑される、という状況下にあって何ができるのか? という言い逃れ。挿話の中で、ある仏教徒の兵士が信仰を理由に、射殺を拒んだ例をあげているが。
今問われるのは、殺した人への無感情と自分の家族や依拠する集団への感情はどのような関係にあったのか、なのではないか。「させられた戦争」から「した戦争」へ、「させられる人間」から「する人間」へ、判断し行為の責任を引き受ける人間へ・・・。
戦争を反省し、行った主体を取り戻そうとすることによって、ここから永い感情創造への年月が始まる。受けた教育、天皇制イデオロギー、軍国主義、権威主義をひとつひとつ分析し、剥ぎ取り、他者との交流を通じて感情を育てていく時間が始まる。私の会ってきた日本軍人達は、その過程にあって命尽きている。彼らが戦後世代に、さらに若い世代に伝え残していったことは、緊張と弛緩の貧しい精神を生きるのではなく、豊かな感情を育てていって欲しいという遺言であろう。(P394)
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