おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

玉電砧線跡と野川

2011-06-02 20:10:59 | 鉄道遺跡
 今回は、「玉電(玉川電気鉄道・東急)と野川」という趣向です。
 東急電鉄「二子玉川」駅。通称「ニコタマ」。かつての駅名は、「二子玉川園」。駅を降りて北の方角が目的地。多摩堤通りをけっこう歩きました。途中の「吉沢橋」交差点。クロスする通りの手前には見慣れた緑道が右に折れて続きます。見慣れた、そう、この道筋は、かつての線路跡ではないか、日頃の嗅覚で近寄ります。そこには「砧線跡」という説明板が。この辺りは、これまで縁遠かったので驚き。
 ちょっと道からそれて吉沢橋を渡っていくと、玉電の写真がレリーフとして橋桁に。玉電について解説した碑がありました。下に流れるのは、野川。
 砧線は、二子玉川園を発車後、ほぼ90度のカーブを描いて国道246号(玉川通り。西に進むと御殿場の先の方まで。東は、渋谷を越えて青山通りとなります。旧称は、大山街道)を横断、現在の二子玉川小学校南側の「中耕地」を経て西に進み、多摩堤通りと平面交差して「吉沢」に至り、吉沢橋で野川を渡り、東京都水道局砧下浄水場(旧渋谷町立浄水場)脇を通り、砧本村までの全長わずか2㌔あまりの鉄道。
 開業は、1924年(大正13)年。二子橋の上流にあたる大蔵付近(東京府北多摩郡砧村)の砂利の輸送を開始しました。砂利輸送を主目的としたことから、「ジャリ電」と呼ばれることもあったという。
 玉電(玉川線)そのものが、二子多摩川付近の砂利を東京都心に輸送することを主目的として路線開設が出願されたことが起源で、1907(明治40)年、玉川電気鉄道の手により渋谷 - 玉川間が開業しました。
 玉川から運んできた砂利を都心に輸送するため、渋谷では、都心に線路を伸ばしていた東京市電と軌道が接続され、渋谷には砂利運搬車両の留置線も設置されました。
 この砧線の線路跡地は、二子玉川駅付近を除き、道路(一部は、歩行者専用)として整備されています。「中耕地停留所跡」地の歩道上には、砧線が走ったことを示すレリーフが埋め込まれ、駅跡には石碑が建てられている、とのこと(時間がなくて見に行けませんでした)。
 2007(平成19)年、現在の吉沢橋が、少し上流にあった新吉沢橋と合わせて架橋し直された際に、玉電についての解説文の碑と欄干には玉電のレリーフが埋め込まれたそうです。
 停留所も少なくて、1947(昭和22)年当時の航空写真では、「中耕地」という駅名が示すように、線路の周囲は田んぼや畑の田園風景が広がっていました。
 終点の砧本村停留所前には、戦前、「わかもと製薬」の工場があり(商品としては胃腸薬の「強力わかもと」が有名?)ました。その跡地は現在、駒澤大学玉川校舎となっています。
 さて、玉川電気鉄道は路線を拡張、1925年(大正14年)、三軒茶屋-下高井戸間に支線(のちの世田谷線)を開業。1927年(昭和2年)には天現寺線渋谷橋より中目黒に至る中目黒線、同年には溝ノ口線(玉川 - 溝ノ口)を開業しました。溝ノ口線の開業時には、多摩川を渡る二子橋の建設費の一部を玉川電気鉄道が負担し、二子橋は橋の中央に線路が敷設された形態の道路・軌道の併用橋となっていました。
 現在「二子玉川」駅ホームの大半は、野川・多摩川の川の上にあり、そのため、駅入り口は北側に一箇所。南側のホームの先端は細くなっています。
 1934年(昭和9年)、二子橋より下流での砂利採取が全面禁止され、さらに玉川電気鉄道の経営権が東京横浜電鉄や目黒蒲田電鉄を経営していた五島慶太らに移って以降は、砂利輸送からは撤退し、軌道線は旅客輸送が中心となっていきます。1938年(昭和13年)、玉川電気鉄道は東京横浜電鉄に合併され、1942年(昭和17年)、社名変更に伴い東京急行電鉄となり、現在に至ります。
 かつての駅名「二子玉川園」は、駅の東側にあった「二子玉川園」という遊園施設に由来しています。戦前から玉川第二遊園地や玉川プールなどが開設され、行楽地として開発されました。玉川第二遊園地は、のち二子玉川園となり、同地には映画館「二子東急」も設けられ、行楽地として栄えましたが、1985(昭和60)年に閉園しました。跡地にスポーツ施設やナムコ・ワンダーエッグ、いぬたま・ねこたまなどのテーマパークが建設されました。2000年代に入って、二子玉川駅東口から二子玉川園跡地にかけて再開発計画が進行しています。将来は東口一帯に2棟のタワーから構成される大規模な商業地域・ホテル・住宅地域が建設される予定ですが、環境破壊につながるとして、反対運動も起こっています。
 「吉沢橋」で越える野川。国分寺市東恋ヶ窪一丁目の日立製作所中央研究所内に源を発する川。小さな河川を合流させながら、多摩川と並んで二子玉川で国道246号新二子橋や二子橋をくぐり、二子玉川駅のホーム下をくぐった先で多摩川に合流します。
吉沢橋上の説明板
吉沢橋を渡って砧本村に続く線路跡(道路)
歩行者道路となっている線路跡
緩やかなカーブが線路を彷彿させる。
二子玉川駅ホーム。田園都市線と大井町線の合流駅。たくさんの乗降客がいます。
ホーム上からの野川(右)と多摩川(左)
吉沢橋からの野川。中央奥が二子玉川駅方向。
野川。清流に大型の鳥が一羽。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« まさにこの通りの体たらく | トップ | 目処・目途・めど・メド、果... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

鉄道遺跡」カテゴリの最新記事