公園名 開園年 隣接の小学校
8常磐公園 昭6(1931)年 常磐小学校(2013,12,12掲載)
線路際の道と学校の建物にはさまれた小さな公園。
東側の校舎(震災復興校舎)。この校舎は東京都選定歴史的建造物に指定されている。
9久松公園 昭5(1930)年 久松小学校(2013,12,15)
公園東側。プールが隣り合っていて、細い通路。奥に運動場・児童公園が広がる。学校開校時は午後4時までは学校の校庭として使用、その後、児童公園として開放される仕組み。
校舎全景。
10十思公園 昭5(1930)年 十思小学校(2013,12,13)
緑も多く、よく整備されている。「時の鐘」や記念碑などは開園当時のまま。伝馬町牢屋敷跡にある。
十思小学校→十思スクエア。旧校舎をそのまま使用している。
11箱崎公園 昭4(1929)年 箱崎小学校(2013,12,16)
平日の昼休みなどにはサラリーマンなどで賑わうような印象。
「箱崎小」→「日本橋高」→「水天宮ピット」となったが、震災復興校舎当時のまま。
12蛎殻町公園 昭6(1931)年 有馬小学校(2013,12,17)
現在の公園正面。門構えと築地塀が特色。
設立当初とは学校と公園の位置は異なるが、一体型というコンセプトは引き継がれている。利用に当たっては有馬小・幼稚園の児童・幼児等が使用する時間帯と一般が利用できる時間帯が区分されている。
ベランダには「祝 開校140周年 開園68周年」の文字。
13鉄砲洲公園 昭5(1930)年 鉄砲洲小学校(2013,12,22)
新校舎建設と合わせて整備されたようす。
鉄砲洲小学校→中央小学校(旧京華小学校と旧鉄砲洲小学校が統合されて誕生した)。外壁などのつくりは、かなり斬新なデザイン。
14京橋公園 昭5(1930)年 京橋小学校(2014,1,5)
公園の東側から。復興小公園につきものだったコンクリート製の二連式すべり台が、2011年8月、老朽化等のために撤去され、モニュメントとして写真とともに掲示されている。
震災復興校舎だった「京橋小学校」は、統廃合ですでになく、「京橋プラザ」という大きな複合高層住宅になっている。建物の1階コンコースに旧京橋小のモニュメントがあり、かつてを偲ばせる。
15築地公園 昭5(1930)年 築地小学校(現存せず)※ 校地拡張のため、消滅。
「築地小」は、「京橋小」と統合して、現在、「京橋築地小学校」。
(「京橋築地小」HPより)
1970年頃のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。矢印が旧築地小。公園が隣接されている。右下が「築地本願寺」。
16越前堀公園 昭5(1930)年 明正小学校(2013,12,31)
四阿風。史跡・記念碑などや緑も濃く大人もゆっくりと楽しめそう。
「明正小」は旧校舎(震災復興校舎)を取り壊し、新築中。全面シートに覆われている。公園側から。
17月島第一公園 昭2(1927)年 月島小学校(2014,1,9)
広い中央広場。トイレ棟がユニーク。
小学校はすぐ近くの工場跡地に移転。
小学校の跡地は、「月島区民センター」「月島図書館」などの施設が入った建物になっている。
18月島第二公園 大15(1926)年 月島第二小学校(2014,1,8)
「月島第2小」側からの公園。広いスペースの公園となっていて、かつての「震災復興公園」としての面影はないが、住民の憩いの場所として賑わっている。北側には超高層マンション。
大きな校舎。それでも、児童数の増加のため増改築工事が始まる。
※ 2013年12月29日掲載の『第一大学区第一中学区第一番小学 阪本学校』としての歴史を持つ「阪本小」、隣接する「坂本町公園」。小学校校舎は震災復興校舎だが、ここでいう「震災復興52小公園」には含まれていない。
公園側からの校舎。
校舎側から公園の北方向を望む。
なお、「阪本小」のように「震災復興校舎」が現役校舎として使用されているものもある。また、他の施設として転用されているケースも。それはまた別の機会に。
8常磐公園 昭6(1931)年 常磐小学校(2013,12,12掲載)
線路際の道と学校の建物にはさまれた小さな公園。
東側の校舎(震災復興校舎)。この校舎は東京都選定歴史的建造物に指定されている。
9久松公園 昭5(1930)年 久松小学校(2013,12,15)
公園東側。プールが隣り合っていて、細い通路。奥に運動場・児童公園が広がる。学校開校時は午後4時までは学校の校庭として使用、その後、児童公園として開放される仕組み。
校舎全景。
10十思公園 昭5(1930)年 十思小学校(2013,12,13)
緑も多く、よく整備されている。「時の鐘」や記念碑などは開園当時のまま。伝馬町牢屋敷跡にある。
十思小学校→十思スクエア。旧校舎をそのまま使用している。
11箱崎公園 昭4(1929)年 箱崎小学校(2013,12,16)
平日の昼休みなどにはサラリーマンなどで賑わうような印象。
「箱崎小」→「日本橋高」→「水天宮ピット」となったが、震災復興校舎当時のまま。
12蛎殻町公園 昭6(1931)年 有馬小学校(2013,12,17)
現在の公園正面。門構えと築地塀が特色。
設立当初とは学校と公園の位置は異なるが、一体型というコンセプトは引き継がれている。利用に当たっては有馬小・幼稚園の児童・幼児等が使用する時間帯と一般が利用できる時間帯が区分されている。
ベランダには「祝 開校140周年 開園68周年」の文字。
13鉄砲洲公園 昭5(1930)年 鉄砲洲小学校(2013,12,22)
新校舎建設と合わせて整備されたようす。
鉄砲洲小学校→中央小学校(旧京華小学校と旧鉄砲洲小学校が統合されて誕生した)。外壁などのつくりは、かなり斬新なデザイン。
14京橋公園 昭5(1930)年 京橋小学校(2014,1,5)
公園の東側から。復興小公園につきものだったコンクリート製の二連式すべり台が、2011年8月、老朽化等のために撤去され、モニュメントとして写真とともに掲示されている。
震災復興校舎だった「京橋小学校」は、統廃合ですでになく、「京橋プラザ」という大きな複合高層住宅になっている。建物の1階コンコースに旧京橋小のモニュメントがあり、かつてを偲ばせる。
15築地公園 昭5(1930)年 築地小学校(現存せず)※ 校地拡張のため、消滅。
「築地小」は、「京橋小」と統合して、現在、「京橋築地小学校」。
(「京橋築地小」HPより)
1970年頃のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。矢印が旧築地小。公園が隣接されている。右下が「築地本願寺」。
16越前堀公園 昭5(1930)年 明正小学校(2013,12,31)
四阿風。史跡・記念碑などや緑も濃く大人もゆっくりと楽しめそう。
「明正小」は旧校舎(震災復興校舎)を取り壊し、新築中。全面シートに覆われている。公園側から。
17月島第一公園 昭2(1927)年 月島小学校(2014,1,9)
広い中央広場。トイレ棟がユニーク。
小学校はすぐ近くの工場跡地に移転。
小学校の跡地は、「月島区民センター」「月島図書館」などの施設が入った建物になっている。
18月島第二公園 大15(1926)年 月島第二小学校(2014,1,8)
「月島第2小」側からの公園。広いスペースの公園となっていて、かつての「震災復興公園」としての面影はないが、住民の憩いの場所として賑わっている。北側には超高層マンション。
大きな校舎。それでも、児童数の増加のため増改築工事が始まる。
※ 2013年12月29日掲載の『第一大学区第一中学区第一番小学 阪本学校』としての歴史を持つ「阪本小」、隣接する「坂本町公園」。小学校校舎は震災復興校舎だが、ここでいう「震災復興52小公園」には含まれていない。
公園側からの校舎。
校舎側から公園の北方向を望む。
なお、「阪本小」のように「震災復興校舎」が現役校舎として使用されているものもある。また、他の施設として転用されているケースも。それはまた別の機会に。
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